ダ・ヴィンチの説にしたがうなら、わたしの生きた時代、1500年から1542年の間には、ペストがあまり大規模に蔓延しなかったことから、どうやらそれなりに明るい時代であったようだ。しかしまたその明るい時代は次のペストの流行を醸造していた期間であったとも言えるのではないか。すなわち大罪を定め、戒律を作り、マイナスやネガティブを押しやり、押し込み封じ込めている時期でもあった。ポジとネガ、プラスとマイナスの両極の均衡を取らないどちらかに行き過ぎるのは、必ず揺り戻しが来るというのが摂理である。

勧善懲悪。あまりに理想に囚われ、どちらか一方のエネルギーばかりを尊重し、どちらか一方のエネルギーを否定し拒否するのは、かえって対極のエネルギーを噴出させる結果になることは周知のことだ。

「バチカンは天秤の釣り合いを取る左の皿の分銅だ」

と、ダ・ヴィンチは言った。

人気者イエスを看板にしたローマ教皇は、闇の勢力として鎮座し、光とのバランスを取ってくれていると見て祈れ(感謝せよ)、というのが彼の言い分だった。例えばネガティブなエネルギーを取り除いてどこかに捨てたと思い込んでも、実際にはそれをどこかに捨てる事は不可能で、いつも自分の内部に存在する。

「それは言うならば、いくらかの容量の箱に入れ続けているようなものだ。いつかあふれ、まとまった波となって戻ってくる」

燭台を灯したオレンジ色の部屋で、ダ・ヴィンチがあごひげをさすりながら言ったのをよく憶えている。

個人にあっても、他人あるいは自分から悪や罪を取り除こうとするのは、自分あるいは他人を攻撃しているのである。それは世界の半分を亡き者にしているのと等しい。真の力を削ぐ、脆弱な姿である。片方の脚を自分で刺しておきながら、正常に歩こうとする姿勢に他ならない。

「そんなこと不可能じゃろう?」

わたしはそんな人間の姿を想像しながら聴き入った。

もし巨悪があるなら、その一方で極端な理想主義もあるのだ。中庸にない社会には両極端が存在し、それによって均衡を保とうとしている。どちらかだけの世界は永続しない。ペスト(疫病)の蔓延の前には、必ず大規模で根の深い教義の締め付けが行なわれていたはずだ。そしてそれを覆そうとする理想による抵抗。

「これが人心の乱れである」

とダ・ヴィンチは言うのだ。極端から極端に走る心。それを『乱れ』と称していたのである。乱れは、人心の下降を意味する。つまり極度な恐れに傾いたということだ。その周波数に見合ったKINが増え、蔓延する。疫病は人々の意識程度を具現化しているのである。必ず、その時代の医療や呪術では手に負えないレベルだ。しかし、

「ペストKINは、均衡を取り戻そうとする働きをしているのだよ」

ダ・ヴィンチは続ける。ゆがみを露見させ、また正常に戻そうとしているのでもある。それを悪者扱いして攻撃するのは、誰に何をおこなっているのか。

「さて、われわれは、この一連のことやペストKINから一体なにを学ぶのかの。人々が学ばん限り、特効薬は出てこない。さあ!」

投げかけられた問いに即答できず、わたしは困った。


※バスティーユ 9参照