韓国と中国は日本を敵視しています。

韓国に至っては現に日本の領土の一部を占拠し、さらに侵略を企てています。中国も毎日、領海・領空侵犯を繰り返しています。


これを観て、中国と韓国は敵だ、と言うひとがあります。


現状のような有様ですから、少なくとも味方ではないでしょう。


しかしちょっと冷静に考察してみたいのです。


まず、仮想敵国になりえるかと言えば、その性質と定義から言って、両国ともNOです。日本は、71年前に“終戦”になったのです。降伏ー敗戦ではなく、終戦としたのは、敗戦を言葉でごまかしたかったからでしょうか?



ペーリーが浦賀にやってきて開国を迫った時から、日本の最終的な相手はアメリカでした。歴史を研究しても、現実の国力を観ても、将来の展望を予想しても、人類始まって以来の強国がアメリカでした。そこと戦争すれば、それが日本にとっての戦争の終わりを意味していました。石原 莞爾の『最終戦争論』に多くの人が共感したのも、同じ認識だったからだと思います。そしてひとまず、西洋の覇道が世界を統一しました。アメリカのルールが世界のルールになったのです。


ですが、いま、はやり日本ー東洋の王道=シラスの統治が注目され始めました。


そのことは置いておいて、日本人の多くが「戦争はもう終わった」という認識にあったのではないかと思います。


日本のやるべき火力戦争は終わった。


その想いが、憲法9条を始めとするおかしな押しつけ憲法を支持してきたひとつの力であったと思います。


仮想敵とは、“戦争しないために”国力を同等にもっていき、それによって軍事力を高めて平和を維持しようとする考えです。(少なくとも日本においては)


中国は自分を大きく見せていますが、内実は脆弱で、まとまりがなく、技術も粗悪で、オリジナリティがありません。すべてが、2番煎じの真似事、劣化コピーと猿マネで安売りをして有頂天になっているのです。おそらくGDPにしても3倍は水増しし、実質188~250兆円ていどではないかと思われます。それも緻密さや精確さを欠いた技術によって作られた脆いものによって動いている経済規模にすぎません。


それ故に、仮想敵国にはなりえません。


ただし、核をもっていますので、日本は防衛のために最高の打撃力と防御能力をもっておく必要があります。


中国も韓国も日本を敵視して、侵略行動を取っていますが、仮想敵にはなりません。さらに、敵視して返すのは最悪です。


敵視は恨み、憎しみ、怒り、復讐といった暗く否定的なエネルギーです。それは眼を塞ぎ、頭ばかりカッカときて、俊敏な動きを妨げます。


相手がこちらを敵視していますので、細心の注意を払い、最大の警戒を怠らず、充分に備えておかなければなりません。


が、だからこそ、敵視は逆効果なのです。


相手が敵視しているから、敵視仕返すとは、相手を対等に観ているからすることではありません。わざわざ相手の程度にずり下がり、滅ぼしたい相手に何もできず空回りするための最善の方法なのです。自分で転けて、自分を傷つけるのがオチです。


憎いなら憎いほど、冷静にならねば成りません。


相手の弱点を露骨に見極め、正鵠を射なければ成りません。


さて、本題はここからです。


相手を敵と見なさないなら、なんと見なすか?


すぐに味方としか思えないのは、純朴なお人好しなのです。敵じゃないなら、味方。味方じゃないなら、敵。


ちょっとおバカな感じがしませんか。


相手を共同創造する存在共に影響し合って進化していく関係と見なせばどうなるでしょう?


中国が尖閣諸島に興味をもって我が物にしようとしているその先に、沖縄を占領して、そこを足がかりに日本列島自体を所有し、配下に入れようとしていることを知ったなら、どうですか。


韓国が、日本の歴史や文化を侮辱し、あざけり、おとしめ、ねじまげ、自分たちの優位を捏造して威張り散らしたらどうですか。


もちろん、初めにくる感情は怒り、であるかもしれません。あるいは、支那鮮というのは、日本にある素晴らしい文化のすべてをもたらした優れた国であるので、ひれ伏し、奴隷となることは喜ばしいことだ、と思いますか。


知れば知るほど、日本という國のありがたさが観えてきます。


先人たちが命にかえて守り抜いてきたわけが解ります。


この尊い國を決して安い霊性しか有しえない人々の安い価値観で支配させてなるものか。と思えてくるのではないでしょうか。


そこで次に覚えるのが、日本を守るためにあれら侵略国家を滅ぼしてしまおうという欲求かもしれません。


けれども、もう少し冷静に深めて見つめればどういう想いに達するでしょう。


竹島を占拠され、尖閣を略奪されそうになっている今、ではわれわれはなぜ、領土を守らねばならないのか、という問いがわきます。


歴史を捏造され、文化を改竄され、では、なぜ相手の言うがままに思わないで、守り育て進化させたいのか、と問いかけが生じてきます。


理由はおのおのつけることができるでしょう。ですが、いずれにしろ、漫然と放置していたこと、なんとなくそう思い込んでいたことを自分の眼で確かめ、これが責任をもって取る態度であり言動であると宣言できる認識に至るのではないでしょうか。実際、噂や耳学問を脇に置いて、歴史の真実をほんの1枚、2枚めくれば、本当のことが観えてきます。


外国が我が国を略奪しよう、歴史や文化を破壊し置き換えようとしないで、わたしたちは一体、我が国を自覚できたでしょうか。その独自性をはっきりと認めることができえたでしょうか。


昭和40年代にディスカバー・ジャパンという言葉が流行りましたが、いまこれから、わたしたち日本人のみならず、世界中が日本を再発見、いや再々発見していくことになるでしょう。


我欲や略奪の意図は負の側面が多い物です。けれども、それによってわたしたちが意識を喚起し眼を覚ませば、ポジティブに利用することができるのです。


支那鮮はどんどん技術を高めなさい。そうであるなら、もっと上を行く。


もっと豊かになりなさい。そうであるなら、より高い次元の豊かさに移行する。


情報戦、歴史戦、どんどんおやりなさい。こちらも正確で精確な歴史を学び、広めよう。


核開発、もっとやりなさい。こちらは核を無害化する技術を確立しようではないか。


共同創造する相手、共進化していく相手と見なすなら、あの横暴で威張り腐り、天狗になっている彼らがどんなにありがたい存在に映ることか。


霊的にも技術的にも進化させてくれるためにいるのだ、と観えてくるでしょう。


精神的にも霊的にも肉体的にも高い次元に移行していくことが強くなることであり、国防であり、また独立であり、主権であり、独自であるのだと思う。国民のひとりひとりがより強く逞しくなっていくのが国家の独立性や主権性を高めていくことに他ならない。


相手を変えようとしても無駄である。


こちらが変わることで相手は変わらざるを得ない。


より高く、より深く、より強く、より逞しく変わっていくことで、相手の脆弱さ、邪気を無駄で無謀なものにしていく。


特に国際関係において、小善人、お人好しであることは、無防備であり、付け入る隙を与えていることと同義である。


いま、一見、侵略者に見え、侵略者そのものの支那鮮の行為があればこそ、わたしたちは本気でこの國と取り組み、世界の平和と調和を構築、創造していかなければならないと強く想うのだ。それは神武がなしたとされること、明治維新以降の日本人が取り組んだことと同じ想いではないか。


大和魂、八紘一宇。


世界が平和でなければ、日本も平和でない。


世界人類は、一体だから


他者のせいにしているのではない。また、余計なお節介や過干渉をしろというのではない。日本の平和を維持し、高めていくには、世界の平和に貢献するのは、当然の理だと言っているのです。


これが、日本人のDNAにしっかりと刻まれたこと。集合意識に明確に存在することであると思われます。


西洋の覇道ー東洋の王道の対立は終わりを迎えている。中国が真似事のように奮闘しましたが、アメリカに取って代わることは無理でしょう。


いまこれからは、日本のスメラシラスという統治の仕方であろうと思います。


それは、西洋の覇道も東洋の王道も包括する統治の仕方であります。大東亜共栄圏構想を超えたものです。第3のルールと言い替えてもよいでしょう。これを守ることが互いにとって寄与するとしっかりと自覚した時に、誰が威張るか、権力をふるうかの争いも終わると思います。


相手が敵視していようがいまいが、こちらはやることをやるだけです。敵視しているなら、それを高い目的がかなうように活用するだけです。おそらくは、在日外国人の取り扱いや侵略の意図をもった国々とは付き合い方が変化してくるでしょう。(あらゆるレベルでそれを選んでいるから)しかし、たとえ同じ方策を講じたとしても、動機や目的がちがえば、結果がちがってきます。


敵視するよりも、共同創造の相手、共進化の関係と見なすことで、のちのちに遺恨を残さず、好ましくない結果を我が物にすることはなくなることでしょう。