韓国は癌である。当初、このエッセイはその文章から書き出す予定であった。在日韓国人は日本の癌であり、韓国は世界の癌である、と。しかしやめた。だが、隣に韓国があり、国内に在日がいる。これがどんなに好運なことであったか。わたしはそのことをまず言いたい。まさに神の作った国日本である。絶妙の配剤。元は半島には縄文人(和人)が住んでいたそうである。そこに、シナ系の民族が攻め入り、(男性の)大量殺戮を行ない、じょじょに南に追いやり、ついには和人を追い出した。そこにモンゴルや女真族(ツングース系)などが侵略してきて、いまの韓国人ができた、とDNAの解析によっては描かれるのだそうだ。もしそうなら、韓国の女性には脈々と縄文人の血が流れていることになる。文化、文明は西から始まった、シルクロードを通って東に伝わり、半島を通って日本に来た。そういう短絡的なストーリーから抜け出せない西欧人や大陸人の見方を受け入れて来た日本人には取り替えのききにくい見方であるが。
癌というものを病気と見なし、やっつけて取り除こう、悪いものはなくずべきだし、なくせば、正常になる。これは信念にすぎない。ひとつの物の見方である。逆に癌というものが高度な霊性をもった存在であると見なすことも可能なのだし、実際、あれほどの周波数をもった存在もないのである。『患者よ癌と戦うな』と言ったのは、近藤誠であったが、まさにその通りなのです。癌は、メッセンジャーです。人間の言葉を話さないだけで。彼らの振る舞いを観察すれば、そのメッセージは明確であります。抗がん剤という名の猛毒を浴びせても、放射能を照射しても、なくなるどころか逆に増え続け、むちゃくちゃな治療に耐えきれなくなった本体が苦しみを経験するのをやめるために死ぬのです。ところが、治療などせずに、考えを明るくし、食べ物から動物性を減らし、化学物質を減らし、美しい水を飲めば癌は消えると言います。あれが血液の浄化装置として当座にもうけられた器官であるからに他ならないと思います。にもかかわらず、薬という名の化学物質を与え、マスタードガスを浴びせ、放射能を照射すれば、ますます血が汚れるので、かれらは大きくなって、体中に転移して忙しくなるのです。癌は悪だ、癌をやっつける、癌を取り除く、ーー治すという考えさえ、癌を作り蔓延らせる原因なのであります。
韓国はこれと同じである、とわたしは思うのです。つまり彼らの言う通り、韓国人は世界で最も優れた民族なのです。おだてているのでも皮肉を言っているのでもありません。確かにそうなのです。彼らは格別の使命を民族として有している人々なのである。韓国の凶悪事件は日本の10倍なのだそうだが、そのベースとなる値の半分は在日韓国人によるものだそうです。実際にかれらの被害に遭った人々には酷な言い方であるが、もっと高い所から観れば、問題を起こす人、嫌われ者、狂人、それができるというのは、強い魂だからである。強い魂だからこそ、人々がおのれを振り返る機会を提示できる事が実行できるのである。ヒットラーも同じなのです。嫌われている者をあざ笑うな。お前らには、そんな勇気もないくせに。それに耐えるだけの強さがないだけなのだ。癌を見ろ、あんな目にあっても、せっせと自分の使命を果たしているではないか。韓国人がどんなに健気に民族としての使命を果たしているか、それを観ずして彼らを語るべからず。とわたしは思います。戦うどころか、彼らの物言わぬメッセージを読み取れ。彼らが一体なにをして、なにを伝えようとしているのか。そうすれば、日本の、世界の行く末が決まるだろう。
そこは、正気というものだ、とわたしは思います。正気という所です。そこが旧約聖書に書かれた『約束の地』であるのだと思います。平和による平和の実現。これには、恐れを相対化した霊性の高まりこそ必須なのです。物事を善悪に分け、悪いものをなくせば善くなる。その考え信念を変えることが、超越ということであるし、世界は癌を必要とせず、また、韓国という在り方を燃やすことになるのです。あの小児的ヒステリーを恥ともせず振る舞う彼らをして見せつけられた在り方と照らして、戦後日本人の取ってきた態度を見直す時が来たのだと思うのです。
輝かしい反面教師がすぐ隣にいた。
自分を愛するがごとくに自国を愛せ、自国を愛するがごとくに隣国を愛せ。隣国を愛するがごとくに世界を愛せ。その示す愛は千差万別、ひとつひとつちがう。真の愛は決して、たからせることではない。足腰立たぬよう依存させることではない。そう、日本の神々が日本人にしてきたように。沈黙して独り立ちするのを観ている。じっと忍耐強く観ている。目を閉じ、腕を組んで静観している。そしてここぞという時に、カッと目を開く。そんな態度こそ、いま在るべき愛なのではないでしょうか。
日本人はいつまでも自虐史観のもと、(軍部のせいにして)被害者づらしてれば許されるくらいの誤解をしていては成らない。それをかれらの態度から学んだのです。かれらのあのなにがなんでも弱者である自分たちを被害者にする姿を観て。それは、加害を認めて謝罪と賠償をしてお茶を濁すやり方を繰り返すことではありません。おとなぶって、そんな言いがかりにかこつけて、プライドが高いから、素直に言い出せないが、本当は懐がさみしいんだろう? 財政が逼迫しているんだろう? などと袖から小遣いを出すようなやり方は、もうGDP世界二十指に入るようになった彼らにはうざいだけ。これから日本はそんな旦那気取りの袖から袖みたいなやり方から、いかに世界に貢献したかを明瞭に自覚して上手に表現していくやり方に変えるのです。かれらのとどまるところを知らないせびりから、日本人は自国の素晴らしさを熟知し、誇りをもって邁進する。それを思いださせてもらったのです。
あまりに悪者にされたからでしょうか、日本人は自分たちの善い人ぶりを示すために韓国と韓国人を利用してきました。しかし、独立と統一を促し、無の心で接した時初めて彼ら自身も、侵略の意図なき者さえ侵略にしてしまうほど主体性もなく外来勢力に押され寄りかかりなすがままに翻弄されてきた、被害と脆弱な朝鮮人というその歴史と在り方をやっと書き換えることができるのではないかと思います。朴正煕の祈った新しい在り方の歴史を書き継ぐことができるということです。もう、朝鮮人をスポイルしてはなりません。それが彼らの第一のメッセージなのです。
東京裁判史観からの脱却とか戦勝国に押し付けられた自虐史観と言うが、実は自己反省なのです。日本人は、ひとのせいにするのをよしとしません。それが行き過ぎて、罪悪感にまで落ちる。しかし本当はおのれをかえりみるとは、自信のなせるわざなのです。よく心を開いて見つめ、高い境地に至ることが、前の愚を繰り返さない方法なのはよく知られたことです。自虐史観をアメリカに押し付けられたから日本人は自信がないとする見方をわたしは嫌悪します。いつから日本人がそんなに弱く、主体性がなくなったのか? 石原慎太郎、田母神俊雄にたずねたい。
日本人は、みずから戦争に懲り、もうしまいと思ったから、戦争をしないのである。アメリカに憲法9条を押し付けられたからではありません。かれらは本当に日本人なのか? アメリカに、アメリカにと五月蝿く彼らのせいにして。いつから日本人はそんなに弱体化したものか。あれらが侍の精神をもっているとは思えない。負けた。そして、かえりみて、もうしないと決意したから、しないのだ。韓国併合にしてもそう。日本の国防の楯のために、飴をもらっても被害を受けた、おしめを替えても人権侵害と訴える者たちに余計なお節介をするのは、彼らの独自性と主権を侵害し、そうすればそうされ返すということを学んだからしないのだ。法律で決まっているからでも、アメリカに押し付けられたからでもない。人権団体が騒ぐからでもない。手助けは、相手の成熟度に合わせて最適なことをやらなければ、かえって足腰立たぬように依存させてしまい、癒着して足手まといになるのだ。
このことからして、第二のメッセージは、日本は善い人ぶるために過保護に他国を援助しない、ということになるのではないでしょうか。援助しないことが最高の援助になることもあるということは国に対しても同じことなのです。
そして第三のメッセージ、日本は自ら選んで参戦し、日本人として戦い、日本人として負け、そして自ら恒久平和を誓ったのだ。
第四のメッセージは、本当に目を覆い、なかったことにしたくなるような韓国の歴史・文化と比較研究することで、自国の文化・歴史に黙って誇りをもて。そういうことなのだ。誇りをもったなら、なんの気兼ねをすることなく、平和による平和を実現していってくれ、そう言っているとしか思えない。
少なくともわたしは、隣国韓国からそんなことを学びました。
