いま、この場で、生かされて生きていることに深い感謝の念をもったなら、あなたはすでに弥勒の世にいる。
どんな進化の段階にあっても、いまの自分も完璧だと認め、進化させてもらっていることに深い感謝の念をもったなら、あなたはすでに弥勒の世にいる。
感謝の念がわきあがる。
両手の指先の渦を合わせて塔を建て、ありがとうと瞑目したら、8倍の感謝の念が降って来る。あなたは出したものより大きな感謝に包まれる。
感謝にも発展段階がある。
1、おのれを被害者と見なし、何事にもケチをつけてまわり他人や社会のアラを探しては、訴える。
2、他人の労や思いを当然と見なし、足りないと嘆く。
3、儀礼として言葉だけの「ありがとう」を言う。
3、自分の都合の好いことにだけ感謝する。
このあたりまでが一般に観られる感謝の様相だろう。
あなたは、太陽に感謝しているだろうか。なにがあっても毎瞬毎瞬、光り輝くことを、より光り輝くことを選択し続けている太陽に。
あなたは、重力に感謝しているだろうか。なにがあっても毎瞬毎瞬、毎秒9・8メートルの早さで物を落下させる選択し続けている重力に。
その勤勉さには頭がさがる。
あなたは被害者意識に感謝しているだろうか。なにがあっても、どんなことに出会っても常に自分が被害を受けている卑小で不要な存在かもしれないと思い上がる癖を繰り返す勤勉さに。
あなたは不足意識に感謝しているだろうか。なにがあっても、どんなことに出会っても常に自分は何か足りないと不安になって他者を責め立てる不遜な癖を繰り返す勤勉さに。
あなたは感謝しているだろうか。
都合のわるいことにも。
苦難にも。
試練にも。
感謝しているだろうか。
どんな人も、どんな出会いも、どんな出来事も、自分をさらに進化した状態で生かす大切な贈り物だと、気づいているだろうか。
どんな食べ物にも、ありがとうという念を感じながら、かんでいるだろうか。
感謝の念は、カロリーを超える。
感謝の念は、ミネラルを超える。
感謝の念は、ビタミンを超える。
もちろん、わたしは感謝万能主義を唱えているのではない。
だが、肉体に取り込むエネルギーよりも、ハートに取り込むエネルギーのことがあまりにもないがしろにされているのではないかと思うのだ。
食べることひとつとっても、感謝の念が伴えば、その時宇宙からハートへのエネルギーが益々取り込めるのだ。
料理する時に愛と感謝で作るならば、それを食する者にも与えることができる。
少ししか食べないでもたいへんな満足を得る。これが不食への道筋ではないかと思うのだ。こうして、地球人ですみたいな顔をして暮らしている人々の中には、かつて不食だった者も多く含まれている。その者にとっては感覚を思い出すことになろう。
どちらにせよ、宇宙の愛に感謝することが、その道へのしるべとなる。
道は、満ちなのだ。
満足こそが人道である。
満足という状態は、ただそこにいるだけだ。
どこかに行くのではない。
近年、アセンションだの弥勒の世だの、いままでの悪いことを全部取り払った理想郷、ユートピアが突如として現れるはずが、どこにそんな場所があるのか、と目をしばたいてぱちくりさせている人々が多数見受けられる。
そしてそれに対して、いますぐここで実現できますと答える、不親切な宇宙人がいる。彼らの意図はわかる。人間に自分で思い至らせたいのだ。
だが、もし生かされて生きることに心の底から感謝できたなら、どんな星のどんな国にいようとも、そこは弥勒の世である。
と、古来言い伝えられてきたことをもういちどここで繰り返しておこう。
地球という星は、懐が深かった。
なんでもかんでも受け入れた。自滅するギリギリのところまで受け入れた。それはいうならば、最優秀の秀才から、スポーツ万能でオールマイティの学力を持つ者から、札付きのワルから、裏で支配することに猛烈な情熱をもった者から、宇宙のつまはじきものまでもが同じクラスにいるようなものだ。
おのおのの信念や観念がせめぎ合い、にっちもさっちも行かない状態になった。
もともとが物質世界、2元性の強い次元にあって、さらに、地上の支配者づらした多くの人間どもが、闇の権力者の尻馬に乗って、戦争だ、飢餓だ、宗教だ、公害だ、差別だを作り出した。長い物には巻かれろと教えた。善いことに従って生きているだけのロボットみたいな生き方は、生きていると言えないとさえ思い込ませた。
地球は滅亡寸前まで、なんども追いやられた。
そうして、7番目の周波数帯域をもったのだ。星として進化したのである。3(4)次元物理世界にありながら、まるで5次元にあるような運動をする領域である。
運動。運の動き。
これまでわたしたちの運命を左右し、決定づけるのは、生まれる前の設定や社会的地位などが大きな要因となっていた。
努力の結果、報われないこともたくさんあった。
そしてなにより、結果を経験するまで時間がかかった。
ところが、わたしたちの意識が周波数を変化させれば、その瞬間に結果を経験していることに気づける領域が新たに創造されたのだ。
さらに物理的結果、社会的実現が形となるまでの時間が大幅に短縮された。短縮される知恵がもたらされた。その意味の精確な理解も促進された。
さて、ここからが本題だ。
わたしたちは、地球で数々の戦争が繰り返され、生命が蹂躙され、薬物汚染、信念破壊、階級闘争、植民地支配、人種差別、虐待、暴力、隠蔽、漏洩・・・。ありとあらゆるネガティビティが発露されてきたことを知っている。その様を発達したマスメディアによって、これでもかこれでもかと見せられてきた。
これが、そこそこのところで破壊され滅亡しているなら、ここまで酷く無惨な状況は見ることもなかっただろう。
であるからこそ、平和の尊さ。
であるからこそ、愛と調和の尊さ。
であるからこそ、生きて在ることの尊さ。
これらを知るのである。
(ネガティビティを促進させようとして流した情報が転じてポジティビティを創造したよき例である)
そして、それらのありがたみ、深い深い感謝を想うのである。
この深い、深い感謝は、他の星ではできないのだ。
この、地球にいるからこそ、たとえば平和の尊さに感謝できるのである。深く深く。より深く。
1945年の8月15日。
日本人は、みな、平和をかみしめ、むせび泣いたのである。
あの感動はどこに行った。
あの日と同じ、いやその100万倍のことが、いま現実として起きているではないか。
そのことになぜ感謝しない?
いま、この場で、生かされて生きていることに深い感謝の念をもったなら、あなたはすでに弥勒の世にいる。
どんな進化の段階にあっても、いまの自分も完璧だと認め、進化させてもらっていることに深い感謝の念をもったなら、あなたはすでに弥勒の世にいる。
そして多くの人がこのことに気づき、感謝の意を天に捧げたら、その時にはこの三千世界で、弥勒の世が実現しているのだ。
いまや、理想を語る者の口をふさぐ者はない。
感謝を恥ずかしいと見なす者もない。
支配者の都合の好い歴史を語り、政治をあらためることに異論を唱える者もない。
わたしたちは、公害を出さないエネルギー、危険のない乗り物、お金のない経済、病気にさせない病院、個の尊重される教育・・・、そんなシステムをおおいに語り、そして叶えることができるのだ。
老いも若きも、男も女も。
わたしたちにはその能力があり、知恵があり、実行力がある。時間は、この6千年のどの時代よりも速く実現できること。
それから、生かされて生きること、進化の機会を与えられていること。
わたしから、そしてあなたから、日常の生活の中で、これらに感謝することがアセンション(上昇)しているということなのだ。
すでに叶っていると認めることだから。
叶っていると認めないことは、実現しない。
個人の上昇なくして、どうして社会の上昇があろうか。
