マインド、理性を否定することはない。


昨年にツイン・ソウルに出会うという体験をしてから、ーー変革を望んでいたのは私であるが、心ここにあらずという状態になることが生じた。当初は、なにが起きているのか分からなかった。なにか引きずられるように、自分がここにいないで、どこか別のところにいるような感覚なのだ。だからといってツイン・ソウルにだけ意識が向かっているのかと言えばそれもちがうのである。


このごろ、私は、ここにも在るようだが、どこか別のところにも在るような感覚に見舞われた。


いまはほとんど常時、ここにいるのだけれど、どこかに軸足があるようなかんじだ。


きっちり、これはこうと決めつけて、理路整然と世界を認識しているのではない、善悪判断をして合理的に生きているのでもない、なにやらフワフワしたような感覚なのである。と、言っても、日常生活がおろそかになることはない。むしろ充実している。けれども、ちょっと薄いようなかんじはするのだ。


これはなにかなあ、と不思議に思っていたのであるが、その謎が解けた。


つまり、顕在意識(マインドや理性)が潜在意識(ハイヤーセルフや一体性)に近づいているのである。潜在意識としてこの物理次元に在るのである。といっても、完全に一致しているわけではない。


いま、ここにある、などと聞けば、その感覚を濃くするために理性を存分に働かせ、罪悪感とか痛みとか苦しみみたいなことを充実させた方がより濃厚に思える。


けれど、実際には、いまここにいる感覚とは、いまここにいる感覚が薄いのかもしれない。むしろ、どこにでも、いつにでもいるという感覚なのだ。


たとえば、過去生が時系列に過去から現在に向かって縦に並んでいるというより、そのバーを横に向けたような観え方をするのである。しかも未来生も現在の先についているのである。


さらに、1つの生涯同士の壁が薄くなったようで、過去生同士が交信し易いように思えるのだ。


このままこんなふうに生きたら、未来の自分にとって有益かどうかを互いに確認し合いながら人生の舵を操作しているのである。


おそらくは、そういった通信、交信は誰でもやっているのだろうが、時間保護序説のもとにがっちりと今回の人生限りと決めつけているよりは、こんなふうに俯瞰するようになった方がやり易いのではないだろうか。


ツイン・ソウルに会うことで、私はとても満たされた。ハートも肉体も。全細胞がうち奮えた。この時、きっと私の周波数が高振動を始めたのだ。


それにともなって、顕在意識が潜在意識化していくスタートを切ったのだと思う。それで、逆にいまここにいない感が増したのではないだろうか。心ここにあらずの状態になったのだ。しかしそれが実は、よく言われる《いまここにいる私》だったのである。


出会った当初は一気に倍くらいにあがったために、違和感を覚えていた。それがだんだん慣れ、しかも今や倍になった時の数倍にまでなってしまったのである。


おそらくは、異星人がちょっと周波数を落とせば、私は認知できるのではないかと思えるほどだ。私がもうすこし上昇し、向こうが無理しないギリギリのところまで下げれば、肉眼で捉えられるものと推測している。


もはや私の肉眼は、ちょっと異なった周波数体を捉え始めている。(と、表現したところで、そんなにちがいはないが)


膜宇宙論というのがある。リサ・ランドールという人が提唱している。これから私が述べることは彼女の言っていることをずいぶん歪曲したことだ。


私は心の映写機を使ってスクリーンに映像を投射している。


スクリーンは膜だ。次元と言う膜である。


そこに写し出された物だけが、世界として私は認知しうる。


自分で好きなように写し出した映像を私たちは楽しんでいる。


3次元物理世界の膜である。


物は立体に見えるし、時間が経過する。空間があり、音が聞こえ、(ある周波数体の)光が見える。


そういう映像だ。


苦しいとか痛いとか辛いと感じることさえできる。


とてつもなくよくできたバーチャルリアリティである。


私たちは、通常、3次元物理世界の膜だけを見ている。


ところがである。映写機のレンズとその膜の間にも、映像があるのだ。


ここは見えない。


見えないが想像すれば、スクリーンに映っているのより縮小された映像があるのが分かる。


異次元というのは、そこである。


わかるだろうか?


通常はないものとしてあつかわれる領域。


像はぼやけているかもしれないが、そこに膜を置けば映ることは誰でも知っている。


そして大本が、私たちの各々の意識という、そしてその奥には共通した一体性(神意識でも空でも構わないが)である。


見えないがある、という世界は、映写機のレンズからスクリーンまでの間にある。


通常、3次元物理世界にいることに焦点を合わせている私たちは、映った膜の中にいるので、映写機や、レンズと膜の間が外側に見える。向こうにあるように認知される。さらには、異次元が見えない。


つまり、5次元とか6次元にいるという異星人たちは、3次元の膜とは異なる膜に写し出された人々なのである。


そこに住む人々は、大本と映写機と膜の関係を知っている。であるから、もう少し自己を広く自由に見つめ、自在に創り出せることを知っているし、できるのだ。


異次元の膜にいながら、大本をいじる方法を知っているのである。


つまり、ここにありながら、どこにでもいるというわけである。いつにでもいるのである。


いまここにあるとは、今現在どこどこに所在していると他から分離した限定した感覚ではなく、全体の一点にいることを同時に自覚している状態だったのだ。


分かるだろうか?


全体も自己であり、また一点に集中している意識も自己であるということを同時に知覚しているのである。


どちらか一方ではない。


よりその自覚の仕方になれば、できることが増えることを知っているゆえに、存分に宇宙を使って楽しむことしかなくなる。どんなことでも楽しみだと知っている。いまはできなくとも、もっとそう自覚することによってできるようになるので、急がない慌てない。いまを十分の十に楽しむことがその自覚を深めることを知っているのだ。


ただ、自律心とか意識の制御力を3次元の膜にいるよりも身につけておかなければ、一気に霧散してしまうのであろうと思う。


波動の世界をよく理解し、コントロールする術を覚えなければ、とてもではないが、生きていけない。アニメのキャラクターみたいに、一瞬で画面の上に行ったり下に行ったり七転八倒し、大笑いを誘うことだろう。


したがって、高次に生きるとは、意識の一点集中力を高めることでもある。迷ったり悩んだり、あるいは極端な思考をしていると、笑えるようなおおごとになるのである。


で、ここまで遠回りした上で、題目に戻ることになる。


すなわちマインドや理性といった顕在意識の領域をどう使うかである。それらは潜在意識とつながっている。より重ねる方法がいくつか提案されている。


毎日、同じ時刻に同じことをするとか、毎日、お経を唱えるとか、運の好い口癖をつけるとか、アファーメーションとか、明るい人と一緒にいる時間を増やすとか、いくつかあるが、私にはこれが結局は、顕在意識を潜在意識に近づけ、重ねている試みに観える。


顕在意識の周波数を高めることによってそれ自体を潜在意識化していくのである。


たいていが自覚のないまま、私たちは洗脳されている。いつのまにか他者による洗脳を受けている。どうせ世の中こんなもんだ、とか、おれは不幸な星の下に生まれたんだ、とか、なんてついてないんだとか、悪いことをしなければお金もうけできない、とか、病気になったりすぐ化学薬品を飲めとか、世の中なにが起きるか知れないとか、ちょっと油断していると、そんな観念がどしどし侵入してくる。分離感を増すのに効果があるのだ。より濃厚に限定した自己を知覚するのに役立つのだ。


このカラクリが観えたなら、煽動している者を追求して成敗するのではなく、自分で自分で洗脳するのに、マインドや理性を使うのである。


洗脳自体を悪く言って殲滅しようとするのは、ーー。言わない。


たとえば、いわゆる天国言葉を口癖にすることで、顕在意識を潜在意識化していくのだ。


分離的に表現すれば、顕在意識から潜在意識に影響を与えるのである。


そうすると、潜在意識から、その天国言葉に見合った言動を誘発し始める。


誘発し始めると、そう言える状況が生成されてくる。自己の言葉が証明される物事が起きてくるのである。(地獄言葉のひとも原理は同じ。だが、地獄言葉を吐く人は自分が何をやっているのか知らない)


これはかなり、両意識が統合された状態ではなかろうか。


そうなると、膜と映写機と大本の関係が俯瞰できる。


自分は膜の中だけにいるのではないことが観える。


異次元の存在がいることくらい、普通に認められる。


天国言葉で自分を満たしていると、他の言葉が入ってこなくなる。誰かが使っても、微笑ましく映るだけである。その効能が観えるからである。


天国言葉だけでなく、高次の光を自分が発しまた満たされているイメージでもいい。好きな方法で、顕在意識の周波数をあげるのである。そうすると、それが潜在意識と一致していく。


一致していくと、どんどんより高度な霊性がふつうに分かるようになる。なると、物理次元でもどう生きると、生きたいように生きることができるのかもより分かってくる。分からないことも素敵なことだと思えてくる。


どこか高次なところに行くのでなく、いまやっていることを最高に楽しむことが高次なのだと分かる。それが使命であるし、天職だとふつうに思える。


それでいて、なにをやるのが自分にとってよりエクスタシーか、これがテーマなのだと分かる。(このことについてはまた別に書く)


マインドや理性を否定するのではない。


それを使って潜在意識に働きかける、あるいは、それ自体を潜在意識化していく。


この視点をあなたにプレゼントしよう。


もし、この次元にいながら、もうちょっと気楽に、そして希薄な感じで生きていこうかなと思ったら、どうぞ使ってください。





天国言葉=ありがとう、感謝してます、愛してます、ついてる、嬉しい、運が好い、ラッキー、幸せ、満足・・など。