いわゆる味の素ですね、いまでは『アミノ酸など』の中に含まれているそうですが。


L-グルタミン酸ナトリウム


それの何がどのようにいけないのか?


わるい、わるい、とはよく耳にしていました。


安全・安心ではない、とも。


サトウキビから抽出した天然原料由来の旨味成分だそうで、化学調味料でもなさそうです。


なにが不味いのでしょう。むしろ、多くの人が旨いと感じるからでしょうが、ほとんどなんにでも入っています。


以前、お茶の中に入っていたのには笑いましたが。


5年くらい前だったでしょうか。自分は会社員時代、食品添加物を売って歩いていた。大量に使わせることに成功した。けれども、いまでは自分の行為を恥じて、食品添加物の危険性を説いて回っているという人の書いた本を読んだことがある。


けれどそこには、味覚を麻痺させ、破壊するとまでしか指摘されていない。


細かく言うと、ベロの表面にある味蕾が機能しなくなる味覚障害を起こすのだとか。


これのどこがいけなくて、危険なのか?


当時のわたしには解らなかったんです。


べつにいいんじゃない? アミノ酸ってタンパク質を構成している物質だろ、かえって体に良さそうじゃん。グルタミン酸ナトリウムに中毒したって、それの入った物を食べてたらいいんだし、困らないじゃん。本当の昆布の味なんて分からなくたって何が困るのかなあ。国際化したんだし、和食の味が分からなくても、それはかえって欧米化したんだし、欧米化のどこが悪い。


という思いもありました。


みなさんは、わかりますか? なぜ、グルタミン酸ナトリウムがいけなくて、危険なのか。


ちょっと考えてみてください。理由が思いつきますか?



結論から言いますと、悪くもなければ、危険でもありません。


昨日の記事ではありませんが、この地球に住んでいると、地球特有の叡智を感受することができます。それは、


機能性です。


おそらくこれは地球が培い、育んできた知恵のひとつではないかと思っています。わたしが研究してきた社会学では、合目的的といいます。目的合理性と言っても同じことではないでしょうか。


つまり、日常にわたしたちが使っている、善い、悪いは、単純に目的に合致しているか、目的を機能させているかでしかないということです。


持病の3つでも抱えながら、それでも無理して家族のために働いている自分で在るというのが目的の人にとって、(存在と目的はほぼ一致しています)同じように苦しみもがいている人は、であるが、ぶらぶら遊んでいる人はなのです。なぜなら、自己像をうまく作用させないからです。


もうちょっと分かり易い例を出しましょう。


100キロ先の地点に2時間以内に到着することが目的なら、自動車を使うのは善だし、歩いて行くのは悪なのです。


敵と見なした他国にミサイルを落とすことは、戦争に勝つことが目的なら善だし、世界の平和を作り、自国を発展させることからすれば、悪なのです。


言っていることはわかりますよね。戦争が善いか悪いかは、すべて目的いかんということです。たいていはここのところを抜きにして、戦争そのものが善いか悪いかの議論に終始して、喧々囂々、まったく結論がでないで泥仕合をつづけてしまうことでしょう。


したがって、おおむね、戦前が戦争は善で、戦後は戦争が悪になったのは、目的が変わったからだということになります。


さて、ここまで読むと、L-グルタミン酸ナトリウムそのものが、悪でも善でもないことがわかりますね。どっちにするかは、わたしたちひとりひとりの目的にかかっているということなのです。


それが集合意識を形成し、L-グルタミン酸ナトリウムを食品に混ぜるか混ぜないか、その選択がなされていくのです。


機能性についての研究は、社会学に限らず、経済学・建築学・哲学などにおいてもなされてきました。もちろん、わたしの説いているような意味あいで使っているのではありません。もっと大枠で、意識の面は度外視した見方をしているかもしれません。



善悪の対立の激しい地球。ある価値観や目的で裁き、そうでないものを力づくで滅ぼそうとする地球。


いや、地球ではありません。人間です。


となると、それを観てきた地球が、機能性を強調するのは当然かもしれません。


機能性に着目すれば、善悪を超えて、しかも自分たちがなにをやろうとしているのか、やっているのか、よく分かるよ。地球はそう伝えているのかもしれません。


わずか3年ほど前のことです。わたしは、玄米食を始めました。20歳のころから、腹部膨満感というのでしょうか、胃腸の違和感に悩まされてきました。


ビタミン剤を飲んだり、ヨーグルトを食べたり、お茶を飲んだり、アスレチックに通ったり、様々なことをして改善を試みてきました。


ところがひょんなことから食べ始めた玄米によって、これがいとも簡単に治ったのです。いやいや、玄米を勧めているのではありませんよ。


それ以来、わたしの家では、徐々に本物の食品や化学物質の入っていない食品を選んで食べるようになったのです。


すると最初の頃は、なにもかもが不味くて仕方がない。自然で、高級といわれるものほどそっけなく、不味くていやになりました。


やっと無添加の食品がおいしいと感じるようになったころ、やられていた! と分かったのです。まんまと自分はいいようにもっていかれていた。


気づくまで気づかなかったのです


するとどうでしょう。まず、病気をしなくなりました。してもすぐに治るのです。


いや、無添加食品を勧めているのではありませんよ。もし、そう疑うのなら、機能性についてもういちど読み返してください。


つまり、わたしは、『食いさえすればなんてもいい。なるべく安いもの、味が濃くて、カロリーや栄養素の入ったものであればなんでもいい』


が目的の生き方をしていたのです。


『食い物なんてガソリンといっしょだ』


もちろん間違いではありません。そう考えたければ、そう考えればいいのです。善くも悪くもありません。


『食べ物のことをしのごの言うな。作った人に感謝しろ。食べられるだけでも幸せだ。いちいち添加物のことを気にするのは男じゃない。自然派の輩なんぞ、あれはキチ■イだ』


なにも間違ってはいません。ひとつの見方にすぎないのです。


実際、なんにも気にしなければ、気にならないもの。どんなに危険な物でも体内浄化をするかもしれないのです。まるで、高温焼却炉のように。



ところがわたしは玄米を食べ始めた頃から、人生の目的が大転回したのでしょう。


『もっとしっかりと地に足をつけて、いまここで起きる、ひとつひとつの出来事や出会い、そして食べ物を味わって楽しんでいよう』


言うならば、こういうことでしょう。


『もっと繊細に物事を分かりたい。もっと繊細に人の意識を読み解きたい。もっと繊細に自然や宇宙をかんじたい』


そんな思いもありました。


そうして出てきたのが、感謝の念でした。食べられること。食べさせられていること。食べている物のひとつひとつを味わい、味わい尽くす。すると自ずと感謝しないわけにはいかなくなる。


ありがたいなあ。


ありがたいなあ。


噛むごとにそんな感慨がわき起こるのです。


うまいなあ。


うまいなあ。


こんなにおいしいのに、もう食べ終わらなければならない。なんて惜しいことだ。


いつもそう思いながら箸をおくのです。


本物の味を噛み締めている時の、なんと恍惚とした気分なのか。


不思議なことにその物のもっている本当の味を感知すればするほど、そして感謝すればするほど、たくさん食べなくて済むようになったのです。


牛、豚、彼らがあんまり食料になりたくないでいることも感じるようになってきました。野菜やナッツ、それからフルーツは逆におおいに食べてもらいたがっていることも感じるようになりました。鶏、魚。これらはまあ、食べる人を選びたいようなかんじです。できるだけ徳の高い人になら、食べられてもいいかな、と思っているようです。


つい先日、無農薬で自家肥料で育てられたきゅうりを頂きました。


ちぎったばかりでまだ生きています。


これを食べたとき、宇宙の愛、自然の愛、人間の愛を同時に知りました。


エネルギーの状態がこれまで食べたどんなものより高いと感じました。


本物の味を味わえる。


これがどんなに貴重なことなのか。


味だけの問題ではないのです。栄養だけの問題ではないのです。


底知れぬ満足感。


その満足感によって、きっとプラーナと呼ばれる宇宙エネルギーもふんだんにわたしたちに取り込まれるのでしょう。


そうするとたくさん食べなくても、薄味でも、十分なエネルギーを得ることになる。ダイエットなどしなくていい、というよりダイエットの真の意味はこれかもしれません。



L-グルタミン酸ナトリウムを混ぜることで、死んだ食べ物や合成保存材で損なわれた味を補い、波動の低い食べ物をおいしいと勘違いさせて体内に取り込んでいた。


これでは心の底からの満足が得られない。


戦後なら、それでも人々は無上の喜びにうちひしがれたのかもしれません。


けれど飽食の時代と言われて久しいいまなら、どうでしょう。


本当の贅沢が、最も素朴な食品にあった。そしてそれを十分に味わう味覚にあったとするなら。


なぜ悟ると小食になるのか、肉や油をとらなくても済むのか。


答えは簡単だったのです。


プラーナを摂取するルートと量がかわるから


食品を通してだけでなく、空間からダイレクトに、まるでフリーエネルギーの装置のように入ってくるからなのではないでしょうか。


食べなければ生きていけないという呪縛から、わたしは紐解かれようとしている。食べるために働く。食べるために食べているという生き方が遠くに遠くに去っていく。


たくさん食べるか全く食べないか、どちらが善いか悪いかという問題でもなさそうだ。


食べることの本当の喜び、満足感。食べることとは、それを深く深く覚えることである。


このことをハッキリとわたしに把握させてくれたアンチテーゼたる、L-グルタミン酸ナトリウムに感謝します。


味の素は、宇宙エネルギーにあり。