さてここで、わたしはいくらかの補足をはさまねばならない。
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「いいかジョバンニ、人様の家に出入りする時は、必ず尻からへえって、尻から出ろよ」
これが親方の教えだった。
いまではよく知られたことでありまた誰も使う必要のないことであろうが、みなしごのかっぱらいが生き延びる第一の鉄則はこれだった。
「そのときに大事なのは、背筋をピンと伸ばしておくこった。まるでつっかえ棒を背中に入れてるみてえにな。うわっはっは!」親方は、目を細めて笑いながらそうつけ加える。
入るとき尻から入れば、もし入り口の前から見つかっても、いま何も持たずに出てきた子供と見なされる。なにか用事があって入ったが、すませて手ぶらで出てきたところだと見える。家の中から背中が見つかっても、そのまま歩みの方向を逆にすれば出て行こうとしている子供に見える。そしてもし、酒を失敬して持っていっている最中に部屋の奥から見つかっても、
「これ、お届け物です」
と言って、その辺の棚にでも置いて出てくればよい。この場合は堂々と家に背中を向け顔から出口をくぐればよい。
テントを張った演劇やサーカスを無賃鑑賞するときも同じことだ。始まってしばらく、歓声が上がり始めたのを見計らうと、尻から潜り込りこむ。このころになるとチケットもぎりが肩の力を抜く。中で半券を拾い、たっぷり堪能したら、帰りは皆にまぎれてゾロゾロ出口から出るのである。
このようにして多くの芸術、芸能に触れた。後年どこかの一座にいた時には、そういう子供がいることは重々承知していたので、それらしいのを認めると、おみあげにパンをやったりした。
第二の鉄則は、気づかれない程度にもってこい。ということだった。取られた方が、なくなったのに気づかない数、質、量をかっさらうのだ。
「いいか、ジョバンニ。決して欲を出しちゃいけねえぞ。かっぱらいは、芸術なんだからな」
と言いながら、親方の取る量はわたしよりずいぶん多かった。持ち物に無頓着な者が多かったのだろう。
ある日、一緒に出かけて、放置された荷馬車の荷台のうしろにふたり腰掛けた。ガバっとひとつかみ握ったかと思うと、親方は手を開いて見せた。そこにはもう物がない。ズボン左後ろのポケットに入っていた。まるで手品だ。興味深く顔を見あげると、親方はニヤニヤしながらわたしを見た。
親方と過ごした数年は夢のように楽しかった。
