カセットデッキは、やっぱりアカイだな、と心に決めていた、15歳。そしていつかはナカミチ。給料をもらってお金をためたらナカミチのデッキで鳴らすんだ。目を閉じてぼぉーっとその光景を思い浮かべてはため息をついていた。欲しくて欲しくてたまらないその代償行為として、私はピークメモリインジケーターのキットだけを通信購入し、緑・黄・赤のバーを電池で光らせて慰めた。コードを電池に付けたり消したりして光を上下させ、いまきっとこんな音楽が流れているなあとうっとり聴き惚れていた。まるでセロ弾きゴーシュである。
大量にカタログを集めてきては四六時中ながめていた私に呆れ果てたのか、父親が近くの電気店でステレオを買ってくれることになったのは、高校受験も終わらぬ中3の冬ごろではなかったか。Technicsのセットだった。ナカミチでもなくアカイでもなく、ナショナルの製品だったのは、それが手頃な価格であったのと、近所の知り合いが電気店を始めたよしみでもあったろう。いや、英単語のかわりにカタログを暗記させまいとする親心であったと言っておこう。ないよりはマシ。私はそれをすり減るほど使いたおした。
あれから30年。SONYはみんな持ってるし、AIWAやTEACも好いけど、やっぱりアカイだな、のアカイのGX-9100を手に入れて、私はアナログ音源の良さを十分に堪能していた。その太く力強い音に聴き惚れた。やっぱりアカイだな、と思った。こんな音が出るんだ。中学時代の想像をはるかに超える音でなる。にっぽんの技術者の魂、職人の心意気。そんなものを存分に感じながら、私は次々とカセットテープを入れ替えてはため息をついていた。そしてちょうど同時期に落札したのが、クラッシク曲を消去していない大量のメタルテープであった。あくまでテープ目当てに落札したのである。本当だ。決して中身目当てに射抜いたのではない。メタルテープが欲しかったのだ。いまは生産されていないメタルテープは中古の、録音済みの物を手に入れるのが基本なのである。それはどうやらエア・チェックしてあったりアナログ・レコードやCDから録音してあるようだ。中身の確認がてら一本一本聴いている。素晴らしい。
驚いた。GX-9100は実家から持ち帰った30年前のカセットテープもすこしも色あせること無く、ほとんど軒先に雨ざらし日晒しにされていた山下久美子を当時の印象通り、いやそれ以上の音を聴かせてくれたのだった。濃く、パンチのきいたビートで若かりし山下久美子は謳っていた。TDK-MA46は磁気テープの録音技術がいかにあなどれないものであるかを証明してくれたのである。なによりも、ステレオで鳴るのである。デジタル化してからというもの、セパレーションが良すぎて、あの左右のチャンネルの位相をすこし変えることで音像をふたつのスピーカーのまんなかに描くというあのステレオでなくなっていた。それが、初めて我が家でステレオを鳴らしたときのあの不思議な感覚が蘇ってきたのである。音像が両側のスピーカーの間に立体的にでき、その中に私がいるような包まれた安心感。それがアナログにはあったのだ。
やっぱりアカイ。でも、いつかはNakamichi。と仰ぎ見ていたナカミチのデッキ。その最高人気機種にDRAGONというのがあった。10年以上にわたって出荷されつづけ、いまでもその人気ぶりは衰えることない。海外でも高級機として取引され、中古市場で完動品ともなれば9万から16万。さらに美品の類いであれば20万はする。へたをすれば、ちょっとしたオマケ付きで元の定価より高い値段で取引されているようだ。ジャンクでも5、6万くらいにはなるのではないか。そのDRAGONの音をいまだに私は聴いたことはないけれど、ストラディバリかガルネリかにたとえられようと思うのである。貴重なアナログ回路、ICを使わないディスクリートと呼ばれる組み上げたメカニックな構造を有する高性能デッキなのだ。生産は20年ほど前に終わっているから、ユーザーは修理しいしい使っている。まるでバイオリンの名器に等しい。
そのDRAGONに次いでの人気機種にはZX-9とかCR-70あたりがくるのではないか。名器との誉れ高く、だいたい1980年代の半ば頃に発売されたものだ。それよりももっと高価なハイエンドのごっついのは、私が小中学生のころに発売されていたが、定価が50万だの70万のして、父親の手取り給料の半年分くらいあったのを憶えている。いまでも20万くらいしていてそうそう手が出ない。そこで私はオークションでDRAGONを筆頭にZX-9やCR-70のなりゆきを睨んでいた。そしてついにCR-70を無事競り落とすことができた。おそらく相場の3分の1くらいの価格ではなかったか。というのも、その出店業者は『非常に悪い出品者です』の評価が20いくつもあり、また商品の参考画像が極めてわるく、傷を隠すためにあえてこんな撮影をしているのではないかと疑わせる要素が満載だった。説明文も短く要を得ず、またクレームに記載と異なる物が送られてきたと食ってかかったようなコメントもあり、多くのライバルたちが深追いを避けたのであろうと思われる。ところが不思議なことに、私にはまったく不安がなかった。これはしっかりした物で、商品説明に書いてある通り、美品である、と聴こえてきていた。おそらく業者は老齢な人ではないかと思えた。客層とすこしペースが違うが、苦情に対しても感情的にならず、とてもまともなことを答えている。私は彼と出品物の波動を感じ取った。それはおとなしい柔和なものだった。そしてこれこそ私にうってつけの獲物であるという確信を得たのである。最後の価格を入札する時、どこからともなく「おまえにやる」という声がした。それがライバルのものなのか、天の声なのかはわからない。どちらにしろ私には不安がなかったし、これは良品だという読みがあった。
けれども3次元の私は一応心配してみた。それは楽しいものだった。あの声や私の妙な自信、そして勘。それらが的確なものであったのか、物がやってくるのが楽しみだった。入金した夜に私は夢を見た。それは時々ある、背景が墨汁のようにまっくろな夢だ。CR-70は押す度にボタンがポロポロ取れ、デッキのふたは無く、テープはからんでわかめ状態になった。そしてオマケに『あんな安い値段で良い物が来ると思うなよ』という声までした。目を覚ましてもたいして嫌な気分ではなかった。家の者に話すと「それはあなたの心の奥にある不安が見えたのよ」と返ってきた。きっとそうだろうと思った。どちらにしろ、自分の直感や読みが物として証明されるのはおもしろいことだと思った。もしジャンク品であれば修理をするか、返品返金で対応してもらえばいいか、と思った。それもたやすいことだ。
入金してすぐに送り出してくれたらしく、CR-70ははるばる関東から九州までの長旅を二日で終えた。伝票にチェックを済ませ、配達員に慇懃に礼を述べた。ドアが閉まると私は即座にまるでクリスマスプレゼントの包装紙を息せき切ってやぶる子供のような気持ちで段ボールの封を切り、緩衝材を取り払った。
出てきたのは、ほとんど傷のない、また筐体内部にもホコリのついていない綺麗な物だった。が、問題は音である。
口を手で覆いながら言うのだけれども、も、物がちがう・・・。
非常に繊細で、色彩豊か、アナログらしく音楽の焦点を合わせながらも淡々と描くその表現力に私は驚嘆をこえて感動すら覚えた。CDを代表とするデジタル音源はいったいなに? と思えた。デジタルはデータを欲張れるから、とにかく拾える音は全部均等に拾って録音し、ぜんぶどうぞ、というあんばに聴かせる。全部提示しますのでお好きなところを聴いてください、お好みにカスタマイズしてください、そういう音の出方なのだ。この間、甲子園を郵便局のデジタルテレビで観ていたら、バックネットのおじさんやおばさんの顔や服装がくっきり見えた。ピッチャーもキャッチャーも審判もおじさんもおばさんも全員焦点が合っているのだ。きっとデジタル音源の音楽はそういう音の出方をしているのだ。どこにもピントが合っている。ぜんぶくっきりはっきり写しますから、あなたの見たいところを見てください。デジカメの写真はそんな画像だ。なんだかこっぱずかしい。
デジタルは確かにアナログの欠点をすべてクリアした。けれどもである。音が出過ぎることは、音響の整っていない普通の家で聴くとうるさく感じられるのだ。部屋中が振動するのである。壁や障子や天井がビリビリと微振動をしてそれらが共鳴すればいいのだが、たいていは不協和音を作り出し、音が濁る。自分の出した良い音で自分の音を濁している。それが、一般家庭におけるデジタル音源の在り方である。と私は断言する。機器の性能が良ければそれだけ自滅をするのである。
CR-70は通電し鳴らす内に本領を発揮し始めた。動作もキビキビしていてまるで忠実な盲導犬だ。操作者の思いのままに動き、止まる。これはもしかして、いわゆる完動美品というグレードの逸品? そう思わないではおれなかった。それをこの値段で? 実際その後3日おくれで落札されたジャンク品が私の価格より1万円高かった。
その音は、私がかつて所有した数百万にも及ぶデジタル機器を超えていた。というより、まったく別物だった。血が通っている。指揮者、演奏者の心が伝わる。細かな意識の流れが手に取るように分かるのである。<結婚できない男>でなくとも、思わず手タクトを振りたくなる。さらに時間が経つにつれ、電気を食ったCR-70はますます鳴ってくる。ホルンは部屋中に溌剌と轟き渡り、トランペットの高音は天井を突き抜けんばかりに駆け巡り、またパイプオルガンの重低音は下腹をえぐるように迫り来る。バイオリンの小気味よさ、フルートの繊細さ、トライアングルの凛々しさ。そしてなにより、音楽性と呼ばれる、旋律の流れがまるでとぎれることなく私のボディにしみわたってくるのである。モーツァルトは陽気にさえずり、ベートーベンは陰気に語り、バッハは我関せずと孤高に奏でるではないか。ショスタコビッチは寄り道をし、バースタインは脇道に逸れ、カラヤンは王道を行く。
山下久美子からもこれまで聴いたことの無い高域音が聞こえてきた。リーン、リーンという繊細な金属音。こんな音、入ってたっけ?
アカイのデッキも決してわるくない。いや、高級な音だ。しかしそのコンセプトは、良い音をできるだけ価格を抑えて実現し、多くの人に聴いてもらおう、ではないか。技術者の日本人を愛するそんな思いが聞こえてきそうだ。だが、ナカミチはちがう。妥協がない。最高峰の物を提供します。価格はこれだけです。と冷淡に言い放つ求道者である。たとえばオートリバースと言えば、各社、ヘッドを回転させた。(DRAGONはその方式である。が、そのかわり自動でヘッドの角度を調整する機構をもっていた)ところがナカミチは、発想を転回した。カセットを回転させたのだ。一度カセットを前に押し出しそのまま半回転させて再び引き込み再生を再開するという方式を開発したのである。こんなところにこの企業のメカに対する絶対の自信がうかがえる。他に真似のできない奇抜なアイディアさえも具現化できるという信念、それが観える。だが、CR-70を最後にさすがのナカミチも20万を越える高級機を発売していない。時代はデジタル化へと突き進んでいったのだ。同じコンパクトテープを使ってもアナログとデジタルは全くちがう技術のようだ。DATの開発にはこの両者はまったく出遅れ乗り遅れてしまった。
いや、アカイはいさぎよかった。ナカミチのようにDATやCDにはまるで手をつけず、テープデッキの勃興とともに栄え、衰退とともに滅びた。そしてCDの再生で脚光を浴びたのは、隠れた修行者ESOTERICであったーー。そんなことはともかく、私には、やっぱりアカイといつかはナカミチがほぼ同時に来たのである。
これはある種のシンクロではないか。トランプの同時2枚配り。そしてこれはある種のタイムトラベルとも言えよう。さらに言えばこれこそがアセンションである、と私は断言しようではないか。アセンションを壮大な大変動と捉えると見誤る。日常生活の細かな細かなラッキーに気づいていくことである。と、私は思うのだ。細かな細かなシンクロに、ちいさなちいさなラッキーに、かすかなかすかな兆しに、気がつかずしてなにが幸せなのか。日常が奇跡で埋め尽くされている。このことに気づきさえすれば、もう第一関門はくぐったも同然。
そして見よ! 一括大量購入のメタルテープの評価を入れた画像を。弥勒の世を指し示している! これを偶然とまだ呼ぶのか。と言われた気がした。


