2012の末に政権交代が起こり、安倍晋三首相を総理大臣とする第2次安倍政権が誕生した。
これは、まったくの必然である。
安倍さんは安曇磯良アズミノイソラ、大和政権の本となった倭国の王の末裔なのである。
どうやら最近の研究では、倭奴国は わのなこく と読むのではなく、わぬこく と読むことが判ってきた。
奴とは大、おおきいということ。
倭大。これが後に日本風にひっくり返って、大倭→大和になったのである。
これをどうしてやまとと読むのかは不明。だが恐らくは、大和政権が、倭国を初め邪馬台国や狗奴国などを併合した形で東遷東征したであろうことは、想像にかたくない。名誉や手柄を独り占めせず、分散することで調和を取る方法は古代よりあったのにちがいない。
だが、この辺りのことはさらなる歴史の研究成果を待つとして、白村江で大敗したために、当時優勢を誇っていた安曇一族に男がほとんどいなくなった。そのご、勢力の勃興が興り、日本書紀・古事記では安曇磯良の存在が消されて現代に至っている。
アズミノイソラ。
アズミはもとは、アメ、アマから転じている。
倭国はアメノミナカヌシを神としていた。これは志賀島国民休暇村前の海水浴場のちいさな島に祭ってある。君が代の原型となった和歌も納められている。金印を贈られた国でもある。
アマ、アメ、これは天、宇宙、神のことを表している。
それがアズミと転じたり、アベとなったりした。
そして、イソラとは犬星すなわちシリウスのことである。
イソラを祭る高良玉垂神社は当然のごとく、龍神も祭っている。龍はシリウス出身で有名だ。
地球は2012年の12月21日、冬至をもって、シリウスの影響下に入った。復活したといってもいい。この星はローマやエジプト文明の建国にも貢献している。
アメが転じてアベとなった。
安曇、安倍、阿度部、阿部、・・・。これらはすべてアメのことを表している。
2012年の夏。年をまたいで2013年春。
イ・ミョンバクやパク・クネの相次ぐ侮日や反日活動だけが転機になっているのではない。日本人の多くが目を覚まし始めたから、これまで見過ごしてきた、日本の素晴らしさを取り戻してきたのである。
2012年12月26日。これが第二次安倍政権が誕生した日である。
この日を前後して、大きく報じられた反日活動に対して、多くの日本人が由々しき事態だと感じたのは偶然でない。
安倍政権の取り組みを支持する人がーー、強く支持する人が増えてきたのも決して外圧ばかりではないのである。
むしろ内圧。それまで閉じ込められてきた想念が、行き場を失って圧力をあげ圧縮され、さらに臨界点を超えて内側から沸騰したのである。まさに天に向かって吹き出し上昇するエネルギー。それがいまの日本の姿なのである。
天を駆け上がり、激しく体をうねらせている龍体。
封印されていた愛おしい想いが、ひとりひとりの心から爆発したのである。
それが集まり、たまってたまって、ラジカル反応を起こし、閉じ込めていた内壁を押し、蓋を押し上げて噴出したのだ。
わたしには想えるのだーー
かつて日本に生まれたことのあるすべての先祖霊、そして将来の日本のために命を燃やした英霊、アマテラス、スサノオ、・・・ああ、もう数え上げればキリがない日本の神々が一斉に目覚めて、わたしたちを鼓舞している様が。
どうしてこんなに日本が好きなんだろう、どうしてこんなに日本が美しく想えるのだろう、どうしてこんなに日本が愛おしいのであろう。先祖から代々、大事に大事に世話をして、子孫に受け継いできたその血と汗と涙と、努力と知恵と工夫と、ーー、ーー、ーー、ーー、ーー。
神様に守ってもらうのではない。
わたしたちが神様を守るのだ。
先祖代々、日本人は神様を守ってきた。
守ることが守られること。
守ってもらうために守るのではない。
ただ一心に神を守るのだ。この命を燃やして。
だからこそご先祖様は、鎮守の森を作り、そこだけはどんなことがあっても一時の都合だけで開発しなかったのだ。
先祖を、英霊を、日本の神々を敬い、慕い、感謝せずして、どうして日本人として報われよう。
ただただ黙って哀悼の念を捧げ、この素晴らしい日本を後世に伝えてく熱く静かな想いを滾らせずして、なぜ、日本人なのか。
日本人の心。
いま、中韓の横柄で留まるところを知らない日本叩き、日本汚辱に、多くの日本人が黙って見過ごせないのは、そういうことだ。
アメリカに住んでいようが、ヨーロッパやアフリカ、アジアにいようとも。よしわれこそは、と立ち上がる日本人や日系人が後を絶たないのは、日本の先祖霊、英霊、神々が心の中で励ましているからだ。
わたしには、そう思えてならない。
アメノウズメの系譜である安倍さんが政権を担当しているのは、まさにその象徴である。
宇宙から来たシリウス人によって伝えられた文明の復興。
きっと、倭国や大和政権を運営していた安曇一族にはその遺伝子と伝承が残っているのにちがいない、と思っている。
それで多少、好戦的な傾向を帯びていることは否めない。
もともと武とはムーの魂を表し、勇気や心意気を示すものであったにちがいない。それが安曇磯良率いる百済援護軍、大和政権の武力による国内統一など、西暦0年イエスの降臨を堺にかえって世界が乱れ、侵略と略奪が盛んになり始めた時代の局面としては、出てくるべくして出てきたのだ、と思っている。
神武とはしかして、シリウスとムーの融和を表していると、わたしには思える。
2015から2016にかけての周辺諸国のパワーバランスの急激な変化と緊張に際して、やはり出てくるべき時に、出てくるべき人が出てきた、と観ている。日本ではいつも、こうした人材が輩出されるからこそ、日本なのだ、と思う。戦国時代しかり幕末しかり戦後期しかり・・・。
復活しているのはシリウスだけではない。
同時に、ムーによってもたらされた縄文スピリット、愛と調和を思いやりをベースにした社会の復活、発展。カタカムナ、ホツマ、アヒル・・・・。古代の知恵を思い出し、さらに進化させる時期にあるのだ。
いま、日本史を学ぶひとが増えているのはそういうわけだ。
これからますますおもしろくなってくる、その押し込めきれない予感にわくわくせざるを得ないのだ。
