霊性。しかしそれがなんの救いとなるか。それが《宗教》からわれわれを救ってくれるのか。王という権力、教皇という権威。かれらがわれわれに考えさせたいように考えさせることからーー。
「文学だ」ジョルジュが言った。「詩にこそ真実が描かれる。見ろ、これを」
懐から取り出した小さな書物。束になった羊皮紙に、おそらく手書きで写された物のようだ。
「これが今や俺のバイブルだ」
表紙には、La Commediaと書かれてあった。イタリア語である。ボッカッチョによってDivina が付与され、鴎外によって『神曲』と邦訳されたこの詩歌は、神々しい喜劇について、著者であるダンテが体験したかのように描かれたものである。日本で言えば、出口王仁三郎の『霊界物語』に匹敵する。おそらく、ダンテがただ喜劇とだけ言ったのは、初源のことを書いたという自覚によるものと思われた。なんの形容詞も修辞もついていない〝ただのそれ〟という意味であったろう。正真正銘ただの脚本(喜劇)である、と。喜劇と言っても、サロイヤンの『人間喜劇』が笑えないように、笑えるものではない。だが、ザビエルの思想に比べれば遥かに深遠だ。真理に迫る戯曲である。
しかしそれにしたところで、書かれていることを正義として裁き始めればカトリックと同じこと。物事にはただ結果があるだけーー
言いたい! けれどもモゴモゴ口を動かすだけだった。ああ、わたしの深い想いを声に出して言うことができなくなった。まさに閉ざされた心を具現化しているかのようだ。そう思いながらも別の考えも浮かんで来た。ーージョルジュがやろうとしていることへの批判はある。が、自分自身の矛盾に対して明確な回答が出せないでいるではないか。いまのわたしでは、声が出せたところで曖昧模糊とした想いを表すだけだ。
「ここにこんな※一節がある」折り目をつけたページを開いて読み始めた。「ーーあらゆる物事にはその間にお互いに秩序があるのです。その形があればこそ宇宙は神に似るのです。この点に気高い創造物は永遠の神の刻印を認めるわけですが、この永遠の価値こそいまふれたものの秩序がそこへ集合する究極の目的です。わたーー』
教会の鐘がなった。
あっ、という表情をしたジョルジュは本を閉じた。立ち上がり、これから行く所がある、と言ってコートを纏った。反カトリックを標榜する者たちとの秘密の会合であろう。
「今度は、どうにかしてイザベルをここにやる」
※ 講談社刊 平川 祐弘訳による
