バスティーユという小説のコンセプトにしたがって肉の解体・加工所で働いている時の記憶を追っていると、ミンチ肉に何か混ぜていることが思い出された。
初め、『ハーブ』と出てきた。ああ、なるほど、日本ではなじみが薄いがヨーロッパでは薬草を乾燥させて調味料にするんだな、と思った。すると同時に香菜と出た。香菜? ハーブの和名か知らん、と思いながら、調べた。セリ科の香辛野菜コリアンダーと書いてあった。うちには、偶然、つい3月ほど前から、コリアンダー・リーフの粉砕したものと焦げ茶のスパイスがあった。自家製ベーコンを作った残りだ。その時からわたしは、その語感から韓国のスパイスだと信じて疑わなかった。
「韓国のものを16世紀に使っていたわけがないじゃないか」
呆れて、ひとりごちた。
ところがよくよく調べてみると、それは地中海東岸の原産で、古くから使われていた、と書いてある記事が目に留まった。嘘だろ、と思った。まさに、小説の舞台となっているのは、そこなのだ。イタリア半島は地中海のまっただなか。
ところで、こうして自分の過去生を思い出す時に、ふと言葉が出てくる感覚は、ちょっと他に喩えようがない。暗記した英単語を思い出すのともちがう。1週間前のことを何かの言葉や出来事をきっかけに思い起こすのとも異なる。
なんと言おうか、ぱっとあるのである。なにも考えない先から、香菜、とあるのだ。どこにあるのかも解らない。ハートでも脳でもなさそうだ。何かがそっと教えているのか、チャネったのか定かではない、摩訶不思議な感覚なのである。
石灰、と出てきた時もまさしくそうだった。香菜、と出てきた後に、石灰と出たのだ。石灰? なんのことだ、と問うた。すると、腸詰め肉に混ぜていた、と来る。嘘だろう、と思った。ウインナーとかソーセージとかフランクフルトとか、そういった類いの食べ物にどうしてあの白い粉を入れなければならないか。あの運動場に線を引くための吸えば咳き込む粉末を。あの水をかければ高温になる海苔の乾燥剤を。
実に、以前、まねごとをして自家製ソーセージを作った時も、レシピにはそんな物入れろとは書いてなかったし、また普段食っている市販の物に石灰が入っているなどと思ってもみなかったことだ。
それでわたしは、なにそれ? と問うた。すると、本編にある通り、『鍾乳洞や山からなま石灰が発見され、安価で大量に出回りはじめたころで、まだ使い方が判明しておらず、なんにでも混ぜられた。中でも腸詰め肉は、量をふやかせるのと臭み消し、それからなにより出来上がりが固くなるというので重宝された』ということが出てくる。
家に帰って、ーーこれらのことが『出て』きたのは勤務先の会社の休憩室でのことだ、ーーさっそくググると、ソーセージには石灰が入っていると書いてあるではないか。嘘だろ、と思った。
腸詰め自体は旧約聖書に出てくるアブラハムの物語の映画を観た時にユダヤ人が羊の血と肉と腸で作っていた映像を憶えていたので、きっと古くからある食べ物だろうとは思っていた。しかし、石灰は?
なんと石灰は先史時代からその製法があったとされている。ただ、天然の石灰が鍾乳洞や山でいつの時代に見つかるようになって、いくらくらいで取り引きされた物なのかの資料を見つけることができなかった。であるから、棒線を引いた部分の裏は取れていない。きっとまちがっているものと思われる。
ともかく、現代でもそうであるように、新しい素材やディバイスが発見、発明されるやいろんな物に搭載されたり混ぜられたりした挙げ句、いくつかが効果ありとして歴史の風雪に耐える伝統になったりしたのであろう。
最後に、アルケルメス酒であるが、さすがにこれは、出て、こない。香菜や石灰は聞いたことがあるし、一応は既存の知識のひとつであった。ところが、この酒はまったく知らない。わたしは酒についてはまったくの下戸なのだ。日本酒と蒸留酒くらいの区別しかない。
ところが、さてそろそろ、バスティーユ9を書き上げなければならんな、と思いたった頃に、ふっと手許にあった児童向けの物語を開いたのだった。開いたページには食べ物や酒の名称がいくつか並べて書いてあった。どれも初めて聞くものであったが、その中で、なぜだか、この酒の名がひっかかる。わたしを捉えて離さない。ん? と思い、カバーの著者略歴を見た。これは、ーーイタリアで1800年代に書かれた本か、すると、この酒はイタリアのものか、と推測されたので、調べた。
なんと、いままさに舞台となっているイタリア、トスカーナ地方の、あるいはフィレンチェで作られたものだそうである。まさにわたしが少年時代を過ごした小国である。しかもサンタマリア・ノヴェッラ薬局で、修道士秘伝の酒を作ったのが始まりだと書いてある。つまり、修道士は建前上、禁酒であるので、いくら薬とはいえ、いや薬と言うことにしなければ飲めなかったのかもしれないが、古くからあり、それが正式に薬局で発売されるより前から、存在したのであろう。そしてそのことをわたしはレオナルド・ダ・ビンチから聞き、ミサの間に教会にこっそりしのびこんで頂戴するすべをおぼえたのにちがいない。
そんなわけで、わたしはまるで興味のない食品添加物やリキュールについて知識を得ることになった上にそれを書くハメになったのであるが、だいたい、この『バスティーユ』という小説自体、最も嫌いな西洋史について書くことになるとは予想もしなかったことである。
もうすぐ終わりますので、いましばしのおつきあいをお願い致します。
北村 透
