13年前のことだ。私はある報われなかった作家の幽霊と共にいた。
当時、今いる所からちょっと離れた隣町の一軒家を借りて住んでいた。32歳になったばかりのころで、会社を辞め、長年夢見て準備していたことをやり始めたのだった。革命だ。自己革命。
このレジスタンスは、ずっと幼い頃よりおぼろげに計画してきたことだった。これを行なうために私は社会化されることを相対化し、幼いままの自分でいようとしていたくらいだった。
その前年、私は鬱々とした気分で、『自律神経失調症』という診断書をもらい、1年ほどの休職をしていた。そして意を決し、ついに果てしない航海にのりだしたのである。荒野をさまよう旅人のような気分だった。
そんな折、私は自分の傍らに若い、私より十(とお)も年下の青年の霊がいることに気がついた。かれは、浮かばれていなかった。どうやら自ら命を絶ったもようで、自分が生前まったく認められていなかったと悔やんでいるようだった。そして私はこの幽霊を祓うことなどせずに、私と道連れにしなければならないと強くかんじた。
絲山秋子などもつづっているが、その当時の私は抗鬱剤による極度な不安を時々繰り返し、パピナール中毒の端くれを経験していた。純文学の世界では、クスリの副作用に限らず、不安神経症を是とする伝統があるので、私もそんな自分をちょっと歓迎しているふしはあった。
宮本輝にしろ山田詠美にしろ、なんだか有名どころは皆ヒステリックに精神を病んでいた。であるからして健全そうな村上春樹などはアメリカのおこちゃま扱いで芥川賞にはありつかないほどだ。しかしこれが正常なのが文学の世界で、むしろ正常な一般世間という常識こそ不健康だと顔をしかめて見せるのだ。
ともかく4次元あたりの暗い時空にいた私は時々、癇癪を起こしてみせたり(これも、志賀直哉がそうだったことを知り、どこかで真似をしてみていたところがあった)陰鬱な見方をしては、その重い想念を超えた処からそういう自分を描いていた。今にして思えば、抗鬱剤の毒を抜いていっている最中だったのかもしれない。コクトーの『阿片』などはその最たるものだろう。
どれもこれも数ヶ月やれば飽きた。苦悩の中から真理を見いだすというやり方がバカバカしく思えてきたのだった。あくまで私の自己革命は進化にあるのだったから。しかし解毒の最中、まったく波長が合っていたのが太宰治なのである。ご存知のように彼は永遠の青春文学の金字塔をうちたてた作家である。おそらく今後も彼の暗い光は重い不安に陥った若者の共感を得続けるだろう。死後50年もつ、というのが彼の切なる思いだったようだが、どうやらそれはかないそうだ。
ともかく昭和の時代の作家たちで生前浮かばれる者など僅少で、自殺でもして話題を作り、人々の気をひいて作品を認知させるという手段に出る者も少なからずいたのにちがいない。太宰などは3度くらい女と一緒に身を投げてやっと本懐を遂げたほどだ。かれの場合、死ぬ直前には売れっ子作家になっていたはずで、やはりここで死ななければ命が惜しいと思われそうだし、これまでの自殺未遂は売れるための狂言だと揶揄されそうだったこともあってか知らぬが、グッド・バイを書きかけたまま逝ってしまった。その太宰を追って墓の前で死んだのは田中英光であったが作家にとって死に方はごく重要な課題なのだろう。
太宰以外に女と心中して未遂に終わったとかいう作家を私は知らないが、そんなことまでして有名にならなかったのなら、よほどの無才だったのにちがいない。日本の伝統とされる私小説。この頃では西村賢太であろうが、特に大正から昭和の初期にかけての私小説家はこぞって疑似恋愛を仕掛け、あることないこと書き散らしては糊口をしのいでいた。このころは、『或る女』にもあるように自由恋愛こそが世間の常識を破る真実の愛であると考えられていたらしく、作家たちはこぞってそれがさも美しいことのようにこぞってかき立てて風俗を乱していた。そのさきがけは、『曾根崎心中』ということになるだろうが、明るく楽しい自由恋愛というわけにはいかず、それは今のような近親者の嫉妬とか独占欲とはまた違い社会的な枠があったのである。その枠をはみ出せなかった者は追い込まれ、にっちもさっちも行くところがなくなって、あの世に旅だって結ばれるというのが日本では美しいとされてきたのである。
私に取り憑いていた若い作家がこういった者のひとりであったかは定かではない。ただ、どうも私が感じていたのは、あの太宰治でさえ死んでからも自分は浮かばれていなかった、日陰者だ、芸術家としてまったく認められていなかったと思っていたようで、それならかれ以外の無名の者ならなおさらであったのかもしれない。しかしこの、死をもって本懐を示すというやり方、命と引き換えに志を轟かすという武士の精神もちょっとまちがえばジメジメした厭みったらしい生き様になるわけで、それを私小説家が真似をすればたちまちねちっこくてこれ見よがしなかんじになって、なんだかいやだ。
私にも作家根性のひとつはある。つまり、自分に起きたことはなんでも使う。とりわけ都合の悪いこと、自分がみじめに思われる出来事などは喜んで題材にする変態的性向ではある。弱点こそさらし、裸で踊ってみせるくらいのみじめな気概は申し合わせている。だが! だが、である。書くための経験などは、金輪際しないのである。つまり、小説を書くために恋愛をやってみるとか、革命に参加するとか、薬物に溺れてみるとか、そういうやってみるの類いはやらないのである。
やってみることもやってみなければならないのかなあと20歳(はたち)くらいの頃にはおぼろげに考えていたこともある。しかし、結局やらなかった。ぜんぜん詰まらないからだ。やるならやる。やらないのなら、やらない。やるならいつでも本気だ。なぜならば、この世に生きること自体がもう、<やってみるの世界>なのだから。そこでまたさらにやってみるを創り出しても仕方がない、と私は思うのだ。本気で生きたからこそ何か独自のものが見えてくるのであって、やってみていることからは所詮やってみているようなことしか見えてこないのではないか。
まあ、太宰にいたっては、「本気で愛してみないか?」などと言って女を口説いていたようで、売れない浮かばれないポンチが死に物狂いで滑稽に生きている様を漂わせ、4次元あたりをさまよっている女と懇(ねんご)ろになっていたのだろう。彼はやってみる世界で、やってみることを本気でやってみていたのだろうから、一応、本気で生きていたのだろうとは思う。
社会の風紀を破って生きることが珍しかった時代にはこうした私小説家の放蕩無頼ぶりが注目されたのかもしれないが、いまでは語ることもしらじらしいほどの乱れようと言うか、愛にあふれた社会なのだから、物を書くために恋愛してみせるなどバカバカしいにもほどがある。本物を知らぬ読者ばかりいて、作家のこうした贋(にせ)の体験が本物らしく見えたのは古き良き時代の錯誤とさえ言える。失楽園で火宅の人を演じている男女など、履いて捨てるほどいるのであって、現在の作家はむしろ逆に、精神が健全で霊性が高く、肉体も健康そのもの、不安も邪心もまるでありません、みたいな人が世間一般の常識を超えているのである。
話がずいぶ逸(そ)れた。くだんの幽霊は、私が彼の境地を超えたとき浄化された。というか、どこかに消えていった。3年くらい経った時だったろうか。自分がその人生でやったこと、終わった境地がプロセスの一環だったことを知ったのだと思った。またやり直せると覚ったのらしい。それほど私がまったく浮かばれずにいるのに嬉々として人生を楽しんでいるのに呆れたのかもしれない。
そしてこの幽霊は太宰治ではなかったかと思うのである。それも太宰治として成す前のかれの過去生かもしれない、と。誰しもそうだが、何度も同じことを繰り返して自分なりの正解にたどりつくのである。こんなことを言うと、まるで私の御陰で太宰が大成したかのようにも聞こえる。しかしそうではない。彼のどれくらい未熟な時期のたましいかは知らないが、それがちょうど13年前の私と同じだったのであるにすぎない。そして私はそれを指標にしたのである。彼がいなくなれば、私は彼の心境を抜けたことが知れるのである。つまりお互い様なのだ。