僕は常日頃から、ハート(心)の満足から始めよ、と言っている。つまり要するに、これが僕の探し求めてきた答えだ。この答えを出すまでに、実に僕は30年の歳月を経た。でも、気づいてみると至極当たり前で、こんなことは宇宙始まって以来言われていたことだ。僕だって幼い頃から知っていた。思い出したように時々ポツポツと聞いていたし、青年時代にも、ずっとどこかで誰かがささやいていた。そしてこの答えをわがものにしようとする、ほんのちょっと前には頻繁に、それこそ毎日のように耳にしたり目にしたりしていた。鬱陶しいくらいに。

そして、このことを体験し経験し体感し実感し、ああ、これこそが僕の到達しうるべき真実だ! と噛み締めしっかりと握りしめ、ーーぎゅーっと握っているんです。なにごとも手放して中立になんてならない。僕は宇宙が始まって終わるまで、1000年間、恋し焦がれた女神にやっと出会ったかのように、ぎゅーっと熱く篤く抱きしめ、これが私です! と宣言して回ってもいい。

みなさん、どこも答えを探すことはないですよ、誰に聞くこともありません、ここです、ここなんです、ここに、全部あります。ぜんぶです。なにもかも。外側に見えていることは、それが永々と広がって見えているだけなんです。ぜんぶ僕のものなんです。ぜんぶです。ぜんぶ僕のなんです。いや、所有じゃないです、ぜんぶ僕なんです、僕自身なんです、だから、なにも足りないなんてことはありません。ぜんぶ持ってるから、満ち足りてるんです。充満しています。その上、毎瞬毎瞬、拡張していっているんです。気兼ねする事はありません。でも、他者の選択は尊重します。僕の中にはどんな答えも知恵もぜんぶあります。あります。あるんです! だから、互いに気づいた事を伝え合ったらいい、それがコミュニケーションってことです。

心が僕なんです! 僕は心なんです! おなじものなんです。どれもこれも意識なんです。振動数が異なるだけなんです。このことを僕は手放しません。手放せません。だって、僕はそれなんだから。握っているのも握られているのも、それなんだから。僕は宇宙が始まる前からそれだし、それしか握っていなかったんです。他のものはぜんぶ、握っていると思い込んでいただけなんです。そう思い込む事だってできる、素晴らしいやつなんです。

このことに、僕は、ハートが満たされて初めて知った。

大矛盾なんですが、満たされていることを満たされて初めて知ったんです。僕のイメージでは心はまるで、ポタポタ落ちる水滴がおおきな器にたまり、その嵩を増していって、あるとき、溢れ、こぼれるのだと思っていた。あふれ、零れるのは一杯にたまってからだ、と思っていた。だから、ケチ臭い出し方しかしていなかった。金も知恵も親切も、なにもかも。まだまだだ、と。

ところがそのことはいきなりやってきた。その出来事は、まだまだ半分だと思っていた器を一気に満たし、まるで洪水のように世界に流れ出ていった。病気も不和も不調もふっとんだ。なんて素敵なところに住んでいたのか、僕は幸せ者だ。そう思った。それまでも、感謝して暮らしていた。幸せ者だと思っていた。ところが、まだ満ちていないという思いがあった。

そのとき、逆説的に知ったのだ。ハート(心)の満足から始めよ。なんという矛盾。知っていたんです。言葉では、満足しているから満足を生んでいく。幸せになりたかったら、幸せから始めよ。いくらでも聞いていたし、そう思おうとしていた。実際にはどんなにそう思おうとしても、4割の満足だし、6割の感謝だったのだ。「それくらいで満足か?」などという説教に猛烈に反発し憎しみを覚えても、心からの満足がわかっていなかった。

あるとき、僕は目を覚ました。朝だ。「ああ、もうわかりました。言う通りにします。もう降参です」なにを思ったのか、そんなことを口走っている。憶えていないが、僕は誰かに諭されたのかで、心から平伏し、それを受け入れるという夢を見ていたのにちがいない。それから先、こう思って眠る日が続いた。「僕はいままでの100億倍の愛と光を受け入れることを自分に許します」最初はちょっと恥ずかしかった。照れもあった。でも、自分を打破していくには、もうこの方法以外ないのを知っていた。他のほとんどはやり尽くしていたからだ。

そうこうしていると、なぜかハートが痛くなってきた。いつしかそれは自分の心が目覚め器が大きくなっていっていることに気づいた。「僕はいままでの100億倍の100億倍の愛と光を受け入れることを自分に許します」だんだん許可がエスカレートしてきた。この頃では、100京の100京乗の愛と光が入ってくることをーーになっている。しかし初め、それまで望んでいたことが現実になって生じてくると、あまりの喜びのために、こんな光栄なことが起きていいのか、と信じられなくて、不遜にも怖くなったりもした。

ハートが痛くてしかたなくなってきた。痛くて痛くて。それで「ちょっと痛いので、できれば改良してください」と言った。「ここにハートがあることは分かり、そして波動を見分ける能力は保ったまま、痛いのだけは勘弁してください」すると、バージョンアップされたのか、本当にそうなってきた。いまでは、ぐぐっとは来るが痛みはなくなった。ーー痛みと言っても、あばら骨とか肺とか心臓とか、その周辺の肉が痛いのではない。胸の中心、このごろでは喉のすぐ下あたりに何かあるのが分かる、おいここにあるぞ、と訴えているかのような痛い感覚なのだ。

ハート(心)の満足から始めよ。けれども、ほとんどの人がハートが満たされていることを認めないのを僕は知っている。嫌という程。自分自身がそうだったから。不幸を嘆く人に「あなたより不幸なひとがいるじゃない」と言っても、不平不満を訴える人に「他人は神様じゃない」とか「足るを知れ」とか「他人はあなたの鏡です」とか「ちいさなことに満足できないやつはーー」などと言ったところで反発し猜疑するだけだ。「おまえはどうなんだ?」と悪態をつかれるのがオチだ。

でも、答えは変わらない。ハート(心)の満足から始めよ。これだけだ。幸せも健康も好運も。全部、ここから始めるしか手はない。内的な道をたどる必要はない。特別な修行も不要だ。この世にいるというだけですでに修行とかわらないから。そして内面以外の道はない。だからただ、ハート(心)の満足から始めよ。これだけだ。そして、その方法は「いままでの100億倍の愛と光を受け入れることを自分に許します」たったこれだけを宣言し、その光と愛を浴びている自分を確認するだけだったとしても、これが人間にとって最も困難なことなのだ。第一、わざわざこのことを忘却して遊びに来ていること。第二に、それが答えだと自分で知るまで認めたくないこと。第三に、答えが簡単なのはおもしろくないと思いたいこと。これらが人間の性(さが)みたいなところがあるからだ。たったこのことを受け入れさえずれば、幸福と健康と好運が手当たり次第だと何度聞いても分かりたくないのだ。知恵だって寄ってくる。それどころか叡智でさえ。「そんなこと言ったって、1000億円稼げるんですか?」とか「世界中の美女を囲えるんですか?」とか「あなたはなんでもできるんですか? 不老不死なんですか?」やたらとつっかかってくる。

いま必要な金さえあれば十分だろ? それ以外のことに備えることはないし、愛し合いたい時たったひとりの愛し合える相手がいれば十分だろ? なんのために世界中の美女を囲い込んでおく必要がある? 不幸な人というのは、そうしてすぐに極端なことを持ち出してきて、人の意見を破綻に追い込もうとする。破綻しているのは、どっちのアイディアなんだ、って。人生、これでやり終えたと思ったら、死にゃあいいじゃないか。

すぐに受け入れられないことは知っている。だから、僕はこんな提案をしようではないか。つまり、器をちいさくしろ。自分のハートの器をちいさなコップくらいにしてしまえばいいんだ。てのひらにちょこんと乗るくらいの小さなやつにしてしまえば、いまの自分でもそれを満たすことは簡単だろう。それでも足りないなら、器をもっとちいさくしろ。もっともっと小さくして、いまの自分でもそいつを満たしてあふれるくらいにしてしまうんだ。どうだ、あふれだしたか? そしたら、ほんのちょっぴり大きなコップに代えるんだよ。

常に、満たされているところをイメージするんだ。そしたらおおきな器に代えていくしかないじゃないか。おもしろいだろ? 実際、僕らはこんな作業をやっている。知らず知らずの内に。満足するからより大きな満足を得る。誰でも知っていることだ。あるところにはある。これが宇宙の法則だ。あるところにあるのであって、ないところにないのではない。ないということはない。これは数学でも証明されていることだ、背理法とか対偶ってやつだよ。どうしてあの数学が成立するかといえば、宇宙がそうなっているし、心がそれを知っているからなんだよ。心にそぐわないことは正(しょう)だとかんじないようにできている。

数学はともかく、満足のあるところには満足が集まる。だからもっと満足する。不満のあるところには不満が集まる。だからもっと不満がつのる。それだけのことなんだ。満足がないんじゃないんだ。不満があるんだ。あるんだよ。自分がなにか足りないと感じたら、なにがあるのか? と問うてみるべきなんだ。それを、なにがないか? と、ないものを見つけて増やそうとしてしまう。こんなのは完全な苦労マニア、努力主義者なんだよ。

ハート(心)の満足から始めよ。それにはまず、自分のハートの器を今よりちいさくしろ。いまの自分が満足していることを知るために。こんなことを勧めたからって、これくらいでいい、ともっともっとと求める自然な性質を圧し殺して、ちいさな自分のままでいろって言ってるんじゃないよ。そう考えるのが不満の状態って言うんだ。不満な者は、不満なままでいる方法を考えつくものなんだ。なにがなんでも不満を感じて人生を過ごしたい、それが自分だって思い込んでそのアイディアを一生懸命つかもうともがいている。不満な人ってのは、不満である自分を経験するために、器の方を大きくしちゃうんだ。そして、足りない足りないって言ってる。

それから、ちょっと余談なんだけど、付随して言うと、例えば他人から攻撃されたとか悪口を言われたと思ったら、どうしてこんな人ばかり自分に寄ってくるんだろうと落ち込んだら、自分には劣等感がある、恐れがあるって観るんだよ。あるいは自信のなさがあるって。あるんだよ。何かが。ないということはなくて、あるということがある。ないということがある。これしか宇宙にはないんだって、心に銘じておくことだ。あるものを代えるんだよ、そしたら集まるものも変わってくるし、いままで悪口と決めつけていたことがアドバイスに思えてくるんだ。あるいは、漫才に。

宇宙は、あると認めて受けれたことをサポートするという性質をもっている。不満のある人には不満を。満ち足りている人には満足を。プレゼントするんだ。どんどん。どんどん。惜しみなく。ポジティブな方を促進、ネガティブな方を助長と言ったりするけれども、どっちに居るにしろ、宇宙はそれを拡大再生産するしか能がない。いいかい、宇宙はみんなが思っているほど賢くない。馬鹿のひとつぼえなんだ。

だからもしいまの自分に満足できないなら、ハートの器を今よりちいさくしろ。ってことなんだ。そして、最高の愛と光が、いまの100億倍の100億倍入ってくることを宇宙に許したら、それでいいんだよ。