昼にイワシを食ったのだが、こいつは実を言うと一尾だけ昨日焼いていたものだった。冷蔵庫にある干しイワシを見て、ガスレンジの焼き魚コーナーに入れっぱなしだったことを思い出した。
忘れていたイワシは3月の中旬くらいに一夜干しだかを買ったもので特大サイズだった。それよりもっと前に、イワシの干したのを賞味期限が切れてから、みつきほど冷蔵庫に入れっぱなしだったのが大層うまかったので、これをもういっかいやろうと思って買ったのだった。
特大イワシは3尾あった。それを天日干しする青いネットに置いてアパートのベランダにさげていた。ベランダは風が強く、波止場の潮風と同じ環境かもしれない。3日3晩、昼と夜と風にさらしておいた。取り込んでからも保冷パックに入れて冷蔵庫に放置していた。
あぶくたった、にえたった、にえたかどうだか食べてみよ。というわけで、数日ごとに1尾、2尾と食した。まずまずだった。まだ水分が残っていて、噛み締めた時にぐっとくるあの旨味と塩辛さがもうひとつだ。3尾目は、思い切って放置しておこうと思った。
昨日の昼になにげなく確かめると、カビが生えていた。カビか、カビが生えたなら、もうだめかな、と思ったと同時に、あることを思い出した。『おふゆさんの鯖』という随筆だ。それはもう15年くらい前に読んだのだけれども、幸田文の書いたものの中では随一に好きな文章だった。
おふゆさんが腐った鯖を捨てる前に、においを嗅ぎ、ひとくちだけかじってから処分するという話だったのだが、これがまあ気骨のある女性の精神をさりげなく書き残したもので、賞味期限にうるさい現代人にはなくなった魂だとたいそう感銘を受けたのを憶えている。せっかく死んでくれた命、腐っているにおいがどんなものか、腐っている味がどんなものか知ってから捨てる。ひとくちだけでもかじってから捨てる。命にたいする敬意がそこに読み取れる、傑作に値する随筆ではないか。
それを思い出したので、僕はカビの部分をこさいでよく洗い、焼き魚コーナーに入れたのだった。そうして裏表、両面よく焼いたところで、なぜだか僕は無性に散歩に出かけたくなった。
空が青かったからだ。
ふとガスレンジ横のガラス窓からのぞく空が澄んだ青色をしていた。イワシが焼けたのを見計らい火を止め、僕はいそいそと外に出た。出てから3分位だろうか、表の公道ぞいに出てからなぜ自分がやみくもに散歩に出たくなったかわかった。
真上に龍がいたからだ。
それはとても巨大なものだった。飛行機雲かあるいはケムトレールかとおもってみだが、あきらかに頭部、腹部、おっぽがあるので雲だろうと思った。これに呼ばれたのだ。
3時間ほど歩きまわって部屋に戻った時にはイワシのことをすっかり忘れ、いまのいまになったのである。きのう焼いたもんか、きのう焼いたもんなら、もうだめだな、と思ったと同時に、また『おふゆさんの鯖』を思い出した。
電子レンジで温めてから味見だけでもと思い、食うと、これがまたなんとも旨い。実に理想としていた味なのだ。僕はがっつき、もぐもぐと骨まで食してしまった。
おふゆさんありがとう。あなたの精神を知った御陰で僕は最高にうまいイワシにありつくことができました。
