平和を愛し、他者を受け入れ、諸外国から学び、高めて出す。この心は、誰の中にもある。そして誰からも出てくる。日本人が永々として大切に守り、遺伝子にまで刻まれた性質だからだ。では、遺伝子化していない他民族は駄目で劣った存在なのか? ちがう。本々誰にでもある自然な想いだ。それを意識して実践していく内に社会で共有され、国是となり、遺伝子にさえコード化される。想いが肉体化していくのである。
民族としても振る舞いを虚心坦懐に観察するがよい。日本人は、不当な非難や難癖も、試練とも思わず改良する機会とする。そこにネガティブな感情をもちこまず、ただ高みに至る。その試行錯誤の繰り返しで、あくまで相対的であるが、他の追随を許さぬ程の工業化と社会システムを実現してきた。そして、教え合い、育て、共に豊かになっていく。高次の真実を分かち合い、物質的富も殖し分け合うのである。出すものが得るものだ。このことを知らず知らずにやっているのが日本であり日本人なのだ。だから、いつの間にか、世界一の資産をもっているのである。
これを認めたからといって即座に威張り散らせ、優位を誇示しろなどと言っているのではない。そんなものは、他人の業績をもって自分だとする劣等感の所業にすぎない。ところが、あまりに注意深いのか、自己反省が好きというのか、世の中には劣等感にさいなまれたくて仕方のない人というのがいて、どうしても現状を認めたがらないどころか、眼を背け、否定するむきがある。だが、どうしてそうなっているのか、意識のレベルで観察し、他に勧めることこそが愛であり、卑下して謙遜しているだけでは、秘密を隠した狡いやつなのではないかとさえ思う。
高めて出す。世界が共有するべき精神のひとつであろうと思われる。
他者を受け入れるといっても、高潔さを害するような考えや所業までヘコヘコ受け入れる必要はない。自由だ、人権だ、平等だ、友愛だ、のかけ声のもと、ーーしかしそれも、反面教師として、また侵略者とはどういう思考の持ち主かを身を以て知る機会であったが、相手を依存症にし、傲慢にし、いつまでもかわいそうで未熟なままにしてまで犠牲になるべきではない。逆に教えなければならない。思い出させてやらなければならない。自由とは平等と友愛の名の下に他者の権利を侵略することではない。自分に由る、すなわち自分自身がすべての原因であることを知っている、ということである。
あのような運動に力があったのは、われわれが、自分の本来の姿を忘れ、もしかすると自分も被害にあうかもしれない、いつ災難にあうかしれない、などと恐れ心配し、容認してきたからである。かれらを殲滅したいなら、自分自身の恐れや不安、卑下、被害者意識や罪悪感などに眼を向け、それらを相対化して、創造者としての自分を思い出すことだ。外に見えていることは自分の内面の一部である、と見なすなら、不都合な外の事象を滅ぼそうとは思わないだろう。
かれらが被害者ビジネス、人権ビジネスにいそしんでいるのは、われわれの弱さを根城にできるからだ。同情とか依存心とか被害者意識とか、罪悪感とか、不安、恐れ、それを拠り所にできると踏んでいるから強く出られるのである。
実に、キレイゴトを並べ立て、被害者や弱者を食い物にして富を横取りする所業にすぎない。
あなたはそんなふうに噓をつき、詐欺を働いて他者の富を奪い横取りせずとも、自分で生み出すことができますよ。それを教えてやらねばならない。
これまでは、大手マスコミをすべて乗っ取られ情報を操作されてきたことによってある程度仕方ないとも言えた。だが、一方的に誰かが悪だ、とするものや、誰かが100%被害者だ、とする情報はすべて、明らかな間違いだと、これこそ頭ごなしに決めつけて構わないことである。識別力とはそれを言う。
自分自身に権威を置かないもの、自分が創造者であることを忘れているもの、これらの論調は、すべて間違っている。進化という目的にそぐわないからだ。間違っているとう言い方に語弊があるなら、ごく限られた狭い見方にすぎない、と言い替えておこう。目的を機能させないのである。
比較は悪。差別は悪。戦争は悪。権力は悪。怒りは悪ーー。
これらはすべて間違っている。思考停止であり、霊的盲目度が高い。すべての思考がそこから発想され、そこに終着する。結論の決まったものに進化はない。
決めつけて踏みとどまること。
では、停滞は悪か? 停滞も進化の一部である。
おおきなおおきな視野で観れば、間違いというものはないだろう。しかし、いまの時点のテーマはこれまで正しいあるいは善だと見なされてきたことに、もっと異なる見方があることを受け入れる知ることであると思う。言い替えれば、優劣や善悪が単に目的のちがいを知らせているタグにすぎないと知ることである。絶対の倫理ではなく、そのレッテルを貼られたからといって、存在を否定されたと思うことはないと思い出すことであろう。
柔らかく解きほぐす。
われわれがこれまでの固定観念をゆるめ、絶対に正しいとしか思えない観念すらほぐし、より高度な認識に至ることは、あの泥棒まがいのビジネスを成り立たせなくすることでもある。
ーー長くなったが、このまま続けることにするーー
日本だけを悪にするのは、それ以外の国の主権性、独立性を奪うことになる。
だからそんな奴隷的な振る舞いは即刻やめることをお勧めする。
すべてが日本のせいなら、日本の一挙手一投足にコントロールされることになるからだ。そんなことはない。どの国にも独自性はあるし、自己決定権がある。
責任は万人に平等にある。誰しも、どんな国家も、自分の出したものを受け取る。
戦争を一部の支配者や権力者が起こすものだと言うのは、もうやめろ。権力はすべて悪だと言うのは、もうやめろ。戦争放棄が平和を乱すこともあると認めろ。
侵略させないのは、相手への愛である。俗悪な為政者や支配者を創っているのは、わたしたちの依存心だと認めよ。権力は大所高所から調和のために使用されるなら、可愛らしいものである。
幼稚で盲目的な裁定と信念はかえって望まぬ結果をもたらすことを思い出せ。
おためごかしでは次に行けない。世界はわれわれが創っている。もう一度言う。世界はわれわれが創っている。われわれ以外に一体どこの誰が創っているというのか?
個人の現実は個人の意識が、国家の現実は国家が、世界の現実は世界が。
個人の現実に国家や世界の現実を侵入させているのは誰か? 国家や世界の意識を創っているのは誰か?
われわれが盲目だから、シャドーグループにいいようにもっていかれていたのである。
もしスピリチュアルに眼を拓きたいなら、なんとなく信じ込まされていることに眼を向けろ。そして意図的に、自分の想いを持て。それで発言し、行動しろ。もし霊的に進化するのを望むなら、現実こそ直視しろ。歴史の噓を暴け。進化論がオカシイと認めよ。文明の直線仮定が仮定にすぎないことを知れ。
自分のやっていることを愛しているか?
生き甲斐をもって取り組んでいるか?
創意工夫をしているか?
誠実か、より誠実になっていっているか?
感謝しているか? より高度な感謝を覚えているか?
ユニークか? よりユニークになっていっているか?
自由か? より自由になっていっているか?
なによりも、自分自身を愛しているか。
実は、このことが、シャドウーグループの侵入を許さぬことである。
わたしたちが高度な意識を選択し、それでこころを一杯にしていてどうしてそれ以外のものが入り込めるだろう。
神になりかわっての傲慢な生殺与奪のコントロールゲームをストップさせるのは、われわれ自身が神の創造性を有していることを堂々と宣言し、ひとりとりが神性をもった人間であることを認めた時だ。
イルミナティあるいはシャドウグループはどこにいる?
わたしたちのDNAの一部に。そこを通して、ある意識が具現化されて表現されているのである。かれらの正体は、どこどこの誰々だ。個人の納屋一族、一家の具体的な名があがっているが、外側に表現されている姿にすぎない。
実体は、わたしたちの中にある。
進化のプログラムに予め組み込まれた反面教師であり、協力者である。かれらの存在がなければ、われわれは霊的にも科学的にも技術的にも進化しない。進化の実感も、到達の達成感も経験することができないのだ。
あの、外に醜く狡猾に見える姿は、わたしを進化させるために、わたしのDNAがあそこで発動している、と観る。
従って、われわれがより誠実に、より自由に、より創造的に、より賢明になっていけば、かれらの存在は変化せざるをえない。
われわれが進化することで、かれらを高みに押し上げてやらねば成らない。
前言を覆すようなことを言うが、何事も間違いという事はないに違いない。だが、いつまでも低い在り方で満足なのか? 常に問われているのは、そればかりである。
なにを悪とするかは個人の自由であるが、そこで留まっていて終わりですか、ということだ。
