20世紀は帝国主義、侵略、植民地搾取の時代であった。それを反省するのは、世界中の国々である。


『侵略しないと共に、侵略させないことは愛に基づく意思と行動である』


反省した結果、そのように結論したのである。


こちらから他国を侵略しないことはもちろんのこと、あちらからこちらに侵略させない、さらには第三国に侵略しようとすることを牽制、防止するということだ。


かつては欧米がやっていた侵略と植民地支配。いまは、中国がやっている。

それをストップさせることはいまや世界の義務でさえある。

信じられないかもしれないが、現在、第三次世界大戦が進行中なのだ。

中国の集金noPAY、アジアインフラ投資銀行AIIB。これは、共産党の世界制覇の大ばくちである。まさに、日独伊三国同盟、日英同盟破棄、連合国と枢軸国の動きの再現であるように見える。

もちろん、大方の見方の通り、中共自滅の前夜祭である。

劣悪な平等主義の元に国境を食い破って肥大していく共産主義の獰猛な食欲が最期の締めに入ったのだ。

いまの世界大戦は火力による対立ではない。もっといやらしく、情報操作・印象操作による観念の書き換え、歴史捏造による非難、被害者意識を植え付けることによる人権蹂躙、罪悪感を持たせ続けることによる霊的盲目の維持・・・。そのようなものである。

かれらは一体何を餌にあれほど肥え太ったのか。

恐れ・不安・自己嫌悪・断罪非難・罪悪感・卑小意識・弱者意識・被害者意識・贖罪意識・選民意識・自虐・自傷・・・。これらを巧みに利用し、共産主義者の権力欲、金銭欲、性欲を満たし、満喫させてきたのである。

止まらない止まらない。歯止めの利かない、ブレーキのない、ただただ坂道を転げ落ちる雪だるまのように上塗りを続けてきたのだ。

人間の弱さ、恐れ、怯え、それらを喰ってぶくぶくに膨れ上がったのだ。

日本人は、あの第2次世界大戦の記憶がなまなましくアツモノに懲りて、戦争を起こしたことにばかり固執し、自分たちが戦争を起こしさえしなければよかった、そうしていれば世界は平和のままだ、などとあのような戦争を恐れてきた。

目を拓け! もっとだ。

背けるな! 正気を思い出せ!

わたしたちは、強い。強い強いたましい(霊)である。

あの膨れに膨れた中国の金融バブル。もはや政府の補填が追いつかない。それで考案された罠が、AIIBなのだ。

なんのことはない。すぐに紙屑になる元を基軸通貨である円、ドル、ユーロに交換したいだけなのだ。

あの中国の大きな無数の泡の集合体が、わたしたちの恐れの姿だ。

わたしたちがひとりひとり、正気を取り戻し、自信をもって己を見つめるとき、あの泡は一気に弾け、消えてなくなることだろう。

巧みな戦略に乗ってはならない。

いまは戦争中なのだ。わたしたち全員が参加している。他人事ではない。他人任せではならない。

どこで起きている?

わたしたちの心の中で。

起きている対決なのだ。

次の世界に行く、重要な分岐点。それが目に見えているのである。

勝て! 勝つんだ。恐れより、自信が。

勝れ。勝るんだ。恐れより、自信が。

いまの戦争の勝利は、平和であることだ。

平和を維持した者が勝ちである。

自信し勝ち。自信在り勝ち、なのだ。

この戦争に勝つことは、かつてのような物理的火力に特化した武器弾薬による武力ではない。

己の強さを信頼するという武の力なのだ。

武とはもともとそんな意味なのだ。

邪悪なもの(波動)に勇敢に立ち向かい、決して自分はそれを選ばないという心意気のことだ。

恐れない。

恐れを選ばない。

それが、武。

武を内に秘めているから武内。

わたしたちが、恐れを選ばないことは、平和であるということだ。

そこには、対立がない。

第2次大戦はなぜ起きたか? いつも論争になる。答えは簡単。

世界中に恐れが蔓延していたから。人々が、恐れに満ちていたから。

やらなければ、やられると考えたから。

いま、そんな枠組みを物理世界から葬り去る時が来た。

やられても、やりかさない?

馬鹿な!

そんなのはエゴイズムを好き放題やらせることだ。そんな盲目の脆弱さに愛があろうはずがない。

自主権をもった上での平和。

隷属して、表向きの秩序を維持した人生がなんだと言うのか。

中共の侵略行為を許してはならない。選民意識と傲慢なエゴイズムを放置することは、自分自身のみならず、相手をも滅ぼすことである。

物理紛争に踏み蹴れば、負けである。

どんなに戦闘に勝っても負けなのだ。

武器弾薬を置いておくだけで平和が保たれるなら、置いておく。100年兵を養い、鍛えておくだけで平和なら、おおいに食わせ、向上させよ。

憲法9条を変えるだけで平和が保たれるなら、変える。変えるという議論だけで平和であるなら、おおいに議論せよ。解釈を変えるだけで平和なら、解釈を変えよ。

馬鹿のひとつおぼえのように、反戦、護憲を唱えるのは、かえって物理衝突を引き起こし、侵略行為を看過することになるかもしれないのだ。

時代の変化を読み取れ!

2013年以降、パラダイムシフトが起きたのだ。

日本人が歴史を知り、時代における意義を見いだすことが平和に貢献することなら、必死で勉強しろ。

ただ単に、中韓のあるいは欧米の価値観、戦争観にひれ伏しているだけでは、かえって侵略を促進させていることかもしれないのだ。

当たらず障らず、ビクビクして言われっぱなしに言いなりになってブルブル戦争を恐れて萎縮して目をつぶることが、いまの時代最も危険なことなのだ。

いまの平和は、反戦運動によって成されるものではない。

わたしたちの開眼と猛烈な勉強と正気の取り組みによって創造されていくものだ。刹那、刹那の現実をわたしたちが創っていくことだ。

わたしたちが自信と正気で在り続けることが世界の平和を創り出しているのである。

世界を見つめ、その動きを正確に読み抜き、わたしたちひとりひとりが最高最善の腹案を持つからこそ、それが政策に生かされるのだ。

政府の動きを創り出しているのは、われわれだ。

わたしたちが平和な世界を創ることができると、信頼せよ。

それが第三次世界大戦の勝利である。