1534年、10月。檄文事件が勃発。
ガルガンチュワの話しを聞いたあと、ちょうどわたしは外国にいて現場には居合わせなかった。しかしジョルジュによれば、アンポワーズの怒りは止めどなく、プロテスタント(=異端者)を根だやしにしかねない勢いだった。
「いまは、息をひそめておく時期だ」
小声でジョルジュは言った。
ルター派の噂のあった者は捕えられ、公開処刑が行われた。もちろん、ジョルジュは怪しい者のひとりであったし、彼と会って話すわたしも疑いの眼差しをさけることはできなかった。このことが後にわたしが喉を焼かれる事件に結びついていく。
カトリック派の自作自演ではないかとの噂も流れた。しかし、それらをかき消すかのような死の粛正。厳かな死の行列が街を闊歩した。黒い司祭服。赤い円錐形の目出し頭巾。香炉。杖。鈴。聖体。十字架。あぶりだされ、連行されて行くルター派あるいはユグノーとおぼしき人々。
パリ市民は誰でも、心のどこかでカトリックに対して少なからずの反発心を覚えていたため、でかしたと思った反面、あらぬ噂が流れて我が身に危険が及ぶのではと戦々恐々としてもいた。
盛り返すプロテスタント。各地で衝突が起き、やがて国同士の戦争へと発展していくことになる。
1536年。
そしてこの年には、ダニエルという名前が急浮上する。
「すまん」とジョルジュは言った。「二か月前のことだ」
すなわち、今回のわたしの旅は六ヶ月に及び、その間にイザベルは結婚してしまったということなのだ。
「あいつももう三十路だし、将来のことを考えてな、しかたなく」
ダニエル氏は前妻を亡くしていた。
「急な話しで、おまえに相談する前に決めてしまった」
いわば新興成金と言ってもよかった。ダニエルの父親がイギリスとの交易でひと財産築き、それを息子が引き継いで発展させた形になっていた。代々のカトリック信者であった一家は、檄文事件以降、益々その隆盛ぶりが顕著になった。商売の成功は王侯貴族といかに親密になって、取り引きを大目に見てもらうかにかかっていた。カトリック信仰にかこつけた寄進を行なうことが必須であった。そのための熱心な信仰であって、真理を探究しているのでもイエスの教えを守ろうとするのでもない。
「獅子身中の虫ってやつだ」
ジョルジュはそうも言った。「やつは、カトリックを信奉しているわけではない。あれは商売上の方便にすぎない。言わば真のプロテスタントとも言える。だから、かえってやつの懐に飛び込んで行った方が、妹にとって安全でもあったんだ」
ダニエルの不在をついてイザベルはわたしの前に現れた。
わたしたちは、昼間、橋の上の雑踏の中で逢った。
わたしたちは、宵の広場で人目をしのんで逢った。
広場にはあのイチョウの木が立っていた。イザベルは、年を越し掃きだめに濡れた古びた葉っぱを一枚拾うとつぶやいた。
「この切れ目はどんどん裂けてゆくんだわ」
ふたりの間に暗い影を落とし始めた。わたしはイザベルを抱きしめることができなかった。人目を恐れたのだ。プロテスタント弾圧はいっそう激しさを増していた。
ダニエルの家も不貞には厳しかった。
信仰にかこつけた嫉妬の正当化。罪悪感の強化。
罪悪感とは、いけないといっているまさにそのことの煙りをかき立て、煽り立てる、実にうまく作られた仕組みである。ますます罪悪感を強化し、いけないと言っていることを取り締まる機会を増幅する。
新緑の季節。わたしたちは草原で睦み合う。イザベルの袖に草の汁がつく。それを認めたわたしが歌う。
グリーンスリーブス わが全
グリーンスリーブス わが光
グリーンスリーブス 金の心
麗しき グリーンスリーブス
ここまでは、既成の、共通の歌詞とメロディ。わたしは、持ち前のハッタリを利かせた歌詞を続ける。いつかケルト人から聴いた歌をもとに。即興詩人の本領発揮。
離れ難き人はそう籠の鳥
別れを惜しんで振ったあの袖は
今はわたしを忘れるために
どうして こちらでは人は生まれられる
ただ形を変えているだけなのに
生まれたような気がするの
戻るところもなく 行くところもない
いまあなたと共にここにいるだけ
グリーンスリーブス わが全
グリーンスリーブス わが光
グリーンスリーブス 金の心
麗しき グリーンスリーブス
別れ難き人はそう籠の鳥
惜別に涙をぬぐったあの袖は
今はわたしを忘れるために
どうして こちらでは人は生まれられる
ただ形を変えているだけなのに
生まれたような気がするの
戻るところもなく 行くところもない
いまあなたと共にここにいるだけ
歌を聴いたイザベルは、泣きながらわたしの胸に身をゆだねてきた。ああ! イザベル、イザベル、イザベル。愛しきわが恋人よ。わたしは強く強く抱きしめる。骨が折れそうなほど・・・。あふれ、溢れ出る涙。
ダニエル家に嫁いでもイザベルは体を許さなかった。ゆるしていれば、よもや事はあれほどこじれなかったのかもしれない。
ある意味でイザベルは厳格なカトリック信者であったと言える。いくら結婚したからといって、恋人以外とは肉体にも及んだ愛の交歓をしないのだから。
さてここで、わたしはいくらかの蛇足をはさまねばならない。
