みなさま、日本文学界に久々の天才が現れました。
朝吹真理子です。
すでにお読みの方もいらっしゃるかと思いますが、この作家はこれまでの日本文学を超越しているものと確信しました。
村上春樹氏推薦の『グレートギャッツビー』が1ページに1つ読みどころがあるとするならば、ーー実にあります。私も読んで確かめました。ーーこの朝吹真理子は、1ページに3つは読みどころがあります。
たとえばーー。
いや、解説しますまい。読者の楽しみを奪ってはもったいない。また、いつか詳しく解説しながら読んでいくこともあるでしょう。
わがくに随一の名文家と謳われる谷崎潤一郎をも、かるがると乗り越えているのではないかと思われます。しかもいとも涼しげな表情でです。
当時きってのエリートコースと言われた、旧一中・一高・東大中退を経て、放浪生活をした挙げ句に、ある種の覚醒に至り、ーー苦労の跡はもちろんみじんも感じさせないようにして、すらすらと磨き切った艶のある文章を書くに至った谷崎潤一郎とは、まるで経歴が異なるようです。(川端康成などは、養子にまでいって、芸術を極めている)
この女性作家が天才なのは、Amazonの書評でもわかります。
それはボロクソにけなす人が多くいるからです。
多くは負け惜しみや嫉妬、しったかぶりの応酬ですが、当たらずとも遠からず、そう言えばそうとも言えるネガティブな角度からの見方です。ある種の世俗的な見方によって、あれほどに酷評をされるということは、芸術的観点からすれば、実に美しいということになるのではないでしょうか。
『きことわ』は、芥川賞を受賞したので、知っておられる方も多いかと思います。私はどんな選考がなされたのか、また『文学界』誌上で選考委員がどんな講評をしたのかは知りません。
けれども、私の観るところ、選考員の群を少なくとも身ひとつは抜いて卓越していると思いました。
センセーショナルな話題を集めた選考員作家たちのデビューや出世作が色あせるほどの光と色彩を放っていると思います。
ここ10年、いや20年では最高の点数がつけられたのではないでしょうか。
それほどにこの作家、作品はすばらしいです。
日本語を理解する者でよかったなと感嘆を隠せないくらい、卓抜した言語感覚と使いこなしの旨さに、舌を巻くばかりです。
たとえば、ーーやはり、一文だけ引用しましょう。
きことわ17ページ
『勾配はそれほどでないとはいえ、だらだらとつづく坂道は、夏の盛りであれば行き来するだけで汗にまみれる。帽子を被っていても首の付け根が灼け、軒を越す枝葉の影をさがして歩かなければならなかった』
このさりげない、なめらかな筆致。そして、視点のもっていきどころ。《軒を越す枝葉の影》という表現など、実にうまいではありませんか。つまり、背丈の高い木の枝葉が地面に作っている日陰という意味を、影に焦点をあてながら、本体の木を見事に想像させるのです。説明ではなく、ハートに向かって一気にイメージを送り込んでくるこの作者の凝縮された言語感覚にわたしはなみなみならぬ才能を観ます。
ただ、ちょっとだけ懸念があります。それは、モブ・ノリオと同じ運命をたどってしまうのではないかということです。つまり、あまりに受賞作に精魂を込めたために、あとの作品がそれを超えることができず、つづけてすぐに世に出にくいということです。
もちろんこんな心配は野次馬根性いがいの何者でもなく、最良の作品が日本人の資産として図書館に収められまた、書店に常備されていることが大事のなことであって、そのあと作家が食えるかとか、書けるかなどはまったく考慮すべきことではありません。
いっそ、野たれ死んでもいいくらいです。
朝吹真理子。
この可憐で上品極まりない、名家の出の名門大学在学中の女性作家が、あの中卒で品性下劣な西村賢太と同じ時に脚光を浴びたというのがまた愉快ではありませんか。どちらも、純粋で美しいたましいの持ち主だと思います。


