『その夜、彼は板橋の三畳間でしこたまワンカップを呷ったのち、日課の自慰に例の美奈子を使ってやることにした。
場所は、見たことのない日下部の部屋である。』
いきなりであるが、西村賢太の『苦役列車』の一節である。いやいやながら通っている日雇いの冷凍工場に小銭稼ぎのアルバイトに来ていた、おない歳の大学生日下部に対して主人公の貫多はなみなみならぬ嫉妬心を燃やしている。美奈子とは、その交際相手である。
『日下部をしたたか痛めつけて縛り上げたその前で、高学歴をハナにかけ、サークル活動でチヤホヤされているのを恰も自らの天賦の才に依り来たるものと心得た、高慢ちきなあの若いのか老けているのか判然とせぬ、顔色の悪いブスを悠々と犯す図を想像しながら、貫多はめくるめく恍惚へのステップを着々と駆けのぼってゆく。
やがて美奈子の泣き叫ぶ罵声交じりの悲鳴が甘い嗚咽に変わったとき、貫多はやにわにそのブスの髪を摑んで顔に青痰を吐きつけてやり、ただ項垂れるよりなす術のない日下部に一瞥をくれたのちには、またゆっくりと腰を動かし始めてやるのだった。
そして、何度も何度も、ひたすらに犯し続けてやるのであった。
だが、現実の貫多は二度の放液を果たすと、途端に憑き物が落ちたようにガックリとなり、次いで激しい恐怖が心中に沸き上がってくるのを覚える』
とまあ、ある種の戦慄をおぼえるシーンである。これくらいの描写は、腕に自信のある作家たちなら書き切ることもできよう。だが、このあとに、こんな一行を挿入できるという点で、この作家は群を抜いている、と私は思う。羨望すらおぼえた。
『性犯罪者の素地たる血が、自分の中にも確と流れているらしき事実を改めて認識すれば、慄然とした思いにただただ打ちひしがれてしまうのであった。』
少年時代に、実の父の犯した罪を背負った作者のその境遇にある自分とは何者かという数十年に渡る問いと諦観。その間にあった果てしない思考と周囲の目。失意、不可解、宿命、譴責、悔恨・・・。少年賢太は、思い悩み、そして何度も自信を回復しようとしてきたのかもしれない。けれども、一生まとわりつく汚名にいかんともしがたい境遇。
たった、この一文に凝縮された彼の人生をかけても逡巡に思いを馳せるとき、私は深い悲しみを嗅ぎ取り、御節介ながらも敬意とエールとを送りたくなるのである。
一時期マスメディアで話題になったように、彼が、おもしろおかしく、笑みを浮かべながら、お金を払って性を買うことを半ば強調するかのように口に出すのは、いまのところ彼が至った結論なのかもしれない、と私は思った。
西村賢太があえて飛び込んだ境遇にめげることなく、むしろ己の生涯のテーマとして、落ちぶれても孤高の精神だけは保ち昇華させてきた思考や感情、そして境地を私は興味本位で読み飛ばすことはできなかった。
魂の遍歴のひとつとして過酷な宿命を選んだ彼が、自らの苦役を公に向けて語るとき、それはもうありとあらゆるミネラルを含んだ美しい天然水のように思えるのである。
全体を通しての読後感は、この作者の育ちの良さ、品の良さが残った。ワルに限りなく近づいて果たせなかったのは太宰治であるが、この人もまた悪ぶって見せてはいるが、どうも板についていない。しかしそれが幸いしているように思った。柔らかな物腰をもったやざくれた作家というアンバランスが人間的な深みを放ち、かえって紳士に映る。
どうやら人間の魅力とは、ーーなにもこれは犯罪の勧めではないが、善と正義にだけすがって安全にいようとする態度からも、そしてまた、投げやりに頽廃していく性根からも生じてこないように思う。
場所は、見たことのない日下部の部屋である。』
いきなりであるが、西村賢太の『苦役列車』の一節である。いやいやながら通っている日雇いの冷凍工場に小銭稼ぎのアルバイトに来ていた、おない歳の大学生日下部に対して主人公の貫多はなみなみならぬ嫉妬心を燃やしている。美奈子とは、その交際相手である。
『日下部をしたたか痛めつけて縛り上げたその前で、高学歴をハナにかけ、サークル活動でチヤホヤされているのを恰も自らの天賦の才に依り来たるものと心得た、高慢ちきなあの若いのか老けているのか判然とせぬ、顔色の悪いブスを悠々と犯す図を想像しながら、貫多はめくるめく恍惚へのステップを着々と駆けのぼってゆく。
やがて美奈子の泣き叫ぶ罵声交じりの悲鳴が甘い嗚咽に変わったとき、貫多はやにわにそのブスの髪を摑んで顔に青痰を吐きつけてやり、ただ項垂れるよりなす術のない日下部に一瞥をくれたのちには、またゆっくりと腰を動かし始めてやるのだった。
そして、何度も何度も、ひたすらに犯し続けてやるのであった。
だが、現実の貫多は二度の放液を果たすと、途端に憑き物が落ちたようにガックリとなり、次いで激しい恐怖が心中に沸き上がってくるのを覚える』
とまあ、ある種の戦慄をおぼえるシーンである。これくらいの描写は、腕に自信のある作家たちなら書き切ることもできよう。だが、このあとに、こんな一行を挿入できるという点で、この作家は群を抜いている、と私は思う。羨望すらおぼえた。
『性犯罪者の素地たる血が、自分の中にも確と流れているらしき事実を改めて認識すれば、慄然とした思いにただただ打ちひしがれてしまうのであった。』
少年時代に、実の父の犯した罪を背負った作者のその境遇にある自分とは何者かという数十年に渡る問いと諦観。その間にあった果てしない思考と周囲の目。失意、不可解、宿命、譴責、悔恨・・・。少年賢太は、思い悩み、そして何度も自信を回復しようとしてきたのかもしれない。けれども、一生まとわりつく汚名にいかんともしがたい境遇。
たった、この一文に凝縮された彼の人生をかけても逡巡に思いを馳せるとき、私は深い悲しみを嗅ぎ取り、御節介ながらも敬意とエールとを送りたくなるのである。
一時期マスメディアで話題になったように、彼が、おもしろおかしく、笑みを浮かべながら、お金を払って性を買うことを半ば強調するかのように口に出すのは、いまのところ彼が至った結論なのかもしれない、と私は思った。
西村賢太があえて飛び込んだ境遇にめげることなく、むしろ己の生涯のテーマとして、落ちぶれても孤高の精神だけは保ち昇華させてきた思考や感情、そして境地を私は興味本位で読み飛ばすことはできなかった。
魂の遍歴のひとつとして過酷な宿命を選んだ彼が、自らの苦役を公に向けて語るとき、それはもうありとあらゆるミネラルを含んだ美しい天然水のように思えるのである。
全体を通しての読後感は、この作者の育ちの良さ、品の良さが残った。ワルに限りなく近づいて果たせなかったのは太宰治であるが、この人もまた悪ぶって見せてはいるが、どうも板についていない。しかしそれが幸いしているように思った。柔らかな物腰をもったやざくれた作家というアンバランスが人間的な深みを放ち、かえって紳士に映る。
どうやら人間の魅力とは、ーーなにもこれは犯罪の勧めではないが、善と正義にだけすがって安全にいようとする態度からも、そしてまた、投げやりに頽廃していく性根からも生じてこないように思う。

