つぶやくで。



覚醒には、決まった条件が必要なんではなく、なにかをきっかけに、すでに自分の知っていることを知っていいのだと許可することかいなあ。そのきっかけちゅうのは、自分が納得できればなんでもエエような気がするんやなあ。たとえば、バナナの皮を踏んで滑って転んだとか。雷に打たれなければならへんとか、運命の出会いがのうても、べっつにかまやしませんのや。いや、覚醒を許した出会いや出来事は、自分で創り出した運命かもわからんなあ。

つぶやくで。



瞑想っちゅうんは、私は今こういう状態ですと宣言をして、その周波数を創り出し、その状態でいることかいなあ。ようするに、いつでも瞑想しているんやけれども、おのれの意志でコントロールが利けば利くほど、自覚的に生きとるいうだけかもわからんなあ。

つぶやくで。

宇宙の根源やといわれとる空意識は、いま自分の状態をただありのままに見つめた時にぬっと頭をもたげてくるあれかいなあ。あれに我々が制限を加えて周波数を落として、元々のなんでもあるという状態の中の一部を感じているんかもしれんなあ。空意識がえらいんやなくて、いまの感情やら思考を経験できてることに感謝したくなるんが、空意識を知るいうことかもわからんなあ。

つぶやくで。

外側にはなんもなくて、すべて自分が内側で選択している意識を観ているだけやというのは、その通りやと思うんやなあ。でないと、なんでも他人のせいにしてしもうて自分がより高い選択をするっちゅうことが始まらんように思うんやなあ。内面を振り返るための方便、と思うんやなあ。変化が宇宙の性質や知ったからこそ出てきた物の観方や、思うんやなあ。

つぶやくで。

ヘタな関西弁しゃべりくさってからに!


ほしの ちぐさ おとぎの部屋-怒るで、しかし!