石敷の通りには牛や馬の糞がところどころに落ちている。当たり前のように漂い、街中に蔓延した饐えた匂いを隠れ蓑にでもするかのように、人々が糞尿を捨てていた。馬車の通り過ぎたあとの余塵を吸って生活しているパリっこたちは、ペストでも流行らないかぎり病気に罹りにくかった。
セーヌはいつものように流れていた。だが、あの頃とはちがって見える。なにか淀んだ、鉛色の、重厚な、融通の利かない液体だった。悠久の時をセーヌは流れる。だが、それを観るわたしの眼は刹那に起こっては消え失せることの連続だ。ーーいや。逆かもしれない。セーヌこそ生成しており・・・いや、どちらともだ。わたしもセーヌも、どちらとも、常に新しく生まれ変わりながら、変わらぬように見せている。そして今のわたしは、どこか暗く生まれ変わったーー。あの明朗なだけのわたしはどこに行った。
なんどもイザベルと待ち合わせた橋を渡った。橋の端の鍵屋を直視することができない。露天商の賑わいは演劇の背景画のように無音で、日の光は絵の具で描いたような熱のない放射を放っている。それは、絡めた指がほどかれた最後の日のあの肌の感触を思い出し、締め付けられるような胸の苦しみが見せる幻影であったかもしれない。いつ会えなくなるか解らない。いつ、会いたいと思わなくなるか解らない。だから、会いたくて、会った時には、思う存分、キスをしておこう。そんな後悔と決意が魂に刻まれたのは、この時からだったにちがい。
古くはルテティアと呼ばれパリの全てだった中之島に近づくに連れて、アパートにもかすかに聴こえてくるモテトゥスがまじかに響いてくる。橋のたもとに足をとめ〝我らの貴婦人〟と呼ばれた荘厳で峻険な石造建築物を見上げた。ヒナの嘴のように真上を向かなければならないほど、大聖堂は巨大だった。思えばこれを、咫尺(しせき)を弁じないくらいに近づき見たことがあったか。マリアの深い慈愛の悲しみを湛えた姿に、モンサンミッシェルのイザベルをおもった。
ーー持ってきた木桶をかえした。
苦悶の果ての汚穢はセーヌが洗い清めてくれるだろうが、心のの汚辱は一体なんの流れが癒やしてくれるというのか。こんなにメランコリックな気分になるのは、王侯貴族の食べない青野菜を食べているからか。いくばくか投げやりで、いささか感傷的な想いに囚われた。
セーヌのほとりを離れ、アパートに帰りながら思い直した。
メランコリックな気分なのは、寒いからだ。ともかく、わたしはそう決めつけた。
※青野菜 恐らく、上流階級には女性のオナラがはしたないという観念があり、それを我慢すると憂鬱になる。繊維質の多い青野菜を食べると余計にガスが発生してオナラが出易くなるので、青野菜がメランコリックの原因だと考えられていたのだろう。青野菜はアブラナ・ホウレンソウ・キャベツなどで、冬には塩漬けや酢漬けが食された。
※今生のわたしは、貧乏をなんとも思わない。けれどその一方でハイセンスな靴や服が好きである。『バスティーユ』ではみなしごの人生を送ったが、別の人生では貴族の家に生まれたこともあったのではないか。「スチュアート」という響きがやけに気になっている。そのせいか、二十五歳から三十歳にかけてのめり込んだハイエンドオーディオで一番先に目に付いたのがイギリスのスピーカーメーカーの『タンノイ』であり、その中でも「エディンバラ」や「スターリング」が好きだった。(だが当時デジタル化しつつある音源に、箱鳴きを利用して低音を得る方式だったエディンバラやスターリングはうるさく感じたのでTD-500というスピーカーを買った)いずれも、スコットランドに属するものである。
小学校の時に読んだ『王子と乞食』という児童文学が気になっていた。アメリカの作家マークトゥエインによってこれが書かれたのは1899年であるが、舞台は1537年のイギリスということだ。『バスティーユ』とちょうど一致する。少年時、本を読んでいるときの不思議な懐かしさのワケが解った気がする。だが、今の時点でスコットランド時代のことはほとんど思い出さない。本当にそこに居たのか、いつの時代なのかも定かでない。この人生に必要なければ思い出さないだろうし、思い出す必要もない。
