【講釈】
前回、冒頭に掲げた写真。あれを観て、目を背けてしまいませんでしたか? まさにそれが宇宙文字を読めなくしているブロックのひとつなんだと思います。地上で最もすばらしい行為に対して冒涜し隠蔽し、もっとも残虐なものを平然と垂れ流す。
ところで、黄色い文字で書かれた宇宙語。あれを頂いたのは、7月2日のことでした。見て、まるで分からなかったので、じーっと眺めたあと『なにが書いてありますか』と質問し、そのまま眠りに就きました。次の日、部屋であれこれやっていると「笑いについて書いてある」とふっと来ました。笑いね、ああなるほど、そうかもしれないと思いました。そしてわたしの理性は「ならば、きっとまた笑いの効用かなにかについてうんちくが述べられているんだろう」くらいに思ってまた放置していました。
そして次の日だったか「地球で最高の笑いを超える笑いについてだ」とこれまたふいっと来るではありませんか。地球で最高の笑い? そんなこと考えたことがなかった。まあ、安い笑いにはいろいろあるだろうし、(使い方にもよりますが)皮肉とか嘲笑とか冷笑とか。でも最高の笑いってなんじゃ? と思いました。さっぱりわかりません。それでまた放置していたんです。そして次の日、その回答はこうしてもたらされました・・・。このことはまたあとで書きます。
こんな一連のことが重なったまた次の日、わたしは妻と長浜にラーメンを食べに出かけました。夜の10時か11時ごろです。目指すは妻のお気に入りの『元祖 長浜家』。車内でわたしは、宇宙文字をもらい、それがどうやら笑いについてかかれているであろうことを話しました。そして、もしかすると歴史上、地球でまだ1回しか起きていない笑いがあって、それを超える笑いがあるようだ、などと得意げに話しをしておりますと、横を1台の車が通り過ぎました。
そのナンバーが5555です。
「おっ、ゾロゾロ」
とわたしが気づくと、妻が言いました。「タイでは5はハって読むらしい。だからあれは」
「ハハハハか」
「そう。そういうジョークがあるんだって」
妻は仕事上、タイ人とつきあいがある。
「携帯は?」
「家」
「家ね、じゃあ証拠はなしか」
「ざんねんね」
「しかし笑いの話しをしていると、5555かよ」
などと感心しながらまた話しを続けていると、また横を抜き去る車がある。軽自動車だった。
そのナンバーは、222。
「おい、こんどはニニニだよ」
「そうね」
「どういうことだ?」
などと笑いながらまた話しをしようとすると、次にわたしたちの車をこえて行ったナンバープレートには、
2525
があった。
ここまでくるとさすがのわたしも、すごいと思った。
「なにこれ?」
「あなたの読みでオーケーってことじゃない?」
「なるほど、しかしあちらもやるねえ。ユーモラスな方法で伝えてくるもんだ」
まあ、そんなことが起きたが無事に到着し、『べたなま』を注文して食べた。うまかった。(道中、1111も見かけました。)
さて、笑いにまつわるエピソードはひとまず置いておいて、次に4つのイラストを観てください。
1
2
3
4
見てお分かりのように『怒り』の絵画的表現です。1→2→3→4となるにしたがってどのような変化があるでしょうか。
怒りをテーマに描かれた1の鉛筆の精細画、これには、どんな怒りかの情報がずいぶん詰まっています。ひとことで言えば、怒り、なのですが、そこには「殺してやる」という恨みも感じられるし、「ぶんなぐってやる」と言った情動も感じ取れるでしょう。それをデフォルメして、2番目のイラストになると、ずいぶん意味が削ぎ落ち、悲しみでなく喜びでなく、怒りだな、ということは分かりますが、なぜ怒っているのかは見えて来ない。カンカンに怒っているようだ、くらいにしか取れません。それが3番目にまでデフォルメされているとさらに意味が削ぎ落ち、さらに4番目ともなると、どの程度のどんな怒りかはもう計り知れない。けれど、怒りのマークだ、シンボルだということだけが伝わる。
宇宙語を翻訳するというと、なにか機械的に置き換えるようなイメージがあります。ですからむしろ、読む、と言い替えた方が適切かもしれません。宇宙文字を読む。
宇宙文字を読むとは、4を見て、それをゲートにして1をダウンロードするということに似ているかもしれません。
次回は、通常の翻訳とどう違うかを見ていきます。




