「ところでビンボーにんてのはな」親方が話し始めた。「“稼いで使う”と思っているもんだ。解るかい? だから貧乏なんだ。稼ぐことと使うことが別物だと考えっからセンスが悪いと言うんだ。“使ったら減る”と信じているから、なるべく減らないように、使わない。ところが、金持ち連中ときたら、“使うことが稼ぐことだ”と考えている。金は殖すために動かすもんだ、とな。常識に囚われている連中にとっちゃ、デタラメに聴こえるかもしれねえが、現にその想いはかなっておる。だから使えば使うほどヤッコさんたちゃあ、金持ちになる」

 

ひとしきり歩くと、森の一部かと思われる広大な屋敷が現れた。

「こういう所こそ、金を盗むべき家じゃ」と親方は言ってずいずい侵入して行く。

と言っても、屋敷は広い敷地の中央に位置しており、到着するまでには随分歩かされた。「ひとびとから阿漕に搾り取って、自分ではなにもしねえ」と言ったきり、しばらくは親方の息の音が地面を踏みしめる音と共に繰り返された。

「いくさってのは、あれはな、財産家たちにしてみれば、自分の所から放出した金(きん)を振るい落とさせるための手段なんじゃよ」

そんなことを言いながら、親方は家から遠く離れた玄関口あたりを目指していた。

「死んだ奴には金を所有できない。貸した金と共に搦め取って回収するんじゃよ」

兵士から振り落とされた金の粒が金の火搔きで集められ、金持ちの所に山とこづまれている様を想像した。

「金持ちが何に金を使うか。たとえばいくさの資金、たとえば貿易船の建造、たとえば鉱山の開発、そういったことに金を使うんだな。誰かの財産をぶんどったり、埋まっている物を掘り起こしたり、こっちにある安物をあっちに持って行ってふっかけたり、必ず儲かると解っていることにカネを使う。ーーしかもたいていは後払いだ。種銭すら持たずに儲けて、そのカネで支払うというわけさ。カネってのはありゃあ金の偽物じゃな。

善良な者たちは、使ったら無くなるというのを永遠の真理みてえに信じているが、ビンボーくせえ染みったれた考えにすぎねえってこった。まったく悔しいこったが、その点、財産家たちの方がちょっとばかし目が明いていると言わざるをえんな」

親方はアゴの肉をつまんでひねった。

「それからな、自分たちが裏の裏から斡旋している売娼女どもを穢れた最低の女みてえに言い触れ回っているのは、神聖な倫理観に根ざしているからではねえ・・」

こんなことを言い始めた時、幼少のわたしはよく理解できなかった。

「・・汚れ仕事の方が金になるという社会通念を利用しているまでのこった。葬儀屋、墓掘、獄卒、肉の解体、金貸し・・・。ぜんぶそうじゃ。

童貞が神聖なのではない。男女の尊い交わりこそ神聖なんじゃ。血統を大事にしすぎるから、誰の子かが問題になる。それで処女が貴重なものとして扱われる。あくまで家督の都合によるもんじゃ。聖母マリアの処女懐胎とかマグダラのマリアの娼婦伝承とか、まったく馬鹿げたことじゃて。『汝 隣人の妻を欲しがるなかれ』とは、肉欲だけに衝き動かされてそれに流され溺れるな、たいした経験ができんぞ、という戒めであってな、姦淫そのものを咎めるのは嫉妬心に根ざしておる、自分が何かを失った、亡き者にされた、という恨みじゃなーー」

 

今や理解を飛び越えて、まさにその問題に直面している。たとえ親方のこの分析が正しかったとしても、嫉妬によって恨みを抱いた者にどう対処すればよいのか? そんな疑念がわいてきた。