あるひとと、小さいが瀟洒なイタリアレストランに入った。食べながら、さっき観たばかりの劇団四季の『ジーザス・クライスト=スーパースター』について感想を出し合った。そこではイエスは普通の人として描いてあり、観客のみなさんと同じ悩みをもっていたのですよ、と言わんげでした。そして、この劇のメインのメッセージは、マグダラのマリアが何度か繰り返す「思ったようになる」なのではないかと思った、といった話しをした。パスタもピッツァも、水もとても美味しかった。
食後に珈琲を飲もうということになった。
もう一度メニューを開くと、イタリア語で、つまり横文字アルファベットで書いてあった。僕はエスプレッソというのを頼むことにした。それは、観劇の前に入った、Tullys(タリーズ)コーヒーでまちがってグランデサイズを頼んでしまい、胃袋がコーヒーでだぶだぶだったからだ。あれなら一口分のカップだ。
「ねえ、このCoffe Lungoってなにかな?」
と、あるひとが言った。
「ふむ?」
それは、4行目か5行目にあった。
1行目には、espressoと書いてある。それはもちろん、あの濃縮した珈琲のことだろう。2行目3行目にはCoffeなんとかが並んでいた。
僕は手をかざして波動を読み取る素振りをした。
「ううむ」
きっと一番上に書いてある、espressoが、素うどんと同じでスタンダードなのにちがいない。イタリアではespressoが普通の珈琲なのだ。
それならば、と僕は考えた。必ず何かが入っているはずだ。ミルクとか蜂蜜とか。バターとか。
「ああ」
と僕は思いついた。
「これには、アルコールが入っている」さも、文字から波動を読み取ったふうに「ブランデーかなにか」
「へえ」とあるひとが言った。「聞いてみようか?」
「いいよ、聞かなくても」
僕はそれを注文するつもりがなかったので否定した。もしまちがっていたときのことを考えてのことでは、決してない。
店員がやってきた。
「あの、これなんですか?」
聞かなきゃいいのに、そのひとは聞いた。
「えっと、いわゆるふつうの珈琲です」
「そうですか」とそのひとは答えて、それを頼んだかは忘れた。
それは、おかしいじゃないか! と僕は思った。それならどうして一番上に書かない? どうして、普通の珈琲がこんなに下に書いてある。
疑問がうすまいて、他国の文化を否定しそうになった。
けれど、別に羞恥心はわいてこなかった。ただ、僕の手のひらが、どうやら、知らない言語の意味を感知できないことが証明されただけだ。
あとで調べると、イタリアの珈琲はこんなことになっているそうだ。
カフェ :エスプレッソのこと
カフェ・マキアート :エスプレッソに少しだけミルクをたらしたもの
カプチーノ :泡だてミルクを入れたエスプレッソ
カフェ・ルンゴ :エスプレッソに比べて水の量が少しだけ多い
カフェ・ラテ :(泡なし)ミルク入りエスプレッソ
カフェ・アメリカーノ :フィルターコーヒーまたはエスプレッソにお湯を足したもの
カフェ・コレット :グラッパ入りエスプレッソ
カフェ・コン・パンナ :生クリーム入りエスプレッソ
次の日、同じ人とまた別の喫茶店に入った。仕事の打ち合わせをするためだった。看板にはハイチコーヒーと書いてあった。そこで、メニューの一番上に書いてある、普通のコーヒーであるにちがいない、ハイチコーヒーというのを頼んだ。
しばらくして店員が運んで来た。
そこには、ラム酒が添えてあった。
どうやら、僕の手のひらリーディングは、翌日に効果を発揮するようだ。
