『天と地の間には、もっと多くのことがあるのだよ、ホレーショよ。
あなががたの哲学において夢見ているよりも』
『ハムレット』の中の台詞である。
いまこうしてはっきりと目が覚めて理性を働かせると、こういう文章になる。原文を私の英文和訳力で現代語訳すると。
昨夜、眠っていると、なんどもこの言葉が出てきた。
深い眠りから醒め、私がこの世界に戻ろうとする度に。
暑さで寝苦しかったせいか、昨夜は何度も目が覚めそうになった。
比較的高い周波数帯にある意識から、比較的低い周波数帯にある意識に移行しているということだ。
『天と地の間には、あなたの知らないことがたくさんある。
天上と地上の間には、あなたの知らないことがたくさんある。
天と地の間には、あなたがたの思いもつかないことがたくさんある。
天と地の間には、あなたがたの哲学ではおよびもつかぬことが多くある』
いろんな言い回しで出てきたのだが、最終的には、
『天と地の間には、そなたの知らないことがたくさんあるのだよ、ホーレーショよ』
で落ち着いた。
まどろみの中で私が自分の知っているフレーズに修正していったからだ。見ている夢はほとんど憶えていない。もし憶えていたとしても、出てきたり残ったりした言葉とはほとんど相関関係がない場合が多いとみている。今日は、もっと深い意識の状態で知ったことや聞いたことを顕在意識に戻る時に言葉に変換して理性的に記憶しようとしたのだと思う。この作業はいつもは決死の覚悟でやらなかれば、たいていは言葉が失われているのが、今日はスムーズだった。
この言葉が出てくる度に、なぜかある知人が想起された。
けれども、きっと今のわたしへのメッセージではないかと思った。
その知人は、もしかするとシェークスピアの分霊をもっているから、言葉に伴っていただけではないかと思えた。
哲学はある種の観念遊びなのかもしれない。これはこうだ、あれはああだと決めつけて世界をこじんまりと把握したつもりになっているが、それだけでは計り知れないことがたくさんあるのだよと諭されたような気になった。
シェークスピアに言わせると、(当時の)哲学は、きっと夢想に思えたのだろう。全体を観じることなく、世界を制限のあるいくつかの概念でくくり、それを切ったり貼ったりして操作する利口者の手前勝手なお遊び。そのくせ、まるで人間や世界を純粋にまた完璧に理解したかのようなつもりになっている。そのことの愚かしさや危うさをこの台詞は指摘しているように思える。
常識に囚われることも、幼い頃に親に教え込まれた事の檻から逃れられないことも、罪や罰をともなうルールという本末転倒な化け物に祟られているのも、ほとんど夢見心地で歩いているようなものだ。あるいは、このごろ流行のスピリチュアルな概念に依拠しすぎたり、使い方を自分勝手に解釈したりすることも。どんどん眠りが深くなっていく行為なのかもしれない。ところが、そんな現実主義的な夢遊病に罹った者ほど、真理を知る者に「おまえおかしいんじゃないか? 夢みたいなことを言うな。そんなことは生活の役に立たない。寝言は寝て言え」と怒るから、可笑しくてしかたがない。
おかしいなら、笑え。
真理は、夢から醒めたところにあるものだ。
このことを夢から覚めた時に知った。
実は、このメッセージ自体はもう半年以上前に聞いていた。夢から覚めた時に、眠っている間に聞いたことを思い出すことが、夢のような生き方から醒めるとことだという明喩になっていると。
そのことを私は忘れているのだろう。
なにか解った気になっていたのにちがいない。
だからこうしてもう一度、同じことが繰り返されたのだ。
もっと眼をこらしてよく観ろ。もっと耳を澄ましてよく聴け。もっと心を静かにしてよく観じろ。
わたしはそう自分に言い聞かせた。
