この部屋は言わば隠し部屋だ。縦の木板で張られた病室の壁から切り出した戸がついていて、横の切れ目には帽子掛けが取り付けてあるので、よもやそこに部屋があるとは思わない。〝ヤバい〟連中を匿(かくま)うためにある。

床にあったちいさな木製の椅子や木箱のひとつにジョルジュは腰を降ろした。

「イエズス会などというものもが創設されたぞ。よりによってこのパリで。しかも大学の構内の一室で起きた化学反応がもとでだ。まったくけしからん」

アゴの髭をひねりながらジョルジュは続ける。

「スペイン出身の男でな、ちょうどおれのいた時期に大学を素足でうろちょろしていた野郎だ。顔は知っていたが、話したことはなかった。※例の事件が起きた頃から、やつらは宣教を始めたんだ。どっかで見かけたことがあると思ったら、フランシスコだ。薄汚い恰好をした澄ましたやつで、いまにもおれの足裏をなめんばかりの、いかにも殊勝なやつで熱烈な基督者だというのは伝わってきた。だがどこか甘えたような、遠くからこっちを見た時、まるで子鹿かなにかのようなあどけない表情をして首をあげたのを憶えている」

聴きながら話題の主の風貌と顔を想像した。

「そのどこか法悦に酔ったような雰囲気は俺の胸くそを悪くしないでもなかった。やつは、カトリックの在り様に疑念を抱いていた。だから、改革を望んでいた。すなわちアシジのフランチェスコに倣おうってわけだ。その名もフランシスコ」

ジョルジュは昂奮して立ち上がった。

「デ・ザビエルだ」

ならば、志は同じではないか、とわたしは憶(おも)った。再び腰を降ろしたジョルジュは続ける。

「これがイグナティウス・ロヨラって男と出会ったがために世相と逆行するようなことが始まったんだ。モンマルトルの丘で同志と共に誓っただと。確かに今いちどイエス・イマニエルの精神に立ち戻ろうとしているのはプロテスタントと同じだ。が、誰がやろうが、どんな考えであろうが、カトリックはカトリックだ。ローマ教会の手先にかわりない。やつらは善行のつもりかもしらんが、※③現に有色人種の国を征服する先駆けに使われているではないか。スペイン王もポルトガル王もフランス王も、ローマ教会とはもちつもたれつ、互いの野望を互いの力を使って手に入れている」

話している内にジョルジュは再びいらついてきたようだった。

「天下の悪法のくせに現地の宗教を蹴散らし啓蒙してやっていると思い上がっている。他国の信仰を《異教》だと呼ぶ。カトリックだけが正統でそれ以外は邪教だとして殲滅しようとするのは野蛮と言わずしてなんと言う」

その後のイエズス会は、合理主義の精神に基づいてか、神ーイエスー教皇ー人間の一直線の関係において、イエスなきあとローマ教皇の命令になんの異も唱えず従うことが神の意向に合致することだと信じて疑わない。「行けと仰せの所にはどこにでも行きましょう」と、この時から五年後の1541年に世界宣教の旅に出発し、1549年には日本も訪れている。その辺りのことは『聖フランシスコ・デ・ザビエル書翰抄』に記されている。当時、民衆の間でも盛んだった和風仏教とザビエルのぶつかり、またキリスト教に対する日本人の素朴な質問と反論は実に核心を突いていて微笑ましい。

ザビエルにとっての一番の驚きは、日本には世界の創造(万物創成)についての話しがないことであったが、確かに一般民衆には、秘伝書である『竹内文書』も『古事記』も知れ渡っていなかったに違いない。仏陀も、「まず、体に刺さった毒矢を抜くことだ」と諭し、どこから飛んできたのか、この毒の種類は何か、誰によって射られたのか、などと考えるのは戯論だとしている。ーー余談が過ぎた。


「イエスの教えをチラチラ見せて信用させ、それを味わったが最後、次の皿には毒が盛ってある。その毒もイエスの教えと信じて喰らう。骨抜きにしたところで容赦なく軍隊を送り込み、逆らう男たちを根絶やしにし、女たちに間の子の種を植えつける。まさに植民地だ」

日本以外の国々では次々にこの手で落ちていった。中南米などに至っては、純血種が一人もいなくなるほど征服された。

「まったく※③噴飯ものだ。あれが、霊魂の救済、キリストなのだそうだ。聞いて呆れる。ヨーロッパの悪習を地上の全てに輸出するつもりでいやがる。やつらが輸出したものの中で、最も罪深いのは、悪魔だ。そんな気の利いた物はいない。ないものをあると言い張り、恐れさせ、恐れで支配しようとする。なんてこった、その行為こそが悪魔の所業なのに」

ジョルジュうつむき頭を振った。

「女の霊力を殊更恐れ、最初に罪を犯したのは女だと決めつけ、穢れた存在として扱う。やつらのありがたいお説法など、そのへんの女にも及ばないってことではないか! 何が※④〝されば汝の肉体より女を遠ざけるべし〟だ、聖なる行為を悪しき卑しきものと言って汚し、性を抑圧して言いなりにしようって魂胆は見え見えだ。その一方で、特権階級だけがありつける甘美な戯れだと言って煽り欲しがらせる。自分たちにひれ伏し、服従させるために」

立ち上がりベッドの脇を行ったり来たりしはじめた。

「やつらは必ず、人気のある者の蔭に隠れて策謀する。既成の権力者であるやつらは、まず弾圧し、加熱させたところで侵入し、なりすます。※⑥そうやって次の権力構造に宿替えするんだ」


「なにが〝救済〟だ。人々にしっかりと罪悪感を植え付け暗闇の牢獄に閉じ込めておきながら、口先だけでおためごかしの慰めを語って聞かせ、ほんのちょっぴり光を与えて救われた気にさせる、とんだインチキだ」

ジョルジュは拳を固めた。

「プロテスタントこそ、真の宗教だ。これに取って代わらないかぎり、民衆の苦しみは解き放たれない。特権階級の支配構造のない、庶民の間で信仰される真の教義、それがプロテスタントである!」


ちがうちがう! 何度でも言う。ちがう。首を振り目を剥き、ジョルジュを見た。

ーー雲や水のようにつかめるようでつかめない、形があるようでない、そういうものをつかむ、心をつかむ、それが信仰だ。霊性へ眼を開くことだ。権力が運をつくると思うなら、いくらでも掴め。だが、つかむらくは、今だ。この日において他はない。それは言葉で定義可能なように決まってはいない。そういう《意識》にいることだ。もし素直な聴覚に蓋をしていないなら、自分の伝えることがより他人の心を開き、喜んで受け入れることとイコールであるところ。神のみわざとはそういうものだ。いま食べたい物が、いまの自分にとって最良の状態をもたらすこととイコールのところ。いま起きたことが、いまの自分にとって最善の結果をもたらすーー。

そう訴えたかったとき、わたしは口をつぐんだ。そしてうつむき、再びジョルジュに顔を向けた。

「どうした?」

わたしは首を振った。黙って聴いているわたしの裡(うち)で劇しく葛藤する想いを察することができなければ、無言でいるわたしはなにも考えず、なにも思わずじっとしているようにしか見えなかったにちがいない。

これが、本物の信仰か? どんなに辛い目に遭っても抱いてきた信念。だがーー。わたしの心は揺らいだ。瀕死の状態に陥ったこれが、ありもしない嫌疑をかけられ、果ては人相が分からぬほど殴られ声を取り上げられるこれが。本物の信仰が何か分からなくなっていた。

《バチカンは天秤の釣り合いを取る左の皿の分銅だ》

ダヴィンチの言葉を思い出しながらも釈然としない気分であった。わたしは軽い昏迷に陥っていた。一体全体わたしの何が引き起こした事態だったのか? それは皮肉にも贋物によって明かされる。だが、贋物が蔓延したこの社会を放置するわけにもいかない。贋物をまるで本物のように信じ込ませている今の世を。ただただ敵意と憎悪を焚き付け、民衆の目を逸らさせ、言論の規制、異端の弾圧、序列、服従、冤罪・・・。

顔や喉の痛みと内臓の重たさは、わたしをしてジョルジュの憤りと決意に同調させようとしていた。



※① 檄文事件

※② 一般に大航海時代とは1492~1520年頃までを指す。

※③ 赤葡萄酒を吹き出すというような言葉。

※④ エクレジアスティコ(新司祭寮)の戒律より「婦女子の魔力を汝の霊の上に及ぼしめることなかれ 罪は最初に婦女によりて犯されたり、またわれらはみな婦女子によりて滅びたり されば汝の肉体より婦女子を遠ざけるべし」

※⑤ 王侯貴族と聖職者・神官の権力争い。特権階級であることは共通であるが、自分こそ、神(=宇宙人)の正統な継承者であるという闘争がある。一方、同時に進行しているのは世界統一、覇権の獲得である。この意味するところは、民族性と国境の破壊と同一化である。本来は、真理によって在ることを認め、各々が高度な真実に目覚めていく公平や再分配や調和すなわち互いが互いの特性、個性を認め合った上での協力、教え合い、高め合う、という世界の創造なのであるが、地に落ちた人間の理解で実行されている。対立。紛争。破壊。搾取。蹂躙。無秩序。無理解。断罪。一部の支配者が全てを所有し生殺与奪の権利をもっているとする観念。時代を追うごとに段々に低く狭く解釈されるようになった。

※⑥ ローマ教は初めイエスの教えを迫害していたが、民衆に人気のあった彼の教えを取り入れた。また、共産主義の裏に回り、フェミニズムの裏に回り、グローバリズムの裏に回った。それが一神教的に振る舞う。全体の一部に蔓延したそれによって、ミニ世界統一が行なわれているというわけだ。