内蔵の中でどうして心臓だけがひとつで、そして左側によってついているかという問いが、電動歯ブラシで歯を磨いている時にいきなり浮かび、そしてその答えとしては、胸の中心にはハート(たましひ)と呼ばれるスーパーコンピューターが鎮座しているから、と来た。

真偽のほどは分からない。けれどもそうかも知れない、そんな気もする。こういう直感は、その時はなんの役に立つ情報だろうか、と不思議に思うのであるが、あとになってからは、ああこれと結びついているのかと分かると、そんな風に機能しているかもしれないなあと思うことがある。

たとえば、数日前の夜中に、人間のボディの肉体以外の不可視のボディにはそれぞれDNAがあると教えられた。おそらくすでにそのことを詳しく書き表している書物やブログもあるかと思う。しかし私にとっては初めてのことだった。つまり、スピリチュアルの世界で、本来は全部で12あると言われているDNAの不可視のものは、不可視のボディを形成(といっても物質ほど固く定まっているのではないが)しているのだそうだ。

これを聞いた時も、それがどうした? なんの役に立つ? 

と思ったものだ。しかしその後、自分の肉体が特にダイエットもせずに標準的な体型に戻り、ほとんど病気らしい病気もしなくなったのは、実は肉体より内側の不可視のボディが整えられたからだと知った。エーテル体とかアストラル体とか、通常は外側に描かれているあのオーラみたいなボディは実は私たちの中心に向かってあり、それがホログラムのように外側に放射して見えるのだそうで、ともかくそれらの不可視のボディが満足感を得てというか思い出して精妙な波動になったから、肉体を満足させて本心の不満足さを紛らわそうといった気持ちがなくなり、それにつられて余計に食べることがなくなったというメカニズムらしいのだ。

で、その時に働いているのが、不可視のボディのそれぞれにある不可視のDNAらしいのである。きっとこんなことを言う私を科学者は羨ましいと思うかもしれない。なんの実験もせず、ただそうだ、と決めつけられるのだから。苦労も努力もない。手も汚さず、汗もかかない。けれども、こんなメカニズムかどうかは実証主義ではどれだけ実験を繰り返しても解明できないだろうし、また私自身もこれが真理ですと言い広めようとは思っていない。

だが、そんなふうになっているのかもしれないなあと思うと、健康とか生き方がちょっと違ってくるわけで、自分としてはこういった観点の方が好みであるから、まあ仕方ない。科学的な成果も多いに参考にしているし、けれど物質次元に限定した成果だけをまるごと信じてしまおうとも思っていない。

心臓がひとつでしかも左寄りについていることへの回答も、まだあとになってみなければなんの脈絡のどの辺りなのかも分からない代物であります。ハートがガンガン痛いし、なにかと感じている私としては、ハートが心臓そのものではないなあと思っていますが、それと心臓がまるで王道をふさがぬ庶民のように傍らによけていることの関係がいまひとつ分かりません。

だから今はとりあえず、そんなもんかなと思っています。