帝国主義が失敗するのはなぜか?

アメリカイルミナティの一極支配が金融領土という仮想領土を全世界に広げつつある。これが史上、最も成功した例であろう。金融というルールが世界を席巻し、帝国化している。

なぜ、成功した?

金さえ儲かればそれでよい。地下資源さえ押さえておけばそれでよい。罪悪感を植え付けておけばそれでよい。金とエネルギーと観念(意識)を牛耳って人間を支配し、直接的な領土侵略や力による強奪、あるいはあからさまな文化破壊や歴史置換ではなかったからだ。

かれらも学んできたのだ。

領土への直接支配から経済支配へとシフトしたのである。土地や政府の所有をやめたのだ。

逆に言えば、われわれは、物理的領土から仮想領土へとかれらを追いやったのだ。押し上げたと言い替えてもよい。

われわれが気づいたので、同じやり方が通用しないとしてゲームのステージを変えてきたのである。

経済の牛耳を執ることで意のままに操ろうとしてきたのだ。

そのお先棒をかついできたのが、人権団体、環境保護団体、反戦反核団体、宗教団体などである。自然を愛し心優しい平和な人々も知らず知らずかれらの運動に組み入れられている。

加害者と被害者とその抵抗運動に関わる三つ巴の戦いの渦を利用し、人間の意識を低く押さえ、優越感に浸ってきたのである。この渦にエネルギーを注がせ煽り、ひとびとの目を回して溺れさせてきたのだ。

この責任はわれわれにある。気づかず、また気づいても放置してきたからである。あるいは、自分を被害者と見なすことで他者を加害者と見なすことで積極的に加担してきたのである。

だが、この金融経済領土という仮想領土もまた、いま崩壊しようとしている。それ故にかれらは最後の砦として日本を抱き込むことを決めた。死海文書に書かれている※1「太陽」を日本と読んでいるのだろう。日本の技術力、開発力、信頼を利用し、日本に投資させ日本的経営を広め、生産効率を高め、品質を向上させ、物質の循環と高度化をはかろうとしているのである。これが狙い目なのだ。というより、かれらは光の側に転じた。人間を盲目のまま無智に押え込み、優越感を得ることに飽き、共に発展していくしか道がなくなったのである。

それは日本が共産制の國だからであると思われる。まるで、「貴族制から封建制へ、封建制から資本主義体制へ、そして資本主義体制から社会主義体制へ。その最終段階としての共産主義体制へ」と言ったマルクスの預言を信じているかのようだ。日本は共産制のひながたであり、古来ずっとそれを維持してきた。封建、資本、と経てなったわけではないのだ。共産制をベースに表面が変わったにすぎない。

共産主義は各々の政府を否定し、すべての財産の私有を否定するものである。国家が統制するものであると考える。

非常に高度な社会なら、一部のエリートがいちいち指図せずとも“自然”に調整がついていくだろう。まあ、こういう考えを新自由主義と言うそうであるが、いまの世界の目覚めの度合いを観れば、100%自由にさせておけばズルをするものが出てくる。噓をついたり出し抜いたり、他人にだけはルールを守らせて自分は破って得をするだの、自滅行為をがやまない。さらに、完全自由なら、自由を制限する自由もある。自由を禁止する自由もあることになる。完全自由の訴えは自分を縛ることでもあることを認めねばならない。とどの詰まりは、どんな目的で社会を運営しているか? あるのはそれだけだ。ゆえに、自由主義者は、他者の自由を認めない傲慢な存在にすぎない。その目的を、すべてのギヤ、歯車、ディバイスが滞りなく動かしているか。そして現状を観察し、より高い目的を機能させるように柔軟に変化していく。これが合目的的行為であり、自由なのは、目的の設定だけである。目的を機能させる手段には自由がない。

人類の行き着く先であるとされる共産制のその姿は、縄文時代の日本そのものである。争いもなく、争いがあっても祖をたどることで治め、交換し分かち合い、教え合い、互いの邑を尊重し合う、わたしたちが意識せず当たり前にやってきたこと。すでに完成形が数千年前に提示されていて、やっと世界が追いつこうとしているとも言えるのだ。

ただ、科学文明がなかった。科学文明をもって、かつ共産制をもった世界こそがいま行こうとしている境地ではあるまいか。

話しは戻るが、かれらが物理領土から金融の仮想領土へと転換した背後には、個人の主体性、国家の主権性を認める方向に進んでいるとは観えないか? われわれの霊的覚醒にともってかれらの方法が高次化しているのである。

わたしの、そしてわれわれの主権性。これはかれらさえ侵すことのことのできない領域なのである。わたしたちが放棄しないかぎり、コントロールレバーに掛けている手の上から操作させなければ、つまりわたしたちの意思をテイク・オーバー(乗っ取り)されないかぎり、かれらには何もできないということに気づけば気づくほど、かれらは無力になる。

それ故に、ある程度は自分たちでやらせ、(その程度が問題なのだが)おいしいところだけ吸い取ろうとしているのである。かれらのアジェンダとは、どれだけ意のままに操れるか、生殺与奪ができるか、そのゲームなのである。(行き着く先は、世界制覇である)

わたしたちは、わたしたち自身でわたしたちの運命を決定していきたくはないか?

これが問いかけである。

答えから言えば、かれらに抵抗することもない。また、かれらを滅ぼす必要もない。ただ、わたしをコントロールしているのは、わたしだ、と気づきさえすればいい。それだけで、かれらはどうしようもなくなる。

イルミナティはシャドーグループと呼ばれもする。自称、イルミナティ。つまり光に照らされたもの、啓明などを意味する。しかし影に回って策略をめぐらせてきた。より明るい存在からすれば影にすぎないのである。しょせんはイルミネーション、暗闇の中で光るものにすぎない。Enlightenmentではない。周囲まで明るくする強さはもたない。だが、それでも無知蒙昧の者からすれば明るい。が、かれらと言えども自分たちだけでは何もできない。われわれの力を借り、助長することで、コントロールしているフリをしてきただけなのだ。

すべてがかれらの陰謀で、自分は翻弄されているだけだ、と妄想する者がある。たしかにそんな側面もある。だが、かれらにそうさせてきたのは、わたしたち自身である。たとえば、公安、治安を維持するためのルールが一人歩きし、ルールを守ることで自縛し、かえって治安公安をおかす結果となるような、手目転倒の現象をやらかすのは愚かなわたしたちなのだ。いったい、かれらが本来なんのためにいたのか? それを思い出さなければならない。

席を立とうとしたら「立て」と命令された。自分の意思で立ったのに、まるで他者の指示に服従したかのような錯覚を与えられ、いつの間にか、かれらの命令がなければなにもできないように信じ込むようになった。それが陰謀論者である。確かに世界には様々な策略、謀略があったし、いまもある。だが、それが見えたなら、回避することができるだろう。「いま、自分の意思で立った」と自覚することによって。従って、責任は自分にある、と。自分の創造力を否定し誰かに依存しようとするから、その誰かに都合の良いようにもっていかれているだけなのに、他人のせいにし、ますます力を弱らせる。

わたしたちが選んでやった。

これを認め、自覚しない限り、自分たちで変えることはできない。これからの世界を望むように創り出していくことはできない。

戦争をかれらの陰謀だの、一部の権力者が無理矢理やらせただの言うのは、忘却の最たるものだ。そんなことを真実だと認める程度であるから、大規模で辛酸を極めるような争いが起きたのだ。世界に不安が蔓延し、ないものは奪えばいいと考え、対立を強めたから物理的衝突が起きた。誰が不安になり、対立だと見なし、火力で正義を証明しようとしたのか? 誰だ? ヒットラーかチャーチルか? ルーズベルトか東條か? ムッソリーニかスターリンか? はたまた毛沢東か?

彼らはわたしたちの意識の上に乗っていただけである。われわれの意識の物理次元に現れた象徴にすぎない。彼らの言うことはわたしたちの意識であった。彼らの選択は、われわれの意識そのものであった。恐れ、略奪主義、覇権主義、優越感、人種差別、憎しみ、恨み、復讐、自存自衛、独立心、平和、愛・・・その体現者にすぎないのである。

ドイツ国民もいつまでもナチスとヒットラーにすべての責任をおっかぶせて逃げるのはやめよ。自分たちがやったと認めてユダヤ人虐殺の真実を明らかにせよ。殺すより、厄介者をまとめてソ連に押し付ける方が有効な戦略だったと言え。国土を持たぬユダヤ人がドイツから奪った富を回収し、着の身着のままでソ連に押し付けて国力を殺ごうとしていたのだとあかせ。それがどんな爆弾より効果的だったと。なにせドイツを苦しめた元凶だと見なしていたから。異民族、異端者を送り込んで国家を内部から分裂させるのが敵を弱らせる常套手段であるのに、わざわざコストをかけて大量虐殺するわけがない。大事な弾を壊すはずがないではないか。ゲットー、※2迫害、差別、※3アウシュビッツ、これらはその準備段階であった。そうして謂れなき汚名を返上し、自信と誇りを取り戻せ。同時に、イルミナティを聖域から白日の下に引きずり出せ。次のステージにあげるためにーー。

帝国主義は、無智と恐れに根ざしている。あるいはそれを利用して行なわれる。

だから失敗する。



※1「それは、悪が義の前から退く時に起こるだろう。悪は永遠に終わるであろう。そして義が世界の基準として、太陽とともに現れ出るであろう。驚くべき奥義を止めておくすべての者は、もはや存在しない。この言葉は確実に実現し、この託宣は真実である。」(1章6~8節)

※2 ナチス・ドイツに題をとった映画も、昔はユダヤ人をじわじわと巧みに追い込んでいっったものだ。徐々に財産を剥ぎ取り、ゲットーに押し込め、挙げ句にアウシュビッツに送って武器弾薬を製造させ、言うことを聞かなければガス室に送られるという噂が流れていて、言うことを聞かせた。人権も自由も少しずつ剥奪されていった様が順を追って描かれていた。
ところが、近年になればなるだけ、いきなりアウシュビッツに送られ、シャワーを浴びろと命令される。まるでベルトコンベアに乗せられて“殺人”を製造するかのようにゾロゾロガス室に入っていくようになった。周知のことだから、はしょったのか? と思っていたが、なんらかの政治的目的を達成するために、プロパガンダの要素が増していったのであろう。時代がさがればさがるほど、隠されていたことが明らかになっているにちがいない、という錯覚を利用して。

※3 ナチスドイツは化学兵器の開発をやっていたので、マスタードガスの効果を確かめる実験には人体を使っていたと推測される。その対象は、ユダヤ人だけでなくロマや政治犯も含まれていた。