ひとの魂というものは、不可思議なものである。
幾重にも人格が重なったように思えることがある。幼い頃から父親を観察してきた。彼は黙って何も考えずにいる時には、まあ、物事のよく分かった哲人のように見えないでもない。しかし、何か考え始めると、うってかわっておかしなことをやり始める。過去生からひきずってきた信念や今生で誰かに教えられたり、培ってきた信念のなせるわざであるかもしれないが、人格が入れ替わったのではないかと思える時があるのだ。さっき言ったことを言ってないと言い張ったり、さっきやったことを憶えていないとか、結婚したての頃、若かった母親はずいぶん戸惑っていたようだが、どこからか多重人格症という言葉を聞いてきて、すこしは納得していた。
これは、何かが憑依したという人もあるし、過去生や別の魂が連なっている、という人もある。わたしにはどれが正解なのか分からない。
けれど、未熟な部分とか、暗いところ、あるいは過去生や他の人格の癒やされていないところを引き連れていて、そいつにこの世での経験をさせて、進化上昇に寄与しているのかな、と思うことがある。
たとえば、これは幼少の女の子とあることのようだが、いつもガツガツ食べている子がある。花より団子、なにより食べるのが好きなのだ。いつもなにか食べていて、食べていない時には、なにか食べ物を欲しがる。きょうだいからも、呆れられるほどの食べっぶりで 舞香でなく“食べまいか”だとか、麻美でなくて“漁り”だなどと揶揄されるほど食べ物に目がない。
祭りの出店などあれば、イカ焼きタコ焼きかき氷ポップコーン焼きソバ焼き鳥回転焼きなど、手当たり次第に食べて回り、目下の話題は「くじはお金の損ね。あれは当たっても食べられないから」などのたまう。親とはまったく違うし、他のきょうだいともちがう。他のきょうだいと同じように育てられたにもかかわらず、ひとりだけ特異な大食漢なのだ。
きっと、その子の過去生か、連なっている魂が、過去におなかを空かしたまま死んでしまったのではないか。とでも想像しないでは理屈が立たない。その悔しさ、未練を今生で果たす。果たさないでおられようか、という根性で食べまくる。
けれど、これは、自分の過去生あるいは連なっている魂への貢献ではないかと、と思っている。つまり、思う存分、もう思い残すことはない、と思えるほど食べてやることで、癒やされていない魂を昇華させることができるのではないか。しかし、そんなことをしているなんて、他の誰にもわからない。周囲からは、いやしいだの、意地汚いだの文句を言われる。その汚名を着てでも、癒やされていない魂にたらふく食べる経験をさせる。きっと、人知れず善行を積んでいるのにちがいない、と思ったりする。本人さえ、もしかすると自覚していないのだろう。おそらくは、充分食べた魂が納得すると、食欲は人並みになり、周囲もそんな性質だったことをとんと忘れてしまうのではないか。
いずれにせよ、自分という人格はひとつ、ではなく、いくつも集まってひとつのような按排になっているとしか思えない。それが制御しきれずにバラバラに動き始めると、分裂症とか統合失調症ということになるのだろう。なかなかこの病名は言い得て妙である。自分の中にあるいくつもの人格をうまいこと統率するのが、人格が高い、ということになるのかもしれない。
さらには、たとえば“わたし”という人格と人生がある。
夢を見ていると、誰か全く知らないひとになって知らないひとたちと一緒にいて知らない相手と話しをしたり、なにかをやっていることがある。身に覚えのない、思いもよらないことを言われたり、知りもしない知識をしゃべっていたり、それまでの経緯を踏まえて言動していたりする。
きっと、どこか、いつの時代かに誰かがやっている人格と人生に“わたし”が憑依したか重なったかして彼の経験を一緒に経験しているのではないか、と思っている。背格好も身なりも身分も年齢も知識も考えもまったく異なる人物として“わたし”が彼を経験しているのである。そして、“わたし”が彼の人生に口出しすることがある。思わず、いま現在の“わたし”が知りもしない夢のひととなって、周囲の者にいま現在の価値観や信念でしゃべっている。どうしても、その場にあっては、それを言わないではおさまらない、それが言いたくて、夢で彼の人生と重なっているのではないかとさえ思える。おうおうにして、いいことを言った、と思っているんわたしがあるので、夢の中の彼に呼ばれて“わたし”の考えを披露させられた、とすら思える。
それと同じことが“わたし”にも起きているかもしれないのだ。他の誰かにとっては夢の中の出来事であるのだろうが、わたしに憑依してきて、あるいはわたしに重なり、わたしの経験を経験しているのだ。いまここで現実を生きている“わたし”にも、いまなぜそんなことを思いつき、口に出したのか定かではない瞬間がある。それは、いいこと言ったと思える時と、どうしてあんなことを口走ったのか、と思える時がある。そんな経験は誰しもあるのではないか。すうっと入ってきて、すうっと抜けて行く。もちろん、その発言を自分以外の誰かのせいにするつもりはない。飽く迄もどこまでもわたしの言ったこと、やったことにはかわりない。
さてさて、そこまで前振りをしておいて、やっと父親のことに移る。これから話すことは、彼に憑いたかあるいは連なった数々の過去生の魂には何も貢献していないと思うのだが、時折、父にはやたらと幼い魂がにゅっと顔を出してくることが、すでに80になった今でもある。ーーいちおう、この時点で断っておくが、別にたいした話しではない。ほんとうにつまらない、死ぬほどどうでもよい話しなので、ここで読むのを中断しても、ゼッタイに後悔しません。いまわの際(きわ)になって、嗚呼、私はなんて愚かだったの! あの時、あの話しを最後まで読まなかったのは一生の不覚! などとこの世に未練を残すなどということは、ゼッタイにありませんから、どうぞどうぞ、ここでカットして頂いて構いません。いや、むしろ完読する方が、後悔するかもしれません。・・・たぶん、後悔すると思います。
あるとき、父親が歯を抜くことになった。わたしの乳歯の奥歯が生え変わろうとしていた頃だから小学校の中学年から高学年にかけてのことだ。それはちょうど父親の“親知らず”が歯茎を打ち破り表面に顔を出した時期と重なったので、父は40いくつだった。家にいる時に口を開けば、痛い、痛いとしょっちゅう訴え、困り果てた母が「歯医者に行ってらっしゃい」とわたしが奥歯を抜く時に合わせて保健証を持たせた。
なんでも、父に言わせると、まるでイノシシの牙のように長くて内側に反りあがった縦筋の入った杭のような奥歯が口の粘膜をつつくのだとか。痛みを訴える時の父の執拗さときたらもう、おもしろい落語を聞いてどっと笑いに包まれた会場全体を一瞬にしてお通夜に変えるほどの力をもっていた。およそ地球上に住む全ての人間が自分の痛みに同情するまでしつこくしつこく訴え続けるのである。
この父は、鉄工所に勤めており、社宅に住んでいるときなど、尾籠な話しで恐縮ですが、夕方家に帰って来るといつも家の前の道をはさんだ植え込みに立ちション便をする癖があった。いったい何時間溜め込んでいたのか、非常に長い間、両腕を前にして胯を開いて立っていて、下手をすると、その場から溢れた液体が道路を横切って家の方に向かって流れてきた。母はたびたび、井戸に入るからやめて、と抗議した。ポンプ式の井戸が玄関のすぐ横、台所の前に設置してあった。
「なんが、入るか、馬鹿が!」
と、父は怒った。いいや、入る、と母は持論を展開した。そう言えば、その後、母は市の保健所に水質検査を申し付けた。データがやってきて以来、父がその癖をやめたところをみると、どうやら水質に悪影響を及ぼしていたのであろう。
父がなぜ、便所で用を足さず、家の前で立ちションベンをしていたのか? 想像がつくだろうか。その答えは、40年以上経って、わたしが当時の父の年齢を越えた時、ある旧式の一軒家を借りることになってから出たのだった。
金のかかることは悪いことだ、という信念をもつ彼はまた、夏に扇風機を使っていると「電気代がかかる」と言ってスイッチを切る。家族は、暑い暑いと訴え、なにも手につかなくなる。オイルショックの後ということもあり、節電を口実に、あちこち電灯を消して歩き、電気代をケチって回ってわずかなお金を浮かせた挙げ句、夫婦仲の悪くなった彼がその原因を何かに求めていたところ、42歳とその前後が厄年だとか聞いてきて、そのお祓いに潔く30万円つぎこんだ。(昭和40年代の30万である)
いったい、その金で、扇風機は何万回転できたのか? ぜんたいその金で、どれだけ明るい夕食を囲むことができたのか?
業者に便所の汲み取りを頼むと、だいたい月1回5000円ほどかかる。
まあ、このような父ですから、することなすこと、愚かの極みで、己の恥をさらすようなものですが、この間から書かなくてはならないという、へんなせっつきがあって、渋々したためておこうと思った次第であります。
前々から、社宅に住んでいる時分から父は奥歯の痛みを訴えていたのだが、とうとう堪えきれなくなって、医者にかかることになったのだった。
それでなくても父の歯はどれも長く、しかも栄養状態が悪かったのか、雨にさらされた木柵のような乱杭歯だった。その極めつけのようなイノシシの牙みたいな親知らずが彼の粘膜を攻撃しているのだ。一大事である。
ところで父は、事あるごとに自分の親の恨みごとを言い募った。話し振りからすると、どうやら親孝行するどころか、邪魔者、厄介者として邪慳に扱っていた様子なのだ。さんざん親不孝を働いた罪悪感があったところに“親知らず”が激痛をもたらす。まるで亡き両親が仕返しでもしているかのようにとらえている節(ふし)があった。
診察台に寝かされている父を受け付けの看護婦さん越しに見ていた。いよいよ、医師が歯抜き鉗子をもって父の親知らずを抜きにかかった時、父は顔面をひきつらせ、皺を寄せ、すごい形相で挑んでいた。医師がぐいっと力を入れる度に、片側の頬をゆがめ、痛みをこらえている模様だ。
痛かったの?
と、金を支払いお釣りを財布にしまいながら下足に履き替えている父にたずねた。
「いいや」とそっけない。「※ねえごつなか」
はからずも、全否定。あんなに顔をしかめていたのに。と思った。「麻酔がきいていたからな」すまして答えるその様は、さも、自分は痛みをものともしないツワモノといった風情だ。やはり、息子には弱みは見せられない。強がって
けれど、その夜、麻酔の切れた彼は、畳の上をのたうちまわっていた。
「おおげさな」
母に言わせるとこうだ。
それからしばらくして、わたしも虫歯になった乳歯の奥歯を抜くことになった。麻酔の注射を打つための麻酔を効かせるために甘い味のする脱脂綿を口に含み、じっとしていた。綿の成分が舌にしみてきて舌がしびれてきた。しばらくすると医師は歯茎に麻酔の注射をしてきた。チクリとしたが、きっと麻酔をしていなければもっと痛いにちがいないと思った。それからさらに、奥歯を浮かせるための液を注入するための注射をしてきた。そうして、頃合いを見計らって、医師は例のペンチをつかんでもってきた。
わたしは父がしていたように顔面をひきつらせ頬に皺を寄せ、すごい形相で医師の腕を口に迎え入れた。マスクで顔を隠し、中央に穴のあいた※額帯鏡に光を反射させ、わたしの奥歯だけを覗き込む。狙いを定めた医師に鉗子で奥歯を挟まれると、わたしは前にも増して必死の形相で顔をしかめた。医師は手慣れたもので、患者の表情なぞ、まるで気に留めない様子で淡々と作業を遂行した。ゴリ、ゴリリっと音がして見事に奥歯が抜ける。
痛いのは、麻酔の方だった。
いや、麻酔を効かせるための注射が最も痛かった。わたしは騙された気がした。あんな顔をして見せるんじゃなかった。
わたしは父を見て父の真似をした。父は誰か他人が歯医者の診察台で見せていた表情を真似ていたのだ。その誰か他人は、また誰か他人の所業を見て。それが歯医者で歯を抜いてもらう場合のマナーであるかのように。それを知っていた歯医者は平然と仕事を実行できるのである。
以来、何度か奥歯を抜く機会があったが、いつも安らかな顔で診察台の上にいた。しかし、父は相変わらず引きつったようなすごい形相で奥歯を抜いてもらっていた。
同じようなことはもうひとつ。父は走る時、いつも奥歯を抜くときと同じ顔をして走った。口を片側にゆがめ、歯を食いしばり、いかにも一生懸命に走っているかのように見せる。その姿を見ていたわたしは、一度だけそれを真似したことがある。中学1年の時に、体育の女性教師が陸上部にスカウトしたい選手を見いだしたいと、学年9クラスあった全員の半周100Mのタイムを計ったことがあった。
その時、どういうわけだか、わたしは父と同じ必死の形相をしながら走ったのだった。小学生時分のわたしは市の体育大会のリレーの選手になるほどの俊足の持ち主だったが、このときのタイムはごく平凡なもので、先行きも見込めそうなものではなかった。走り終わったわたしに「よく頑張った」と教師は声をかけた。
それがすごく恥ずかしかった。
なにをあんな顔しなければならなかったのか。さも苦しそうに、さも全力を出しましたふうに。本当にいやな気分がした。
「すごく頑張ったのに、タイムはたいしたことなかったね」
そんな反省をしていた矢先に、むこうにいた数人の女子生徒の間から、ふと聴こえてきたささやきだった。本当にその通りだと思った。思ったと同時に、あの顔を好きなあのコに見られていたのかと思うと、本当にもう全てを取り消したい気分だった。
それ以来、決してわたしは、平然とした顔で走ることにした。
父はいまでもちょっと重い物を運ぶ時、辛そうに口を片側にゆがめ、歯を食いしばり、ヒーヒー言いながら、いかにも一生懸命にやっているふうを醸し出す。
その手には乗らない。
※ねえごつなか=なんともない。たいしたことはない、の意。さらに方言が進むと、ねえごんなか、となる。
※額帯鏡=以前はどこの医者もこれをつけていたが、この頃では耳鼻科だけに残っているようです。
