※ 4回の予定だったのですが、長くなりましたので、程よい分量に刻みながら進行することにしました。




英語の和訳は、逐一、単語を日本語に置き換えてそれを文法や構文に則して日本語にしていくことができます。


たとえば、


He is honest.


と書かれた英語があるとき、He が「彼」isが「である」 honestが「正直」だから、「彼は正直者だ」と訳すのですが、宇宙文字の場合、こういう機械的な変換の仕方ではないようです。



次に、宇宙語と似ているのではないかと思われる神代文字の訳し方ですが、


アヒル文字


カタカムナ文字

これらカタカムナやアヒル文字、秀真文字、オガム文字などの神代文字なら、現在のひらがなのこれに当たるとか、カタカナのこれに合致するという対照表があり、それにのっとり現代語に置き換え、単語にして文章にすれば意味がわかります。(というのも、日本語は古代文字の原型になっているので、読めるのだそうです)


宇宙文字に関しても、初めそんな変換の仕方をするのかと思ってあれこれ模索していました。


ところが、宇宙語はそんなものではないようです。


英語の翻訳で言えば、むしろ映画の字幕に近いかもしれません。たとえば、短パンにウエスタンブーツ、テンガロンハットをかぶった女性が


shit!



と、唇を噛みながら吐き捨て、立ち去るシーンで


ちくしょう!


と訳したり、


くたばれ!


と訳します。翻訳家は状況にそって、悔しさや苦々しさをうまく表現するであろう日本語を自分のセンスに従ってもってくるのです。意味さえ伝われば、というか意味は映画を観れば分かりますから、分かっていることを前提にして、ほとんど確認のためになるべく一瞬でパッとつかめる視認性の高い短い言葉をそえるんですね。ですから、


この、極楽野郎! と訳したって構わないわけです。


でも、そういうのとは似ていますがちょっとちがいます。


クソ野郎! と訳せばいいというのでもありませんよ、念のため。


おそらくほとんど一致しているのでしょうが、その映画を字幕翻訳家がどう観たか、それをどんな風に伝えたいか、そういう恣意も働くかもしれません。けれども、映画の作者の意、これがいかんともしがたく伝わっている。誤訳意訳、恣意。そんなもをかいくぐって、私たちに迫り、いずれ顕在化する。ふとした拍子に、作者の伝えたかったのは、こういうことではなかったか、と腑に落ちる。


たとえばこの場合、宇宙語を翻訳するでんでやるなら、こうなります。


『女の武器まで使って言い寄り罠に嵌めようとした相手に見透かされていて計画がうまくいかず、それどころかまんまとはぐらかされ恥をかいたと見なしたが故に怒りが込み上げ、これでは報酬がもらえない上にボスになんとおとがめを食うやら、なんにしてもこいつのせいだ、と憎み、思わず発したエネルギー』


そうです、つまり情動、情念そのものなのです。これは歌舞伎や狂言などのせりふの抑揚や余韻とよく似ていますね。これは言葉では訳せないけれど、意味がある。語間や語尾に~~~とか、wwwwwと言った響き。ここに発話者の心情がよく現れる。


「なんとなれば、まあ、くやしけれ~~、あなくちおし~~、www~~ww」


と首を振って唇をかんで涙する。


後悔、慚愧、遺憾、無念、忸怩、悔恨、・・・。


言葉にするとそういうことですが、この場面で、この登場人物が感じている情念は言葉では言い表せず、言葉にすれば、とたんに誤解を生む。その言葉の一般的な意味や理解のされ方、あるいは個人の観念をみたりすることになりがちだからだ。


宇宙文字の翻訳は、その言葉を入り口にして心に入り、登場人物に特有の情念を読み取る。共感するのに近いのではないかと思います。

さて、講釈は長々と続きますので、ここで内容を1つだけ先取りして紹介します。


宇宙文字に対峙して、これが笑いについて書いてあることが分かった。それは笑いの効能についてではなく、宇宙的笑いを紹介してあり、どうやら主に3つあることまでは分かった。1つめは1週間以内に、それから日を置いて2つめが分かり、3つめはつい最近分かったのだけれども、ちょっとここで3つめだけ先に書いておきます。


③ 形而上で会っているひとを形而下で引き合わせたとき。


つまり、意識の世界、想像の世界、あるいは霊界ではすでに毎日のように会っている恋人たち、これからのビジネスパートナー、なにかの理由で仲違いしたり引き裂かれたりしている者同士、またはそのふたりが出会うことでおおきな相乗効果を生むと算出された者同士を物理世界にて仲良く引き合わせることに成功したとき、出会った人たちも笑い、そしてそれに尽力した存在たちも笑っている、のだそうだ。


あの宇宙文字を絵としてながめたとき、上にあるエネルギーと下にあるエネルギーをつないでいるイメージでもある。それゆえに、ひいてみると3つとも上と下(あるいは内が外)の連携というか表出というか、そういう関係の笑いについて書いてあるようにわたしには読めた。


待て待て、その前に、あの宇宙文字が本物か? という問いをもたれる方もいるかと思うが、それはどうでもいいのである。出処もあまり関係ない。もし、邪悪な目的で情報を降ろしている存在からだったとしても、それはそれまでのことであって、特にそのメッセージを鵜呑みにして不安をかきたて慌ててなにかするなどということはしないからだ。(早くなんとかしないと地球が滅亡するみたいなメッセージにはそれこそちょっと皮肉な笑いをもってしか応じるつもりはない)それに地球の霊団以外の存在たち、銀河評議会や白色同胞団であっても、あくまで物理的肉体をもたず、食事もせず、分離性に乏しい、また法則も異なる世界や宇宙からのものであるので、必ずどこか地球離れしている。うまくアレンジしなければ使えない部分が含まれているものだ。それは無数にある外宇宙と呼ばれるところから来た存在からのものでも同じことだ。言ってみればそれは、うちでは通用している物の考え方が隣の家とは異なり、仮に隣の家が高度な調和を創り出す普遍性をもっていたとしても、すぐには使えないのと同じだ。ちんまりしていても、うちはうちでやっていくしかないというある種の諦めに似ている。もちろん、それが完全無欠のベストではないだろうが、さらなるベストにシフトしていく過渡期にあることを自覚し、常に霊的進化のプロセスであることを認め、こじんまりまとまっていくどころか、心を開いていくことによってうまく循環、機能、調和を取っていくことを忘れなければ、バランスを取り中庸を報せるための病気や不協和音、壊滅を創り出すことは不要であるし、うちなりに高度に進化していくのであって、よそのまんまをやるのでもなければ、やれるものでもない。地球的高度化をしていくのにうまく取り入れ使いこなす。そういうコンセプトでいるので、出処も内容もなんでもいいのである。ただ、ありきたりのものや不安に根ざしたものは、おもしろくないのでパスするだけのことだ。それを解読翻訳するよりもっとおもしろいことは他にある。


ともかく、この宇宙文字がなければ、少なくともわたしは《宇宙的笑い》について1度も考察せずにこの世を終わっていたかもしれないのであるから、貴重な紙切れだと思っている。


その出会い方ですが、これは電話だけ手紙だけメールだけ挨拶だけということもあるでしょうし、会わずとも「ああ、もういいよ、わかってる」と諒解するだけということもあるでしょう。また、頻繁に会い、互いのエネルギーを交換したり、共に仕事をすることもあるでしょう。こういったことは、なんとなく偶然に起きているものとばかり思っていましたし、まさかそれが笑いであるとは思ってもみなかったことです。が、これも笑いなんだそうです。


ーーもう文末がめちゃめちゃですね。ですますだったり、である調であったり。そろっていませんが、ご勘弁を。


3つあることは分かっていたのですが、3つめがどうも分からず原稿を進めるのをやめていた間、約1年半ほど音信の途絶えていた人と電話で話す機会を得、それが果たされたとき、ピンときたんです。これが3つめの笑いだ、と。

電話を切ったとき、わたしは確かに笑いました。ほんのちょっとしたアクションから、事態が微細に展開し始め、どうしても連絡しないではおられない衝動にかられて電話を入れることにしたのです。で、それが完了したとき、笑いながら、これにはハトホルが中心となって介在していることを直観しました。なぜかれらがそれを促したのかは分かりません。わたしがかれらを知ったのはつい最近ですし、特に熱心な信奉者であるわけでもありません。おそらくはその相手とハトホル的な認識をも地球的に実践して行くことに同意しているからではないかと思いました。わたしたちが過去生でエジプトに関係しているからかもしれません。が、ともかく、今回の《わたしたちの連絡》に関係した存在たちは笑っているのです。

このような場合の笑いは、日常わたしたちがよく経験する笑いとはまるで次元が異なっていると実感しました。かなり高度なことのようです。展開には一貫性があり、整合しているように感じられ、またなんのわだかまりもありませんでした。こじれた感情もなく、しこりも恨みや憎しみのようなネガティブな情動もまるでありません。周囲の観念とか過去の遺恨とかそういうのもまるで眼中にない。ただ、そうするのが普通、自然でしたし、まあ無邪気なお馬鹿ちゃんみたいに臆面もなく受話器を取ってダイヤルしたわけです。さらに、会話を交わしたことでひとり陰々滅々として淀んでいた想念が、意思疎通したことによって相手と混じり合い、新たなものが創造されて、さらーっとすがすがしく軽やかにまるで渓谷の流れのように、自然の行き先見つけたかのようでした。もちろん、終着地は大海です。


昔から、出会いの妙味というものは認められてきました。しかしこれに複数の目に見えない存在がかかわり、そしてその導きに素直に耳を傾け、行動することが高度な笑いとなって弾けるのだと知って、わたしは感心したのです。

これは笑いなんだ! 

上と下との共同創造の満願成就。

そうは言っても、伝えられた3つの笑いの中では最も範囲が狭いものであるようです。


しかしそれにしても、わたしの馬鹿みたいな行動が、誰かを笑わせていたんですね。わたしが笑うと同時に。


やれやれというものではなく、感謝・感激の笑いなんです。細胞のひとつひとつが微細に打ち震えるような。おそらくこういうことがある度に霊的成長も促されていることでしょう。


あ、それから今思い出しましたけれども、相手の電話番号は、1年半前にぜんぶ処分していたんです。メールアドレスもすべて削除していました。しかし、なんか連絡しなくてはならないような気がする、と感じ始めたある日、ふと、右手の本棚に放置してあったメモ帳が目に入りました。それは少なくとも2年は動かずそこに置いてあったもので、すでに風景と化していたものなんです。それがなぜだか目に留まった。仕方なくパラパラめくると相手の電話番号が書いてあるではありませんか。もう絶対かけろと訴えていると思いました。それよりも数ヶ月前に朝、目が覚めたとき3日続けて「お前から行動を起こせ」と聞こえていて、わたしはその度に「いやだよ。絶対しない」と拒否していたんです。そしたらこのごろ、偶然が偶然を呼び、どうしても連絡しないわけにはいかないと思える事態に進展してしまったのです。それにかこつけて連絡を取ったと言われればそれまでのことですし、物理次元だけでみればその通りかもしれません。


あちらからみれば、物理世界、顕在意識のわたしは厄介で困ったものなのかもしれませんね。しかしこの次元のわたしにまで本心を表現させるのが、あちらというかわたしのハイヤーセルフの楽しいお遊びなのかもしれません。それにしても、愛にあふれユーモアがあり、粋な計らいをするものです。宇宙文字にもそのエネルギーは必ず付帯しています。