今日、こうして平和とか軍備のことを書いているのは、朝起きたら、書かなければならないと強く思ったからです。なにかこう、せっつくものがあったのです。軍縮についてのアイディアをひとつ示せ、そう言われているようにかんじました。


いっせーのーせ、で世界同時に軍備を撤廃し、平和が平和による平和であることは多くの人が望むことでしょう。しかし、この相対性の世界には、不安や恐れというネガティブな波動が同居していることも否定できないことであります。自分たちが軍備を解消したら、こっそりどこかの国が隠していて、攻めて来るかもしれない。そして奴隷にさせられて、奴隷であることに疑いを持つことすらできなくさせられてしまうのではないか、そういう疑念や不安もあることでしょう。

世界中から軍備をなくすことは理想にすぎない。最善の策ではあるが、現実的ではない。そう思う人も多いことでしょうし、わたしもそう思います。であれば、次善の策ではあるが、攻めて来られないように、軍備を拡張しておこう。そう考えて、やれ憲法改正だ、国産の武器だ、核武装だ、と言い始める人があります。まったくもって正論であり、愛国精神であり、平和論である、とわたしも思います。

平和論というものは、もしまっとうなものであるなら、決して戦争を否定しません。それは国としての主権を侵害させることがいかに相手の主権を侵害させるか知っているからです。国体の維持。これが、第二次大戦時における、日本が戦争をやり続けた意義でありました。植民地化させては、未来の子孫に申し訳が立たない。奴隷になるくらいなら、一億総玉砕。そんな未来など要らない。戦後さんざん非難されたこれらの思想、信念は決して間違いではないのです。当然のことであります。それは、個人にも言えることです。人権。エゴ、と言い替えても同じことです。主権。国体とは主権のことであり、国のエゴであるわけです。これは、個として生きているわたしたちにとって誰も否定できない特性でありますし、それ故に、他者のエゴを侵害したり、蹂躙したりすることは、互いの存在の均衡を壊す結果になるのです。わかりますね。ですから、平和論の神髄は、国体の維持、主権そのものと言っても過言ではありません。

ところが、明治から国家を作り始めた日本は、天皇に主権を置いていたのです。いまは国民主権なのですが、それは大衆と言うか世論というおおくくりの意識に主権を置いているのですが、天皇という個人に主権を置くと、ーーつまり日本という国の代表者として天皇を仰ぎ、それを守るために、国民のひとりひとりが犠牲になってもよい、消耗品のような扱いにならないとも限らなかった。それでいまは、天皇は象徴ということにして、国民世論に主権が置かれているというわけです。しかしこれが、例えば軍備ということにコントロールを利かせているかと言えば、前に述べたように、当たらず障らず無知、無関心が平和なこと、という意識で、コントローラーを握っていませんから、まるで波に漂うクラゲのようなものになっているのです。

市民社会を早くに実現したフランスとはちがい、また元からの大和の意識である日本は、天皇を中心にしてまとまるという方法が取り易いのです。それはともすれば、全体主義に傾いたと見られがちでした。しかし、合議制と全体主義は異なります。全体主義はトップダウン、命令服従、反論を許さない、上と下の格差、搾取、権利の差別、・・・。個人主義や儒教文化圏ではこうしたことが起こり易いので、きっと日本もそうだ、と決めつける向きもありますがちがいます。大和の意識による、他文化の受け入れ、あらゆる賢智を出し合っての最善の選択、分を弁える振る舞い、平等な分配、暗黙の諒解、・・・。日本にいればなんとなく分かることですね。それ故に、責任の所在がはっきりしないという、あいまいさをもっているのも特徴です。それでも上に立つ者の心得として、部下の命令無視や勝手な行動にも責任をもつということが美徳とされています。

戦争末期には確かに全体主義的に傾いたかもしれません、しかし日本人はやはり親兄弟を守るという気持ち、そして意見を出し合う合議の精神、天皇によって降ろされたご神託を認めます、という従順さ、これらは生きていたと思います。あまりもの言わずして意思疎通しますので、外国から見ると、命令に絶対服従しているようにしか映らないかもしれませんが、命令に従ったというより、おのれの内にある誠の心に従ったという方が本当は正確なのではないでしょうか。そうしなければ、死ぬ理由が見つからなかった。誠の心とは、ーー英霊が伝えてくるところによると、こういうことです。すなわち凛として一心。胸に剣を持ちながら、澄み切って研ぎ澄まされた温かい心。まるで、砂場で無邪気に遊んでいる年の離れた弟や妹を愛おしく、微笑みながら眺めている。そんな情景なのです。そこに荒れ狂った熊でも現れようものなら、命がけで守る。そういう心なのです。決して、美化したり、殺人を正当化するものではありません。ただ、この心にアクセスする度にわたしは胸が締め付けられ、涙がこぼれます。そんなにまでして託された日本を決して穢すことはできないのです。


ここまで書いてきて、それでは、最善の策、平和による平和というものをどうやって実現していくか、これがいつも人類の頭を悩ませる大テーマであると言えるのではないでしょうか。土台、歴史というものは、つまり戦争のことを言います。政治です。侵略と搾取、政権争いの変遷を記していくことなのです。平和であれば、ただただ永遠にいまがあるだけで、なにも書き残すことはありません。まつりごとと政治はちがいます。まつりごとはみんなが平和に暮らせるように神託を得て大所高所から裁量することです。けれど、政治にはそれ以外に侵略と搾取、政権争いが含まれてきます。

だからこそ、公教育の教科書には、政治的意図が頻繁に入り込むのであります。本来、歴史とは、事実をもとにそれをどう観るか、個人に任されたもので、歴史を事実を鑑み、また立場の異なるところから同じ事象について見解を述べ合い、どのように認識するかが、国や個人のいまや未来をそのまま創っていくことは知れたことであります。ところが、あったかどうか証拠も定かでないアイヌ人の迫害や東アジアへの進出が侵攻ではなかったかと議論になったり台湾の併合について記述がなかったりそのくせ日帝の韓国統治時における悪行三昧などが教科書にそっと侵入して、なんらかのプロパガンダが行なわれているのです。観念に潜入して信念を操作して誰かに都合のよい結論や行動を誘発しようとするものになっています。


歴史教育が、政治的意図によって運営されている事実。わたしが中学の頃には、進出か侵攻か、が問題となり、言葉がちがうと一体なにが困るのか、と思い始め、もうなんだか胡散臭いにおいを感じる以前に、あまりにいろんな勢力の意図が合流し渦を巻いていますから、教科書の文章が極めて曖昧模糊となり、なんど読んでもどういうことか理解できず、イメージがわかないことによって、一時期、自分の頭が悪いのかとさえ思ったほどでした。あれでは丸暗記する以外に手がない。以降わたしは歴史に対して嫌悪の情をもたざるを得なかった。それで、文学部受験をしているのにかかわらず、世界史、日本史はパスして、地理を選択したので、共通一次は89点を取ったものの、大学の講義において、歴史に対するあまりの基礎知識のなさに自分でも辟易したものであります。

大学時代を熊本で87年から93年まで過ごしたのですが、ちょっとインテリぶった連中が中山千夏を講師として招いたり、南京大虐殺や従軍慰安婦の写真パネル展示会などを開いているのも、一応は好奇心をもって眺めはしたものの、どうもいや~なものを覚えてさっさと立ち去る有様でした。そのころのわたしは子供たち相手に人形劇をやって見せたり童話だのを話して聞かせたり、宝探しゲームなんぞをやっていたので、まるで政治にも歴史にも関心がなく、『歴史なんか信じない』という寺山修司の言葉を楯にわたしの歴史嫌いは直らず、ここまできたのでした。最大の関心事は、いま、ここ、わたしがどう在るか、それだけだったのです。

ところが宇宙文字を訳すと、解決が困難だと思える出来事に最高のユーモアをもって応えたとき、宇宙が笑う、と知って、それはおもしろいことだ、と思ったのです。それでまあ、重い腰をあげ、眠いマナコを開いて、前述したもろもろの事に意識を向けたのでした。

ずっと一日中、凶悪事件の内容を告げる文章、動画を観続けるとどうなるか、韓国人の日本に対する小馬鹿にした態度、それに対する嘲笑など、そうした応酬にどっぷり浸かっていると、体が臭くなるのです。高熱を出して眠りうなされ、ちょっと恢復した時に立ちこめるなんとなく油っぽい匂いってありますよね、あれがほんのり自分から漂うのです。わたしはもうこのところずっと風邪すらひきません。熱を出して寝込んだなど、何年前か、思い出せもしないのです。しかしその時と同じ兆候が病気でもないのに出てくる。ゴータマシッタールタなどは、風呂に入らないのに、実に馥郁とした芳香に包まれていた、と言います。それとはまるで逆の、不健康な、いや恢復しつつある時の臭み。つまりはわたしの中に入り込んだ、あるいは蓋をされて覆い隠されていた何かが匂いとして霧散している。そんな風に感じられました。

きっと、これまでのわたしなら、こんなに集中して一気にこのネガティブさに触れることはできなかったでしょう。あっと言う間にその周波数に巻きずり込まれ、あまりに陰惨な事件の詳細に吐き気をもよおしたり、同じように韓国人をあざ笑ったかもしれません。ーーやり取りを読んでいる最中には、多くの日本人が反応しているのと同じ、怒りや不快さを感じはしました。しかし、ここでやっているのは、あくまで最高のユーモアをもって応えることですので、これらの個別の事象をどのように捉え、どのように昇華、止揚していくか。おのれの心を洞察していながらの集中学習でした。朝起きる度にまたそれらの動画を探して観ている。「まだ、やるのか?」と自問しながら、そして一区切りついたかな、と思った今日、こうして書いているのです。