死刑反対だ。
なぜなら、人を殺すのを禁止しているのに、国が死刑をするのはおかしいから。

ちょっと聞きには正論に思えます。
けれど、よくよく洞察すれば、このリクツの方がおかしいことが解ります。

人を殺したら、国家権力で殺すよ。

ということは、第一「殺すな」と言っているのです。

殺人を含む暴力でひとに苦痛を与えるなと言っているにもかかわらず、人を殺した。
そのひとを処置するために死刑があった。にもかかわらず、死刑の方を責める。
おかしくないですか?

殺さなければよかったのではないですか。

それも、不慮の事故だったり、意図しない事だったり。防衛の結果として相手が死ぬことになったのなら、杓子定規に法に当てはめるのは、それはおかしなことでしょう。

けれども、物取り、快楽、我欲、恨みなど、低い目的によって為されたことを放置できるでしょうか。ところが、そうした動機で起こされた殺人でさえ、人権弁護士が頑張って、いくらかの刑期を終えれば娑婆に解放してしまいます。心を入れ替えているなら構わないのですが、再発性の高い、特に性欲と絡み付いた、他人を害する行為なら再発の可能性は非常に高い。これは本人や周囲の者にとって好ましい状況を創り出しているとは言えないと思います。

死刑にしたからといってそれだけで何かが改善されるわけではありませんし、しかも死刑を求めることの大半が恨みを晴すためであるとすれば、あまり好ましい状況は創りだせません。

ですから、死刑をやめるなら、おかしいからではなく、自分たちのより高度な側面を経験するためにやめるべきではないでしょうか。

そうすると、量刑をめぐる攻防などバカバカしいものになります。低い目的で生きている者を早く娑婆に戻せば腕の良い弁護士などという価値観はなくなるでしょう。また、再犯の可能性の高い者をそのまま社会に混ぜてしまうのもあり得ないことに思います。それぞれに異なる人を平等に扱うのがいかに不調和を創り出しているか理解できることでしょう。

その人に合った進化の機会を平等に与えることが公平なのであり、本人がよほど望まない限り死を以て償わせることは人類の進化を遅らせてしまうと思います。