僕は肉眼でUFOを見たことがあります。
けれどここで伝えたいことは、僕が、でもなければ、見た、ということでもありません。
かれらの出方です。
夢ではいろいろな色や形のUFOをみてきました。白、銀、真鍮色など。直方体、球、アダムスキー型など。確かに肉眼でというのは、これまで1度だけです。少なくともそう自覚したのは。
もう3年くらい前になるかと思います。それまでアバウトな表現の仕方をしているなあと思ってまともに読んだことのなかったバシャールの本をひもときました。かれにしてみると、理屈より雰囲気で理解してもらいたいという意思があったのかもしれませんが、理性ぎちぎちで解りたかった同時の僕としてはどこか物足りなさをかんじていました。しかしある時、ふと読んでみると、これはそれなりに研究するに値する本だと思えたのです。内容の解釈はともかく、そこにエササニ語でエササニ文字が描かれていました。なにを思ったのか僕はその文字を台所の窓のくもったガラスに描いたのです。ガラスがくもるのですから、秋から冬にかけてのことでした。毎朝、くもっているのを見つけると描きました。なんとなく、こうすればかれらに会えるのではないか、と思っていたのです。1度くらいは肉眼でUFOを見たいとも思っていました。
そんなことをどれだけ続けたでしょうか。1、2週間くらいだったと思います。ちょうどそんな折、家族でちょっと高台にある芝生の公園に遊びに行きました。そこで子供たちが凧をあげました。僕はこれがなかなか得意でしたので、親父が僕にしてくれた凧揚げのエピソードをまじえながらしたり顔で糸を引いていました。
「喧嘩ダコってのもあるんだぞ」
とか
「連ダコってものあるんだ、知ってるか?」
などと話しながらゲイラカイトもどきの凧を揚げていました。
それからしばらくたったある日のことです、その日は朝からとてもすがすがしく、あまりに天気が好くて、まさに秋晴れと呼ぶにふさわしい日和でしたので、僕はトイレの横のベランダのドアを開けっ放しにしました。そうして時々、ベランダに出て空を眺めていたんです。珍しいことに一日中、雲ひとつない日でした。(あくまで僕が眺めた時だけを貼り合わせればということなのですが)
陽が西に傾き、そろそろ夕暮れの時間にさしかかるかなという、青さに黄色の混じり始めた時刻だったと思います。ふと見ると、ーー僕の住んでいるのはアパートの4階ですが、地上やく10メートルほどの高さにある僕の目と平行の50メートル、いや100メートル前方に、なにか見慣れない、妙なものが浮いているではありませんか。
それは黒かったので、初めカラスかなにかしら鳥だろうと思いました。ところがよく見てみると、くいっくいっと規則的な動きをしています。周囲で飛んでいる他の鳥たちとは明らかに異なった様子をしています。
ちゃんと数えたわけではありませんが、7か8くらいの黒い三角形の物体が、そしてその腹には何かサインのような白っぽいマークがあるような物体が連なり、まるで風にたなびくように動いているではありませんか。ああ、と僕は思いました。
「おい」と後方を振り返り、子供らを呼びに行きました。「誰かが、連ダコを揚げているぞ」
ふたりの子供がどれどれとやってきました。
「ほら、あそこ」
僕は指差しました。
「どこ?」
「ほら、あの建物の向こうだよ。あの道路の向こうの住宅のところ」
説明しても子供たちは黙って不思議そうにしているばかりでした。
「見えないの? ほら、おれのこの指のずっと先だよ」
と視線を差し向けさせました。
「どこ?」
ふたりの子供たちはまだ見えません。
「あそこだよ」
こいつら、視力が落ちたのか? と僕は思いながらなおも説明しました。
連ダコは、くいっくいっと風になびくように動いています。先頭の凧が一番おおきく、うしろに行くにしたがってちいさくなっていました。いま思えば、真横から見ているのにそんな遠近感があるのはおかしいのですが、その時はなんの違和感もないのです。そしてどことなく動きが不自然なのですが、つまり風にあおられて滑らかに動いているのではなく、まるでおもちゃの蛇腹の笛がひんじをもとに動くようにかくかくと前の凧に調子を合わせて動いているのです。動きのにぶいおじいちゃんが前の人のダンスに合わせてひと呼吸遅れて振り付けをしている、そんな様です。それでもなんの違和感も覚えませんでした。
そうこうしている内に、なぜかその連ダコは向こうの山にむかって遠ざかり始めたのです。どんどん、どんどん小さくなっていきました。それでもまだ子供たちには見えません。
「ほら、あっちに行っているだろう」
と僕が言っても彼らは目をしかめるばかりで、見えないようです。
どんどん、どんどん連ダコは、連なったままの姿で遠ざかって行きます。空は鉛色に変わりかけていたかもしれません。連ダコは連ダコの陣形を取ったままちいさくちいさくなっていきました。胡麻よりも、芥子粒よりもちいさくなり、とうとう見えなくなってしまいました。
「あーあ、見えなくなった」
と僕が残念そうに言いました。子供たちは首をかしげたり、頭をふったりしています。
「なんだよ、せっかく連ダコがあったのに」
僕はそうつぶやきました。
あれ?
おかしい。
連ダコが、どうして何キロも離れた山に向かって、水平に飛んで行くんだ?
「いまの、なんだったのか?」
聞いても詮無いばかりです。見たのは僕だけだったからです。
目撃している間中、なぜか僕は写真を撮ろうという発想がわきませんでした。
「いまのなに?」
僕は妻に聞きました。彼女が知っているはずがありません。まるで関心がないかのように、炊事をしていましたから。
「あれ? 凧があんなふうにどこかに飛んで行くか?」
僕は不思議でたまらず自問するしかありませんでした。黒い三角の物体。もしや、あれがUFOでは・・・。
それまでも僕はUFOが見たい一心で、このベランダの窓から外を眺めては、飛んでいないかなあ、と思っていたのでした。ところが、いざそれを目撃した時には、どういうわけだか、空がきれいだから眺めていたのです。その日はなぜか心にUFOを見たいという気がまったくなかったのです。ですから、不意をつかれたようになって、自分がそれを見たという自覚すら持てなかったのです。
惜しいことをした、と思いました。けれども、黒い三角形の姿をした悪の手先のUFOもあるという情報をネットで見つけて、そういうものだったのかもしれないなあと思い直し、喜ぶのはまだ早いぞと考えたものです。
けれども、その後、かれらのUFOの見せ方、演出の仕方がユーモアにあふれ、またこよなく優しいと感じるに至りました。こちらが恐怖をわきたたせることもなく、そんな暇も与えず、しかもほんの数日前に話していた連ダコに似せて現れるなぞ、なんて愛にあふれているんだと思いました。嬉しくなりました。かれらのサービス精神の旺盛さに喜び、またそのユーモアセンスに特上の笑いを生じざるを得ませんでした。
あれはきっと本物だったんだ、と思いました。
後にも先にも、肉眼でUFOを見たのは、これだけです。そしていまの私にはそれで十分なのかもしれません。
