ミカドに帝の字をあてるのは違和感がある。
もし漢字表記するなら、御門であろう。ガド族。GATE、すなわち扉。真理への入り口である。
帝という字は、異文化、異民、他国家を侵略して包括、統括したイメージ。侵略の恐れから、他国や周辺を取り込み、同化することによって、侵略の危険をなくしたい。そういう文字に思われる。
もちろん、これも、多くをあるいはすべてを上から覆うというイメージなので、神の真理のようなものではあろう。
しかし多くは、他の独立を認めない。同化もしくは弱体化、愚民化が行なわれてきた。
皇の文字にしてもそうだ。王の上に白が乗っている。
王は、宇宙人に世話をしてもらっていた人間がその替わりをつとめたもの。
その王位、王権をめぐって争いが起きた。
王同士が争い、王の上に君臨する王、それを皇と呼んだ。さらに、他国や他民族を併呑するなら、帝国の皇すなわち皇帝になるのだ。
これも思いとしては、法による統治ではあるのだろう。
だが、例えば支那の皇帝と日本の天皇は同じ皇の字を使っていても、意味内容がまるで異なっていると思う。
ヨーロッパや支那の皇帝も、あまねく支配するという点では法や真理を真似しているのではあろうが、ではなぜ1000年続かないのか? 千年王国はなぜ不可能なのか。
共和、共同体とはコミュニティの訳語、和製漢語である。
神の本の統一。
そうであるなら、日本はとうの昔から共和、共同体なのである。スメラミコトの本に。
縄文時代から原始共産制をとっていて、争いがなかった。
支那、半島からの侵略に備えて大和政権が芽生えた。その時に建てられたのが、スメラミコトである。ーーのちに天皇と呼ばれた。
まさに、天アマ、真理の法による王を王として認める白い王なのである。
白は全ての色を混ぜた色。
そしてその形は、宇宙船=高度な文明、真理を表している。神社仏閣の欄干柱の頭にはこの形状がつけられている。ロシアの建物の先端にはこの形がある。モスクワという地名がモスクと無関係とは思わない。宗教にかかわらず、この形状が使われているのである。
したがって、その意味は、白。すなわちすべて、統べるもの、真理、法なのではないか。
天皇のことをスメラミコトとも言い、またミカドとも呼ぶのは、そういうことなのではないか。
真理や法をみこと(三言・命・御言・尊・詔)で伝える存在、真理や法に通ずる門ゲート。
その役割をしている巫女的存在、チャネラー、現人神。それが日本の天皇である。
したがって、その訳語にエンペラーをあてるのは、甚だ誤っていると思う。
エンペラーは、軍事力で反対勢力を皆殺しにし、人権を蹂躙し、力で押さえつけて支配するというイメージがある。
大和政権も、武力で幾多の豪族を従えた。
この武力とは、bu即ちムーの力のことではないかと思っている。3種の神器にある矛は草薙剣(くさなぎのつるぎ)勇気、心意気、邪を寄せつけない霊力をあらわす。
真の男。それが勇。いさましさ。心が強く恐れないこと。
恐れでなく、愛で行動すること。
これによって、従えたのだ。
従えるという概念は、支那やヨーロッパとは著しく異なっている。
スメラミコト(天皇)が神の言葉を降ろす。それに対して、その通りだ、と認めること。それが従うということなのだ。
軍事力で押さえつけられ嫌々イエスと言うのとはわけがちがう。
高度な真理を思い出させられ、その通りだ、と認める。それが日本の従うという意味なのである。
従える、とは、したがって、軍事力破壊力で言うことを聞かせたのではなく、真理(愛)を恐れもなく述べ、行動することで共感を得ることができたということなのである。
日本の天皇は、エンペラーとはほど遠く、同じ皇でも、軍事力・破壊力で支配し、為政者の都合や好みや価値観がそのまま法律になったのではない。
あくまでも御門。真理を発する扉そのものであった。深い真理さえ思い出せば誰でも認めざるを得ない言葉を発し、それによって、もともとひとつであった、統一していたことを思い出させてきたのである。
すめらみこと。
統めら三言。みことは命であり尊ばれるものであった。
もともとひとつであることを思い出せること、それが従えるという意味なのである。
人間はそれを軍事力・破壊力によってなそうとして、恨みの連鎖に巻き込まれ、千年続く王国を築くことはできなかった。ローマもロシアもドイツもムガールもオスマントルコもモンゴルも支那も。
日本だけが、二千六百年、いまだに続いているのである。(皇紀2674)
この世界に希有な天皇制という在り方。
それはまさにコミュニティそのものなのである。神の本の統一。
共和、共同体。
互いに互いを高貴な神と認め合う在り方。
それが踏まえられた上での戦国、下克上。明治維新なのであった。
