ハイヤーセルフを超える

ふと、そんなことが心に浮かびました。私自身のより高い《部分》。エゴや顕在意識に比較的支配されていない部分の意識。ここも、より高次の存在と同じで、私たちの成長を望み、そのサポートをしている。

その存在を知った時、答えを求めたり、頼
ったりしたくなる気持ちがありました。

けれど、冷酷な彼は私の進化しか望んでいない。

私が最も速く進化するには、困難や苦悩である場合が多いのかもしれない。もちろん、だからといってそれを善と見なし、自己満足的にねつ造しても仕方がない。己の内面を見つめることから逃げて、どうしてそんな結果が起きてきたか分からずもがき苦しむのとはちがう。

ハイヤーセルフは私を
成長させるために、まるで老成した親のように、あえて苦難を与えることもあったでしょう。いやむしろそれしかしていないかもしれない。

でも、なんだか、それでは悔しいという気がしていた。いつもいつも彼が状況を用意し、ふさがれた私の眼がそれらを闇雲に恐れ、右往左往した挙げ句にやっとこさ、それなりの真実に眼を拓く。

ハイヤーセルフを超える

けれども
、さらにそれを超えて行くんだそうな。苦難の上を行く。ハイヤーセルフを上から笑い飛ばす。そんな境地なのだとか。

なるほど、それはおもしろい。

私はなんだか、陽気になれた。彼より高い境地から私を観察し、むしろ彼にこそ試練を与えてやってもいいくらいだ、そんなことを想うと、愉快になってきた。