たしかに、防衛と経済にだけ重点を置けば、憲法改正、防衛費増大、集団的自衛権の容認、武器生産の自国化、武器輸出、核武装、・・・。となることでしょう。そして、軍備は平和のための必要悪として正当化され、どんどん増え続けていくことでしょう。そしてますます、軍事予算が多ければ多いほど、平和になっていくかのような幻想のなか暮らすことになるでしょう。であるから、ここに価値の転換が必要になってくるのである。


まず、軍事予算について、きちんと手綱を握ることから始めなければならない。これまでのようにGDPの1パーセント枠ギリギリのまま任せていれば善いというのはありません。難しい事は、偉い人に任せていれば大丈夫、ということはもうやめなければなりません。目を開けて、つまみを握りコントロールするのです。戦争が起きそうだと察すれば、増やし、起きれば増やし、終われば減らす。これを毎年毎年見直すのです。これが実はシビリアンコントロールというものではないでしょうか。

そして同時に、平和の定義を反転させなければならない。すなわち、軍事予算と軍備が少なければ少ないほど、世界平和に貢献しているとするのです。これは、他国を理解し、信用するところから始まる。そしてたとえば、軍事費、軍事予算を前年比どれだけ減らしたかを平和指数として賞賛するのです。そのランキング表を作り、上位であればあるだけ、平和に貢献したという価値観を創出するのです。他国への恐れが緩和されればされるほど、この指数はあがっていくはずです。であるなら、これを上げていくには、どのような人的交流がありうるのか。どのような歴史教科書を作ればよいのか、どのような貸し付け、どのような報道がなされるべきなのか、すべて変わってくることでしょう。そして減らした軍事費を福祉や教育、医療に回すことができる。そうなれば、高い税金を払うためにへとへとになって働くこともなくなります。人々は、拘束時間を短くし、もっと自分のやりたいことをやれるようになり、公助のため相互扶助のため喜んで税金を払うようになるかもしれません。GDPのランキングが上であるだけ幸福だという価値、信念も変化してくるにちがいありません。それは先進国から徐々に、中進国は先進国になり、発展途上国は中進国となり、物質文明のよさを享受する人々が増え、それが順に高度な霊性に基づく生活にスライドしていくことでしょう。


わたしは、この変化を牽引していく国が世界にふたつあると思っている。ひとつはアメリカ。それからもうひとつは日本です。


西欧のあらゆる人種をベースにアフリカ、南米の人種を呑み込んだアメリカは、霊的先進国でもありました。なぜ、かれらが第二次大戦を制したのか、そしてその後の世界経済においてパワフルに振る舞ってきたか。これはなんといってもプロテスタントの愛の精神があったからではないかと思っています。つまり、カトリックに対抗したイエスの教えに忠実であろうとした友愛、博愛の精神をもっていたからです。西洋の科学的合理性、合目的性、学ぶ姿勢、知識の開放、プレゼンテーション能力、基礎研究への惜しみない投資、・・・。やはりその精神は世界を席巻するだけのことはあった。

そのアメリカが陽とするなら、対をなすのは、東洋の島国、日本なのです。縄文人をベースとしてアジア各国の人種を遺伝子のうちに融合し、和をもって尊しとなし、合議を是とし、無常を美として奨励し、侘び寂びを趣向する日本人は、やや内向的で、勝利よりも困難を乗り越えることに全力を尽くす。他国から入ってきた言葉やアイディアを瞬く間に消化して高機能、高性能に磨き上げる抱擁力に長けている。この国は影、陰の国なのです。

1867年、1945年、2012年。この3つの年号を並べて見る。だいたい70年ごとですね。大政奉還から終戦、そして韓国によって日本が揺れた年です。黒船来航、明治維新による大変化。そして敗戦による大変化。そしていまである。韓(恨)流ショックとでも言いましょうか。おのおの何がどう変わってきたか、それはまた別の機会にゆずるとして、ぜったいに言えることは、日本人の意識が変化した節目の年であるということです。

昨今の嫌韓ブームとして現れているムードは、日本の右翼右派、国粋主義者、愛国者、中立者などによって作られたものではない、とわたしは観ています。もちろん、韓国の政策や反日教育、パククネの外交などによって造られたものでもありません。日本の目覚めなのです。第四レベルの覚醒が起き始めたのだと思っています。そのきっかけが韓流ショックであった。そういうことなのでしょう。しかし日本人の意識の高まりがあったからこそ、嫌韓がブームたりえたのです。反日暴動やパククネのやったことは、高まりの波の上にぽっと乗っただけなのです。


まだ、恐れをベースにした世界を創り続けていきますか?


いま、この問いに真剣に向き合う時なのだ、と思います。「殺されても殺さない」そういう心構えをもつべきは、日本人だけではあるまい。世界中の国のひとりひとりの人々がその覚悟で在ってこそ、平和による平和が実現するのではないか。もっと積極的に表現するなら、他者の主権を認め合う、ということではないでしょうか。全員が自己中心で生きているということを明確に知り合うのです。「殺されても殺さない」こんなことを言って回るのは、狂気の沙汰であります。実のところこれこそが、侵略と人権の蹂躙を助長する極めて低い波動から発想された人権擁護団体の思想であるのです。平和を求めて戦う本末転倒の姿なのであります。いつまでもいつまでも傷口を生々しく再現する、恐れそのものの惨めな姿にすぎないのです。それはまるで、赤いベロをペロペロッと出しては引っ込める白ヘビのような様をしています。そしてそんな活動をしていく費用を活動そのものから稼ぐことが目的にすげかわる圧力団大になり果てるのです。けれども、そんな団体が外部に存在するのはどうしてか、わたしたちは己の内面をよくよく洞察しなければなりません。わたしの心のどこがあのようなおぞましい姿として見えているのか。卑小意識、自己卑下、選民意識、卑賤意識、差別意識、あわよくば特権を有して他から搾取して楽をしよう、そんな心があれらの団体と活動に現れているのかもしれないと観ると、では、わたしの心はどう在るべきなのか、どう在ればあれらが消え去るのか、そこをよく観るべきなのかもしれません。


主権をおびやかせば、どうなるか。世界はいやというほど学んできたはずでないか。たとえ武力によって制圧しても、草の根でやり返される。植民地支配は永遠には続かない。必ず抵抗にあい、搾取した何倍もの富を取り返されるかもしれない。


奴隷として生きるのは、人間がこの世に来た意義の半分を否定するかもしれないからです。時にはそういう経験もあり得るでしょう。けれども、たまった鬱憤はいつか爆発するものです。しなくとも、搾取によって栄華を極めては、支配者そのものの進化が止まる。いや堕落の一途である。そうなったとき、支配被支配の逆転が起きないとも限らないのです。あの清国の末路を観なければなりません。


第一、白人の植民地政策は、ダーウィニズム進化論、純血主義、優生学、この3つをベースに正当化された一種の妄想であったのではないでしょうか。猿から進化した黒人が黄色人種に進化して、白人に行き着いた。その白人の中でも王侯貴族は格別だ。そういうハイアラーキーの思想に基づいて、人間以下として扱われたのです。ところが、人類の集合意識は一体なので、その一部を蹂躙すると自分の一部を蹂躙していることになり、いつか与えたはずのことを受けることになる。これが意識の原理というものです。このことは、個人でも民族でも人種でも国家でも、同じことが当てはまります。同じ法則が成り立っているのです。そこのところをよくよく踏まえて接しなければ、自分自身を愛したことにはならないし、もし与えたはずの被害を被っているとするなら、よく見つめて接し方を変えなければ、ずっと被り続けることになります。他者のせいにしても変化は無理です。自分が高みに至ることでしか結果を変えることはできないのです。

であるとき、まだ、恐れをベースにした世界を創り続けていきますか? ということなのです。どうせ中国は、沖縄をどうこうする前に革命が起きます。沖縄人はシナの遺伝子が多いから中国の一部だ、などと喧伝しているようですが、日本人の感情を揺さぶっているにすぎません。共産党はなくなるのは目前なのです。チベットやウイグルが独立する時には、惜しみない援助をすればよいでしょう。よく観て気にしないことです。そんなことより、より在りたい自分で在ることを追求していた方が賢明だし、それがあの国の改革を促進します。朝鮮半島にしても南北統一に向けて日本叩きなどやっている暇はなくなります。そして統一したあと、日本が韓国にした以上の貢献を北に対してすることになるし、そのとき、自分たちが日本にやった以上の工作や恨みを発露されるだろうから、そのとき逆の立場を存分に思い知ることになりますので、ないことはないと言明するにとどまって、いちいち仕返しなどする必要はありません。50年以上も独裁政権下に置かれて自分たちよりもっと未熟な同胞の世話をすることになるのですから。そうしたとき、あの国と国民は大人になっていくことができることでしょう。


軍備拡大、核武装あるいは「殺されても殺さない」という極端な物言い、反戦、人権擁護、弱者救済、差別撤廃、被害主義フェミニズム、宗教団体、思想統一などそんな方法で平和を勝ち取ろうなど、宇宙は「またか」としか思いません。「また、あの逆効果で目的を成そうとしているよ」「つまんない」と思っているのではないでしょうか。「また、あの方法で乗り切ろうとしているよ」「もう、数えきれないくらいの星でやって同じ結果になったね」宇宙はがっかりしているにちがいありません。ユーモアというのは、「お、その方法はなかなかないね」とか「それは宇宙中探してもまだ、やった人がいない」ということです。そんなアイディアを思いつき実行したとき、宇宙は笑っいるんですね。


軍事という物を平和をベースに見直していきませんか、というのがわたしの提案です。他者理解と信頼に基づいて、その予算や軍備を縮小した国が平和に貢献したとする信念と価値観を構築していくのです。これは、自国および他国の主権、国体を最高に尊重するということです。したがって、いますぐに全面撤廃などという暴挙に出ることを意図しません。いまのところ、一発の銃弾もないということでは理想の理想倒れになるだけです。同時に一斉に撤廃というのも難しい。ならば、ひとりひとりの意識が高まっていくにつれ不要になった分の軍備を減らしていくという発想が最も現実的であると思います。

そうして極まって極まり、最後の最後に一挺の機関銃が破棄されたとき、世界中が喚起に包まれるでしょう。


けれど、もしその時を狙って隠し持っていた戦車で攻めてくる者があれば、もう諦めて、さっさと死に他の平和な星に生まれます。