ダニエルの出征を機にイザベルは修道院に入れられることになった。最後に会った時、ほっかむりをした彼女が
「これからは神に愛を捧げるので、誰かひとりの人間を愛しはしない」
と言った。
しばらくの間、実家に戻って身辺の整理と身支度している折、ジョルジュに会いにくるようにうながされた時だ。複雑な想いがあったのにちがいない。わたしが抱きしめようとするのさえ、穢(けが)らわしいといったふうに振り払った。
カトリック色の強い家に嫁いだイザベルには離婚は許されていない。
「いっそ、イングランド国教会にでも改宗するか」
兄の冗談にも笑わず、
「わたしはもう、神のもの。すべてを神に捧げるの」
と言った。
今のわたしには、これが神さえも愛さないという宣言にしか聴こえない。だが、当時のわたしは憐れにも、肉体は離れていても心はいつも一緒だ、などと本気で思っていたのである。そして時々思い出しては、院内のイザベルを案じた。
このイザベルとわたしの三文芝居があの時代の限界だったのかもしれない。肉か精神かの二分法を超えたところにあった領域がせいぜいその程度のものだったのだ。
ーー実のところイザベルは、断ち難きを断たねばならないおのれの運命を呪い、いつかどこかでふんぎりをつけねばならない、俗世に未練を残したくないという苦しい想いからであったろう。が、その態度が未練そのものであることが痛ましく悲しかった。
こんどの遠征は長期の戦になることが予想された。しかしダニエルの腹づもりは自分が帰って来ても来なくても、ずっと修道院に入れておこうというものだった。一生分に相当する寄付をしたことから、誰の目にも彼の企図が伺い知れた。
これがどういうことか、別の男への操を守り、懐かぬ妻を本物のカトリックに押し込み、またわたしとの仲を裂こうということなのだ。
