カマさん。
と呼ばれる人がいた。あれは大学3年であったから、わたしがまだ21くらいのときであったろう。
みな、「あのひとはショーニンだから」と繰り返し何度も控え室で言った。
その口ぶりから、きっと彼は周囲の人々にただならぬ雰囲気を醸し出しているのだろうと思われた。
本名は鎌田なにがしといったのかもしれない。背が高く、眼鏡をはめ、髪は短かった。
当時、わたしはすかいらーくでアルバイトをしていた。1日に4時間しか自宅に戻らない店長や夜中に店に泊まっていく社員や独立を志す人や大学や主婦などが入り交じった、大学構内とはまったく雰囲気の異なるところであった。
面接に行った日、将来独立を目指していた社員がマニュアルのコピーをもってきた。
「きみには厨房をやってもらう」
と彼は言う。「これを全部憶えてくるように」
そこには、きのこスパゲッティの作り方やリゾットの作り方、和風バーグの作り方が手順を追って示してあった。きのこスパゲッティでは、しめじ、しいたけ、マッシュルームを各6g、4g、7gというふうに決めてあり、きちんと計って投入する事になっていた。
自分はウエイター採用かなと思っていたので、ちょっとがっかりしたけれど、合間にぜんぶ憶えて行くと、社員がテストをした。
「はい、ではきのこスパゲッティは?」
「まず、デザートがパスタをゆでます。その間にベーコンを3gを先にそれからスライスタマネギ10gをいため、そこにしめじ6g、しいたけ4g、マッシュルーム7gを計量してフライパンに入れーー」
などとやるのである。
ところがこの指導が多くのアルバイトには気に食わない。
「カマさんと同じかと思った」
と、若いのにすでに世知辛さを踏襲し尽くしたような女性が言った。
洗い場からすぐに焼き場に配置されたわたしは慣れない作業にてんてこまいで、ラッシュ時の同時に30からのオーダーが入った日には目が回りそうだった。
カマさんは、デザート場を自分の根城にしていた。そこはデザートを作るだけではなく、パスタをゆでたり茄子を素揚げしたり、冷凍物を解凍したり、皿にクレソンを置いて最後の仕上げをしてからカウンターに出す係だった。カマさんはオーダーが入るとまるで自分が全指揮をおおせつかった司令塔であるかのように大声で各場に指示を出した。新米のわたしにはとてもありがたいことだった。
あとで知ったのだが、しめじのグラム数を憶えているわたしにアルバイトの多くが反感をもっていたそうだ。どうりで同じ焼き場の岩本くんが大きな体でずいずい当てこすってくると思った。
ある日、店が暇な時にカマさんに話しかけた。
清廉潔白で崇高なことだけを求める彼が一体どんな考えをして生きているのか興味があったからだ。
たいてい彼は「いまは仕事中」などと静かに突っぱねた。「私語は慎め。唾が食材についたらどうする」
こよなく仕事を愛されているのだな、とわたしは感心した。
独立の志社員の指示した通り、わたしは店が暇な時にしめじをひとつまり取り出しては計量し、6gがどれだけかを感覚で計る訓練をした。(このしめじは食材とは別の物だったと記憶している)しかしこの熱心さがまた他のアルバイトにはしゃくにさわるというか、鼻つまみの行為であったようだ。
ピラフの注文が入った時の事だ。カマさんが冷凍庫から袋詰めになったピラフをもってきた。袋の一部を破いてレンジで解凍し、小皿に乗せて焼き場のわたしに送り出してきた。わたしは袋を破き、フライパン移した。そして1分、2分と炒めていると業を煮やしたカマさんが怒鳴った。
「ピラフは焼き飯じゃねえんだよ!」
厨房が一瞬、凍り付いた。ウエイターやウエイトレスもみな顔をこっちに向けた。
わたしは、急いでカマさんの用意して待っている皿にピラフを移し替えた。カマさんは、お客さん、お待たせしましたという申し訳なさそうな顔をしてカウンターに皿を置いた。
ピラフは焼き飯じゃない
そうだ、その通りだと素直にわたしは思った。
本当はレンジで解凍してそのまま出してもいいくらいなのだが、そこがすかいらーく、ほんのちょっとフライパンであおり、控えめに香ばしさを付与することで少しでも美味しくして客に提供したいという料理人のたましいが残っていたのである。
控え室で休憩していると、世知辛い女がやってきていまいましそうに愚痴をこぼした。
「ショーニンだから、ショーニンだから」
なんど聞いてもわたしにはカマさんが、なにか商売をされているのだと思えた。商人なのになぜここでアルバイトをしているのだろうとは思った。
そんなある日、店長が店に来なくなった。あんなに毎日24時間戦っていたのに。
逃亡し、1、2週間してたしか北九州かどこかで見つかったと記憶している。経営者連中が話し合い、降格と共に給料も下がったと独立の志社員が言った。毎日店に寝泊まりしていた社員は、アルバイト女学生と付き合うという御法度をおかしながらハラハラしながら勤めていた。彼が言うには「あんなに働いても、きみらバイト生より給料が低いからね。時給に換算するともうスズメの涙だよ」
彼は独立の志社員とはちがって、こよなく人生を悲観的に語った。
365日休みなく、1日20時間くらい働いて、店長がひとつき20万くらいなのを知っていたのは、彼が平気で給料明細を控え室のテーブルに置いていたのを誰もが目にしていたからである。
岩本くんは市内の専門学校に通っていた。わたしより先輩で豪快な仕事ぶりで腕をふるっていた。カマさんとは犬猿の仲であり、おまえの指示には従わんぞといった雰囲気を漂わせていた。カマさんが指示したこととはわざと違う事を先にし始めたり、タイミングをずらして皿にハンバーグを置いたりした。ただでさえ熱い焼き場が別のことでもヒートアップしていたのである。
「こら、しめじが少ないぞ。ちゃんと6g入れろ!」
さすがのカマさんも岩本くんにはそんなことは言わなかった。
日が経つにつれ多少は打ち解けたのか、カマさんはわたしの質問に答えるようになった。
年は30前で、他に職はなく、ここでのアルバイト代の7万か8万かで全生活をまかなっているという。ひとり暮らしだからできることなのだろうが、当時のわたしは30になったら年収500万くらいになるのが当たり前だと思っていたので、この清貧の生活にたいそう感心したものだ。ともかく彼は曲がったことが大嫌いというふうであった。いつも目つきが切り立っていた。
ゴールデンウイークにわたしは体のおおきな岩本くんとふたりで焼き場に入った。しめじのグラム数を憶えているわたしに反感を持つ彼はあくまで自分のやり方をぐいぐい押し付けてきた。焼き場にふたり入るのは、まるでバトミントンや卓球のダブルスを組むあんばいであった。生のハンバーグを冷蔵庫から取り出して鉄板に置く、それをひっくり返す、ターナーですくってバットに移し、ひるがえって背後にあるオーブンに投入する。焼き上がりを確認したら取り出してデザート場の用意した皿に置く。そういった一連の動きをふたりがまるでひとりであるかのように進行していかなければ、ゴールデンウイークのラッシュを乗り切れないのである。
わたしは徹底的に岩本くんの動きに調子を合わせた。彼が一人で2倍以上のパフォーマンスができるように、彼の次の動きを読み、それに合わせてその次の行動をとるのである。その内、岩本くんもわたしの動きがスムーズになるように動き始めた。「はい、和バーグ入りました!」などのかけ声以外ない、黙々とした作業の中で岩本くんはこれまでに経験した事のない快感を覚えた様であった。ハンバーグもステーキもリゾットもスパゲッティもチキンステーキもカジキマグロもすべて滞りなく猛スピードで仕上がっていく。そこには、なんの感情もない調理マシンと化したふたりがいた。
そのご岩本くんは、わたしがたいそう気に入ったらしくドライブに誘ったり他のファミリーレストランに一緒に行こうと連れて行ってくれたりした。
わたしが辞めるちょっと前に、急にカマさんが優しくなった。柔和で落ち着いた顔に変わったのだ。
「どうしたのですか?」
と、わたしはたずねた。
「ああ、もう30になろうとしているから、ちょっと考え方を変えようと思ってさ」普通の若者のような口ぶりに変わっていた。「どうでもいいやって思えてきた」
カマさんはつぶらな瞳で嬉しそうにそう言った。
夏に病気をして以来、アルバイトを辞めてしまったのでそのあとどうなったのかはわからない。
