チャネリングというものは誰でもできる、というか、すでに全員がやっている。


チャネリングとわたしとの出会いは1987年の4月にさかのぼる。大学に入学したばかりで、寮に入ったわたしはすべてが真新しく、ただその部屋の位置が棟の入り口であったから、全ての住人の足音がひっきりなしにパタパタ、パタパタして夜も眠れず、しかも部屋のまんまえに放送用のスピーカーまで取り付いていたものだから、誰かを呼び出したりお知らせ事項を読む度に精神がかき乱れ、旧制高校の伝統を体感することができると、せっかく期待に夢ふくらませて入ったところだったのに、とうとう音を上げて1年くらいで出てしまったのだった。こらえしょうがないと言うなかれ。棟の入り口から3部屋はすでに誰も住む者がおらず、わたしの当てがわれた部屋も前の年にいた、その年副寮長をやっていた男がノイローゼ寸前までいったし、わたしが出てからはとうとう開かずの間に指定されたのだ。
こんな話はよい。ともかくわたしの部屋の向かって左隣の隣の隣あたりにAという1年生がいた。もちろんわたしと同じ時期に入寮した男である。法学部の学生であったが、これが一風変わっていた。ホヤホヤっと浮いたような男で、なんだか軽いのだ。軽薄短小という言葉が流行っていたが、まさにそんな印象の、得体の知れなさを漂わせていた。長崎あたりから来ていたが、方言はなく、たいした努力もせずにヘラヘラッと合格しましたといったふうであった。女が向こうから寄ってくるので、そういった経験は豊富だと言ってた。
「昨夜も女が泊まっていったばかりだよ、ちょっとハイセンスなこだった」
女にうつつを抜かすつもりは毛頭なかったが、なんだかちょっとうらやましいようなねたましいような気持ちを押し殺しながら話をしていたのをおぼえている。軽薄短小が言った。


「バシャールって知ってる?」


「ば、馬車?」


初めて聞くその言葉にわたしは答えよどんだ。


「バシャールだよ、ダリルアンカってひとがチャネリングしているーー」


「だ、だれだあんた?」


「アメリカ人だよ。エクトンとかそういうのと同じさ。宇宙意識と同期しているんだ」


外国語を聞いているような感覚とはまさにこんなものだ。かれはいろいろ説明してくれたが、まったく理解ができなかった。しかしどうやら霊性についてのことらしかった。


「そういうのは」とわたしは言った。「僕は、科学的思考をやった後にやろうと思っている、だから、いまは・・・」


実際、そう思っていた。宗教の教義にかぶれて陰鬱な状態に陥っていく人を見るにつけ、科学だけでも駄目、宗教だけでも駄目、しかしやるなら科学的思考(これもひとつの信念に過ぎないのだが)実証主義を一通り見てからという思いがあった。


「しかも、日常生活ってものをないがしろにした宗教もないだろう」


とわたしは付け加えた。理想ばかり追った浮ついた思想にはわたしは反感をもっていた。かと言って、父親のように悲観的な現実主義に凝り固まるのも、自分の道ではないと思っていた。


「こんど5月の14日に、ダリル・アンカが来日するんだ。12日にもあるけど、それはスタッフ向けだから、一般が参加できるのは14日なんだ、行かない?」


かれは何度も誘った。わたしは黙って聞いた。


いったいどこからそんな情報を得てきたというのか。しかし振り返ってみれば大学時代を通して、わたしは日頃からさんざん霊的なことを考えしゃべっていたにもかかわらず、この<宇宙意識をチャネルを通して降ろす>という複雑なパフォーマンスが受け入れられなかった。Aがわたしを誘ったのも、わたしの話が、信念に基づいたものばかりだったからにちがいない、つまりわたしはオカルトの理解者だと見なされていたわけだ。たしかにわたしはオカルトを毛嫌いしていなかったし、否定もしていなかった。ただただわたしの中では、ほとんど確信と決意に満ちたように、オカルトは一般常識や科学的思考を超えたところにあると思えていたのだった。


「東京って簡単に言うけど、お金もそうとうかかるんだろう?」


「ああ。夜行バスで行けば、ちょっと疲れるけどたいしてかからないよ」


「でもなあ」


「ねえ、行こうよ。初めて来るんだよ。次いつ来るか知れないよ、ねえ行こうよ」


かれが言うと熱狂的な勧誘には感じられなかった。本当におもしろいイベントだから単純に楽しもうよという思いだけが伝わってきた。


「参加費とか交通費とか要るじゃないか。おれ、5万しか送ってもらってないんだよね」


「バイトすればいいさ。紹介しようか? 結構金になるよ」


と言ってかれはバイトの内容を述べ始めた。


「おれ、大学時代はあんまりお金を稼ぎたくないんだ。勉強がしたいんだよ」


「バシャールの言うことも勉強になるよ」


「それはそうなんだろうけど、おれそういうのはあとからと思ってるんだ」


「そうか。残念だな」


もっと何かいいたげな素振りでAは言葉を切った。


この1987年という年は、世界の意識水準が初めて200を越えたラインである。と後から知った。その25年後が2012年すなわちアセンションの臨界点に達する時であったのも偶然ではないのだろう。200を越えると、とりあえず世界的な戦争をして自滅することが稀になるのだそうだ。わたしが思うのには、この意識レベル200という数値は、恐れが比較的少ないということを表しているのではないか。前の年にあったブラックマンデーという株価の暴落も不安をかきたてるための陰謀であったのかもしれない、といまでは思う。


寮にはさまざまな情報が寄せられた。というのも、国立大学の寮は、他大学の学生を100円だか50円だかで泊めるという制度があったので、自転車で日本一周をしている学生とかなんだかが時々訪れた。ある時、東大の学生が泊まった。わたしは見晴らしのよい裏山に案内し、あそこが蘇山だ、あそこが江津だと教えた。その時の総理は中曽根から竹下に代わったくらいではなかったか、中東でまた戦争があるかもしれないと、まことしやかにささやかれていた。


「やるよ」と彼は言った。「アメリカの高官が、そろそろ経済状態を良くするためにやらなくちゃならんと言ったそうだ」


「経済を良くするために、戦争?」


「爆弾をどこかに落とすと、軍需産業が回り出すだろう。それが他の景気にも刺激を与えるんだ」


彼は淡々と言った。駒場寮に住んでいる彼は、先輩の国家官僚が流す情報をいち早く知る機会を持っていたのだ。


「政府高官がつぶやいただけで、それが実現するものなの?」


「そんなもんだよ」


ちょっと信じられなかった。けれども、しばらくしてそれは現実のものとなった。湾岸戦争である。


「本当にやったんだ」


学生会館のロビーでニュースを観ながら、わたしは驚いた。アメリカの経済を潤わせるために中東の人々は死んでいるのか、と思った。


「アメリカじゃないよ。アメリカの一部の大富豪が儲かるためにさ。そいつらが儲かることが、アメリカ人が儲かること、ひいては日本人、世界の人々が儲かることと思い込まされている」


横に居たグレイ(40過ぎて大学生をしていた男のニックネーム)が解説した。


「実際には、大富豪以外には儲からないよ。むしろ他の連中は、搾取されるという構図になっている」


グレイの父親は元大学教授で、つきづき20万からの仕送りをしてもらい、高級なアパートを借り、いつもアリストテレスだのソクラテスだのの哲学書を持ち歩き、それを体育館の横の暗がりにまるで狸の糞の山みたいにこづんていたり、夜は夏は外のベンチ、冬よほど寒いときは、ここ学館のソファーで眠っていた。


「なんだかお前が言うと、信憑性に乏しいな」


とわたしは言った。


「アメリカの権力者の誰かが決意したらそう動く。もし反対すれば暗殺されるから、大統領も言うことを聞かざるを得ない」


グレイはスノッブな鼻をしながら言った。無知な庶民に教え諭すのがわが使命と心得ているふうであった。余談だが、かれは鼻から鼻くそをポロポロ自然に落としていた。まるでヤギのよう、とその様子を見てある女学生が評したのを憶えている。(鼻くそだけは上品にできない。耳アカ、目やに、歯垢、大便とは言うが、鼻だけはクソである。悪しからず御免)ついでだが、グレイは半年に1度しか風呂に入らなかった。入るのは帰省した時だけで、そのせいで彼は風邪をひいていた。


話がずいぶ逸れてしまったが、チャネリングである。


これは誰にでもできるし、誰でもやっている。なぜなら、意識というのは元々私有のものではないからだ。それを責任をもって選んでいるという主体あるいは個性は自意識、わたしく意識というものであるが、それらは空っぽの意識で、通常、意識と呼んでいるなんらかの意識は借り物に過ぎない、とするならば、何を思っても、それは我がものではない。レンタル意識、レンタル周波数である。どれを借りるかが自由に選択できるのであるだけで、あるいはまたどう使うかが自由裁量として任せられているだけで、その周波数がつくりだす思考や感情はそういうものとして存在しているのである。唯一無二の個性がそれを選び使うから独自なものとなったり、創造的なものとなったりしているだけで、少なくともわたしたちのレベル(第3密度から第4密度に移行している最中)においては真に独創的なものはほとんどないのかもしれないし、あってもまるで役に立たないのかもしれない。そういうものであるならば、まさにカセットデッキとカセットテープのような関係にあり、記録されているものをどれか選び、それをどう再生するかが楽器であるわたくし意識なのかもしれない。


いや、チャネリングである。


自分でできるのだから、他人にやってもらう必要はアリかナシかということだ。
誰かに相談したくなる時というのは、たいてい自意識の周波数がさがっている時だ。つまり迷いや悩みがあるというのは、テーマをかかえていてそれに対する回答が降りてくるまで辛抱強く待つ、そのレベルまで自意識を高めるという状態ではなく、わけがわからず落ち込んでいるという状態にある。しかも自分のこととなると、私情が入り込む。劣情や期待、不安、あるいは都合の好い妄想でチャネリング情報がぶれるかもしれない。そこで他人事として観ることのできる第3者の情報に頼るということもアリではないかと思うのだ。といっても、わたしがむやみやたらと頼まれてもいないのに勝手に霊視したりチャネリングして相手に押し付けるなどということはしない。だいたいわたしは過去生だの憑依霊だのの情報はまるで必要ないと思っている質(たち)なのだ。


自分のこととなると情報へのアクセスや解釈に正確さをそこなう場合がある。とするなら、つまりカウンセリング業とかチャネリングサービスというのは、すなわち私情劣情をはさまず高次の在り方で奉仕しますという宣言なのだ。とわたしは思う。常に精神を安らかにし、落ち着いた心で情報を降ろしますよということがその仕事の前提であり目的ではないかということだ。個性的な表現をするのは仕方ないとしても、個人的な嗜好や欲望、嫉妬、怨嗟、脅し、独占欲などを少しでも混ぜたら、その時点で失格ではないか。


であるし、であるから、受ける側も全部鵜呑みにする必要はないのである。カウンセラーもしくはチャネラーの言ったことのどの部分を使うか、そんな職業をしていない友人のアドバイスもしかり、どこが使えるのか、どう使えば、自分が中心に戻り、そしてよりパワフルになるのか、そういう目でみなければならないのである。だいたいそのへんの友達というのは、こちらが言って欲しいことを言って悪者にならないでいいように保険をかけたようなことしか言わないものだ。


カルロス・ゴーンは言ったそうな。『経営の要諦は、モチベーションを上げること』これに尽きるのである。チャネリングも同じだ。相談者がよりパワフルになることが目的なのだ。神の子である自分を取り戻し、すべて自分で創造できる、すでに創造しているということを思い出すようにもっていくことが要諦なのだ。その情報が正しいか間違っているかはどうでもよい、相談者が力強い創造者である自分を思い出すことが大事である。であるから、わたしは誰がなんと言おうが構わない。言いたければ言えば好いと思う。いつもわたしが主人公なのだ。ひとの言ったことのどこをどう使うのか、聞いて横に置いておくのか、すべてわたしが決める。ぜんぶ面白い話として聞いている。最高の贈り物だと思っている。わたしは自分がよりパワフルになる情報の出所である周波数と同調する。そう決めている。だから騙されたとか裏切られたとか思わない、思えない。嘘をいいやがってとも思わない。面白いことを考えつくなあ、と感心する。そして自分で選んでいない低い周波数のことを、ひとがまるでわたしのことのように言えば、へえ、この人こういう人なんだ、と観る。あるいは、なにか別の意図があるんだな、と観る。


つまりひとの言ってことをわたしのフィルターで漉して使えるところだけ使うのである。漉すのは、不安の周波数の混じった情報。という表現は不正確か。今、私を自分の中心に戻すのにふさわしくない周波数から出てきた情報というべきだろう。だから、逆に低い(不安げな)周波数がそれをなすこともあるのだ。誉められて伸びるタイプと叱咤激励されて伸びるタイプとあるとするなら、相手によっては戻し方が逆になるということだ。しかし低い周波数を高い周波数で支えて渡すことまで配慮できるか。それは日常の家族との会話でも重要な気遣いであろうと思う。しかし仮に、ネガティブな周波数を剥きつけにされても、それを中和させる高次の周波数で返すことで場の雰囲気をかえることができることを全員知っているし、時々はやっていることだろう。


神の子である私たちを思い出させ合うというのが、チャネリングに限らず会話というエネルギーの交換の目的であり、人生とはそれしかやっていないのではないかとさえ思える。もちろん、神への帰還や超越は、行きつ戻りつ螺旋を描いて進行するものかもしれない。だから、チャネリングや霊視に限らず日常会話にしろ、あんなことを言ったと怒ることも嘆くこともない。相手に期待しない。要求しない。むしろそのままでいてくれと願う。そう思うと、起きてくることや出来事を、ただただ海岸のさざなみのように一回一回異なるが同じように見えるその繰り返しを眺めるように虚心坦懐の心で眺めていたらよいのかもしれない。変化しないものはないのだから。

おもしろがっていたらいい。<おおいなるすべて>の送り込んでくることをわたしはなんでもおもしろがっていよう。


25年の歳月を経て、チャネリングにたいする思いはこんなふうに変化した。