安倍総理のことを口汚く罵る者がある。60代の男性だ。安保法や憲法改正について、やり方がわるいだの、独裁だの、戦争させる気か、などと言って。わたしはフムフムと聞いている。ところでーー
「いま、中国がなにやっているかは、ご存知ぃで・・」と聞くと、首を横にふる。
「ネットはご覧に」
なってない、と言う。新聞、テレビだけだ。
「ほんの少しだけ、検索されたらもう少し全体的なことが分かるかもしれませんよ。日本が法を変えたり憲法について議論が深まってきたのは、周辺の状況の変化もあることですし。もちろん、戦後憲法の改憲は自民党結党の目的でありますが」
控えめに告げる。
「日本にその気がなくても、中国は日本侵略を狙っているふしがあるように思えますね」
そうすると、ちょっと考え込んで、こう返答して終わりになった。
「人間は、そんなに愚かじゃない」
どうして急にそんな信念に飛んでいくのだ。
そんなことを信じている割には、不平不満が多くはないか? 話している最中に他人の誹謗中傷、役所の対応への不満、自虐史観など、およそポジティブなことは聞けなかった。
交通に《だろう運転》というのがある。
こんなふうに説明してあります。
>多分、大丈夫だろう」と自分に都合よく考えて、一方的に安全だと思い込み運転することを、一般に「だろう運転」と呼んでいます。その結果、「まさか、そうなるとは思わなかった」というような、思わぬ出来事が起きることがあります。
自分に都合よく考える「だろう運転」は、何度も繰り返すうちに「危険な運転である」という意識が薄くなり、やがて「大丈夫だろう」と身勝手な思い込みが習慣になっていきます。
「だろう運転」が習慣化することは、いつ事故を起こしてもおかしくない危険な状態にあるということを理解しましょう。
「だろう運転」の怖いところは、たとえば一時停止の標識がある場所で「誰も通らないから平気だろう」と思うことにより、周囲の状況を確認するという本来気をつけなければいけないことに注意が向かなくなり、危険を察知することが困難になることです。この状況で、もし思わぬところから自転車が飛び出してきたら、気づくのが遅くなり事故を起こす危険性があります。そのとき、「まさか自転車が出てくるとは思わなかった」では済まされません。
「危険なことは起こらないだろう」と安易に考えることは、事故につながる運転をしているということを理解しましょう<
「人間は、そんなに愚かじゃない」
などと身勝手な思い込みをして現状を観察せずに文句ばかり垂れる。それこそが愚かなことではないのか。AMPOだのKENNPOUなどと音を聞けば即座に「戦争」と短絡する。まさに動物の条件反射である。そして戦争=悪と頭ごなしに決めつけられている。思考停止、マインドコントロールの成れの果て。すっかり頭がヤラれている。このひと自身がすでに人間をやめているではないか。「人間はそんなに愚かじゃない」かもしれないが、人間をやめたひとや人間になりきれていないひとは、どうなのか?
車を運転するにせよ、国家を運営するにせよ、周囲をよく観察してやるのが、賢明なことである。希望的観測こそが甚大な事故や被害を引き込み、創り出すと言っても過言ではない。
望むのは、安全に速くであるし、また平和でより気高くである。
