汗牛充棟、夜も眠らず額に汗して資料をあさり、また背中には冷や汗、全身には脂汗をしたたらせ、目を血走らせてまで、昭和という時代を完膚無きまでに網羅せんとし、都合6回、冷徹な鋭い眼で観察してきたので、さぞかし皆さんもあの時代特有の雰囲気を感じ取っていただけだものと、筆者の喜びもひとしおでございます。--えっ? 昭和48年と49年のことしか書かれていないじゃないか?
オホッ、オホ、オホン。
いや、それはさておき、話しがなかなか渥美くんのことにおよばないわけでして、さらに今回またしても遠回りをすることになってしまいました。だいたい、おもわせぶりにひぱった話しほどつまらないものはないというのが、いにしえからの言い伝えでございまして・・・。けれども、これは昭和という時代を深く深く、ふかーく見つめていく上で、決して欠かせない重大な流行であります。
というわけで、
飛ぶ鳥 飛ばない鳥
新聞にくるんだ鳩のヒナを政夫くんが持ってかえってきた。産毛が取れかけていて、鳩の糞くさかった。鳩はおどおどして、どこか十三歳の少女を思わせ、痛々しかった。
このころ、鳥を飼うのが流行っていて、だいたい一家に一羽くらいの割合でいた。『禽獣』という小説が書かれたのが、昭和三十四年で、こうした鳥飼ブームが背景にあったのかもしれない。都会の人が飽きたころ田舎に浸透してきて、一億人が堪能するのに十年以上のタイムラグがあったのだ。
政夫くんがどこから鳩をつかまえてきたのかといえば、それは工場の屋根だった。ちょうど彼の頭の上に巣を作ったらしく、フンが堕ちてきて仕方ない。というので、高い屋根にのぼっていって親鳩をけ散らし、巣を粉砕したはいいが、ヒナのあどけないかわいい目を見た時、カンダタと同じ気分に襲われたらしい。
だいたい社宅の通路を歩くと、どこの家の軒先にも十姉妹や文鳥の入ったカゴが釣ってあるのをみかけた。ユキトの家は鴬を何羽も飼っていたし、伝書バトを何十羽も飼っているオジサンもあった。以前わが家にも、政夫くんがトリモチを仕掛けて捕まえてきたモズやホオジロがいたことがあった。それまで父は鳥は臭くてかなわないと顔をしかめていたのが、あまりに近所で評判なので、自分もと気が変わったのだ。「政夫ごころと秋の空」と母が言った。
ところが、彼の捕まえてきた野鳥は、モチに脚が絡んで羽や脚が複雑骨折を起こしていてすぐに死んでしまった。もし、捕まえたのが親鳥だったら、数匹のヒナが腹をすかせて死んでしまう。という話しを房江さん以外からも聞いたらしく、父は野鳥狩りはやめてしまった。
ツトム君の家には、青いインコがいた。青いインコはとても珍しいと言った。ある日、悲しそうな顔でツトムくんが僕に告げた。
「あの青いインコが逃げ出した」
「餌をやろうとしたら」悔しそうだった。「抜いたはずの中羽根が生えてきたからだ」
彼の分析は的確だった。しばらくしてそのインコはツトム君によって発見された。
「どこにいるかわかった。でもダメなんだ」
インコは雀と一緒に電線に止まっているのだそうだ。
「今日見せてやるから、うちに来てよ」
僕は、縁側でじっと待たされた。ツトムくん以外誰もいなかった。家の中は薄暗かった。
「これで見るんだけど、まだだ」
などと言って、オペラグラスをなかなか貸さないので僕はじりじりした。ツトムくんは、座敷の戸から外をうかがっていた。外は曇っていた。
「あー、今日はダメだ。もう、帰れ」
来いだの帰れだの、邪険に扱われているようにも思ったけど、ツトムくんはとても気持ちが沈んでいたのだろう。
何日めかに、ツトムくんの言った通り、雀の群れが家の近くにやってきた。あわてて僕にオペラグラスを手渡した。
「あそこにいるだろう。僕には裸眼でもわかるんだ」
混じっていたインコを指さしながらも、彼はお手上げという案配だった。僕はグラスを覗いた。意外におおきく見える。ちらちらしている裏の家の人が、すぐそこにいるかのようだ。インコは、逃げ出したはいいが、行くアテもなく、とりあえず自分と同じ大きさの鳥の一団に混じって行動を共にしているのだった。物音がして雀の群れがバッと一斉に飛び立つと、彼もワンテンポ遅れてついていった。
青インコは薄汚れていて、痩せていた。風にあおられて産毛が二三枚めくれていた。
「これから寒くなるし、ずっと人間に飼われていた鳥は、外では餌も十分にとれないよ。だから、きっと死ぬ」
ツトムくんは、たましいから搾り出すような悲しい声で言った。
「南の島に飛んでいってくれたらいいけどなあ」
けれど、季節は足早に冬にむかっていった。
そんな時代のことだ。
「克也。田中さんのところに、おつかいに行ってきておくれ」
母に頼まれ、出向くと、その家には玄関におおきなオームがいた。下駄箱の上に鳥小屋が設置され、止まり木に乗ってゆらゆらしている。小刻みに首を動かすと、オームはおもむろにクチバシをあけた。
コンニチハ。イラッシャイマセ。
甲高い声で出迎えた。なんと粋なはからいなのだろう。無味乾燥のチャイムではなく、血の通った生き物にあいさつをさせて客をもてなすとは。
しかし、鳥カゴの前に一枚の札が置いてある。
『バカと教えないで下さい』
僕は無言でそれを見つめ、用事をすませて退散した。あとで話すと、
「オームの野郎は、人間の言葉を憶えるんだぜ」と政夫くんが言った。「憶えはするが、奴等はちっとも意味ってものを理解しちゃいねえ。マヌケなんだ」
喉の構造がどうのと政夫くんは知ったかぶった。いたく感心した僕は、用もないのにまたその家を訪ねた。
コンニチハ。イラッシャイマセ。
また、オームは鳴いた。
「ありがとうございました」
礼を言って、その足で僕は会う友だちにそのオームのことを話して回った。話しを聞きつけた子供が用もないのに入れ替わり立ち替わりその家を見物に行った。押しも押されぬ盛況ぶりに家のひとはさぞかし喜んでいることだろうと想像して、僕はたいそう自慢げだった。
しばらくして、様子を見に行こうと思って友だちを誘い、一緒にまたその家を訪問した。
「また、あんたたち。何しに来たの?」
「いえ、あの、この石を見にです」
その家の下駄箱の上には、鳥カゴと共に、輪切りにした大きな鉱石がおいてあった。中心が空洞でギザギザして濃い紫色の引き込まれるような魅力を持っていた。きっと、魔よけにでもしていたのだろう。
そ、と言って女の人は奥に引っ込んだ。
すると、オームが鳴いた。
コンニチハ。イラッシャイマセ。
バカト、オシエナイデクダサイ、ダッテ。コンニチハ。
オームは語彙を増やしていた。
「お邪魔しました」
僕らは戸を閉めて退散した。それからも狭い玄関に入り切れないほどの大盛況で、社宅中の子供たちが見学に出向いた。
三度目にその家に行くとオームはいなくなっていた。家の人は出てきもしない。がっかりしていると、奥の方で甲高い声がした。
バーカ。バカト、オシエナイデクダサイ。アホ、マヌケ。アンポンタン。コンニチハ。バカ、バカトオシエチャイケナーイ。
僕は黙って玄関の扉を閉めた。まさか、バカと言ってお客を迎えるわけにもいかない。
ちょうどそんな頃だった。政夫くんが、糞だらけの鳩のヒナを捕獲してきたのは。くしゃくしゃの新聞紙から首をのぞかせている鳩は僕を見て、きょとんとした怯えたような目をした。図鑑を開きながら政夫くんは、したり顔で説明した。
「ドバトだよ、これは」
ポッピーという名前を考えついたのは、政夫くんだった。鳩がそう鳴くからという単純な理由だった。
「僕が飼うよ。僕に飼わせてよ」
しつこくねだったのに、どうしてよいかわからず、僕はすぐに放棄してしまった。ぶつぶつ言いながら父が世話を引き継いだ。
それから半年も経ったころだったか、政夫くんは見事に野生の鳩を飼い馴らし、まさに手懐けたのであった。
ポッ、ピー。
父が呼ぶと屋根にとまっていた鳩は、すーっと降下してきて彼の手に乗るのである。僕は父を見上げた。
ポッピー。
僕が呼んでも来なかった。僕は父に嫉妬し、また鳩を恨んだ。
父は、鳩の首根っこを押さえ、口を開いてじょうごを差し込み、すこし湿り気を与えた粟を流し込むことから始めた。「ウエッて言わないの? ねえ、ウエッて」初めてみる鳩の生態に僕は感激して何度もきいた。
大きくなるに従って、トウモロコシの砕いたもの、野菜を刻んで混ぜたものを与えた。それから時々、政夫くんは蓑虫だとか葛だとかを採取してきた。鳩がピジョンという乳に似た流動食を与えることから不足する、動物性たんぱく質や脂肪を補うためだった。葛には茎のところどころに、ちょうどピーナッツのような腫れた形をしたふくらみがあった。そこをむくと、中から寄生している幼虫が出てきた。父はそれを手渡しでポッピーにあげた。ポッピーは羽をバタバタさせてそれをついばんだ。野生にいてはほとんど口にすることのできない手のかかる御馳走をもらって、彼はすっかり刷り込み直されたのにちがいない。本当の親はこの人だ、と。
父とポッピーは相思相愛だった。
ポッピー。
バタバタバタ。急降下して鳩は父の手にとまる。
「こいつは頭が優れて良い。伝書バトがもう一回野生化したやつの一派かもしれん」
生かじりの図鑑の知識から父は推察した。ドバトは伝書バトが逃げ出して野生化したもので、伝書バトはドバトから品種改良されたものだ。
ポッピーは、いつもうちと連なっている隣の屋根にとまっていた。
「ちょっと、来て」
晴れた日だった。
「こっち。こっち」
隣のおじさんが僕を手招きした。小道は所どころ凹んでいて水たまりがあった。
「驚いちゃいけないよ」
なにを言っているのかわからなかった。が、不安をかき立てられて嫌な気もした。
「悲しんじゃいけないよ」
彼の顔は笑っていた。
「がっかりするなよ」
なんどもそう言って念を押し、彼は社宅の敷地と葡萄畑を隔てた小道に僕を連れていった。水たまりは太陽が反射して眩しかった。
そして、五十センチ四方くらいのベニヤ板の横で止まった。黙っておじさんが板をめくると、そこには鳩の翼らしき残がいが一つあった。翼の周囲には、赤い鮮血が飛び散っていた。
「猫に捕まって食われていた」
とおじさんは言った。ニコニコしていた。
「じゃあ」
おじさんはそう言って、そそくさと引き上げ、僕をひとり置き去りにした。
嘘だ!
あの男が捕まえて八つ裂きにしたのにちがいない。それを猫のせいにしたのだ。僕の目からは止めどなく涙があふれた。でなければ、さっさとどこかに行ってしまうわけがない。僕は隣のおじさんを憎んだ。ツトムくんの気持ちが、この時わかった気がした。ツトムくんのどこかそっけない態度のすべてが腑に落ちた。
あとから、以前父が殺した猫の祟りかもしれないという考えが頭をよぎった。しかし、僕以上に悲しんだのは、他ならぬ父だった。
「きっと人に慣れすぎていたから、猫を警戒しなかったんでしょう」
母は言った。
隣のおじさんが僕の悲しむのを案じていたことなど、まったく想像できなかった。
僕は父にお代わりをねだった。彼はまた、鳩のヒナを捕まえてきた。けれども、そいつは少しも慣れず、父が呼んでも来なかった。そして、いつの間にかどこかに行ってしまった。
「あいつは、ドバトの系譜だ。生粋の」
と父は言ったが、愛情をセーブしたのだろうと僕は思った。
昭和。
