わたしが眠っている間に、余談を差し挟んでおこう。ジョルジュが様子を見に医院にやってきた時のことを書いていた時のことだ。いきなり、ザビエルのことを話し始めた。ちょっと待て、この時代に彼はいたのか? いたとしても、ジョルジュと交叉した可能性はあるのか? いくつかの疑問がわきあがった。
この感覚は、たとえば現世のわたしが幼い頃、母の妹である叔母が、父の運転する車の後ろに乗っていた時、ある小説について話した事を憶えている感覚に等しい。
「ーーぼくは時々、世界中の電話という電話は、みんな母親という女性たちのお膝の上かなんかにのっているのじゃないかと思うことがある」
などとの冒頭の部分をそらんじてみせ、さらに、なんとかしちゃう、とか猛烈になんとか、のような言い方が特徴的だ、といった旨のことを言ったのを思い出すのに似ている。
それが記憶違いでないか、調べてみれば、この本は昭和44年に初版が出ていて、少なくともわたしの生まれる前でないから、叔母が読んでいて、これについて話したことを聞いていたもおかしくない。だが、当の叔母はきっと憶えてはいまい。実際、数年前にさりげなく確かめたらキョトンとしていた。その小説が庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』であることは、20年経って二十五歳の時、記憶を頼りに調べていってたどり着き、おおきな古書店で初めて手にした。
だが違うのは、過去生だとして想起されている記憶が脳裡にある比較的ハッキリした手触りのあるものとは異なり、もっとつかみ所のない、透明感のある、なんというか自信をもって言えない、どこか空想じみていて、もしかすると人を騙しているのではないかという想いの随伴した想念であるところだ。
町のスクラップ屋には、現在の地図と同じ物が出回っていた、と書いた時もそうだった。確信がないのに書かされていると思えた。いまになって知ったのがトスカネッリ。イタリア・フィレンツェの天文学者であり地理学者であった彼は以前から唱えられていた地球球体説を確信し、コロンブスに西回り航路を伝え、またポルトガル王に書状を送っている人物として知られている。
だが、彼がそれを確信したのは、プトレマイオスの説を勉強したり、天空の観察や実際に航海している船乗りの言葉などを研究したからだけでなく、南北アメリカ大陸や南極大陸まで描かれた世界地図即ちピリ・レイスやメルカトルが作成した地図の元の地図、恐らくはアトランティス文明から持ち越された地図を見たからに他ならないのだ。(もちろんそのことは、現在と同様に、人類は原始的なものから次第に発達したという秩序観を維持したい者が支配的な世では、口が裂けても公にはしえない)よほどの自信がなければ、王に手紙を送って進言するなどできない。トスカネッリが“答え”を知っていたことが、メルカトルの証言から分かる。彼は「既にあった非常に古い地図を写して描いた」と言っている。 周知の通り、西回り航路発見は、トスカネッリの絶対の確信とコロンブスの未知へのロマンが手を結び実現した偉業なのであるが、コロンブスがやってのけたのは、新大陸発見ではなく、失われていただけの既知の事実を確認し恢復させたにすぎないのである。
いつもこのように情報が先に来て、それを辞典やネットで調べることになる。ジョルジュの言うがままなすがままに書き留め、ひとまずペンを置いてあれこれ物色した。
ザビエルは、1506年にスペインで生まれ、1525年にパリ大学に留学している。
なんということだ! わたしは仰天した。いや、過去の記憶から流れて来る情報をもとに小説を書いているのだから当然と言えば当然だ。
ザビエルについてのわたしの知識はほとんどの皆さんと同じである。頭のとっぺんが※禿げていて、信長に謁見した。これだけだ。天正十五年、というテレビドラマや映画のナレーションは憶えていてもそれが西暦何年なのか知らない。従って日本での出来事と同時期の西欧での出来事が結びつかない。だいたいザビエルがどこの国の者かも定かではなかったのだ。
舞台となっている1536年のフランス、パリで彼が話題の的になりえるものなのか。かの有名人が時代を錯誤して出てくるとすれば、御都合主義も甚だしい。この小説の信憑性は一気に地に落ちることとなる。著書があったので注文することにした。
『聖フランシスコ・デ・ザビエル書翰抄』
特に下巻は彼が日本に来て去るまでの間における記録である。ざっと読み下した。
