ちょっと今日は、自分の書く物を作品みたいな形にまでもっていかずに素のままで述べることにしましょう。

自分の身に起きた急激な変化と言うか、気づいたことです。

胸の、喉に近い辺りにしばらくの間、違和感がありました。なにか、ここにいるという感覚です。それは、不快というかワクワク感というか、すべてがない交ぜになったような不思議なものでした。

また、特定の誰かの存在のようでもありました。

いつもずっとそこに『在る』のです。生き物のような感じで。

たしか昨年の9月20日くらいのことですが、3日くらいえも言われぬ恍惚感に見舞われたのでした。すべてとの一体感をおぼえて、どの人も、どの物も自分の延長にある、ととても愛おしく感じられ、憎んだり恨んだりするなど思いもつかないという境地でした。

それと前後して、1ト月ほど、胸が張り裂けそうなくらい苦しくなって、時折、吹子(ふいご)のように呼吸をせざるをえなくなりました。

どうもこの時、ハートが広がっていたようなのです。ちょうどその時、特定の誰かに恋しているような経験をしていました。あまりにハートが苦しいので、ハイヤーセルフに尋ねました。すると、こう答えました。

『ロマンチックな方法でハートを啓いているのだよ』

自分は、心がちいさくて狭かったのです。だから、恋をしたこともなければ、あれこれ思い悩むこともなければ、失恋して我を失うこともなかったのです。また、逆にそうした経験をしたことがなかったからこそ、天(高次の私や私のブループリント)はそれをもたらしたのかもしれません。

その後、性性の統合があり、愛というエネルギーの実存を体感しました。(これは何か特別なことがあったというより、最初から統合していたのを知った。許可したというのが正確です)

それから、しばらくすったもんだのことが起き、すっかりその愛の感覚やハートの拡大のことを忘れていました。

落ち着いてくると、再び私はそれまでのように感謝の念にあふれ、より中立な自分やより中心にいる自分になりました。

その頃からです、胸になにかいる、と思い始めたのは。

それで私はハイヤーセルフにたずねました。すると、かれの代わりに、胸にいる生き物が答えてきました。

ミニチュアの神だ

というのでした。

つまりこういうことなのです。よく言うじゃないですか、神様は天と、人間のハートにいる、と。その人間にいる方の存在を私は自覚したらしいのです。もちろん、天の神とハートにいる神はクラインの壷のようにつながっています。極大と極小の接点が、ハートにあるのだそうです。この神様というのは、創造性そのもので、あらゆる現実や状況を創り出すことができるそうです。

ーー聞いたことですが、ここからは、まるで自分が知っているかのように偉そうに語ります。いちいち伝聞調にするのが面倒なので。

誰にでもあるし、誰でも使えるものです。いまでも全ての人が使っている、ことに気がつかずに使っている。スーパーコンピューターを遥かに超えたものです。(これも何か特別なことをして、どこからかやってきたのではなく、初めからあったのに気がついただけです。あったことに気づくのを許したということです)

どんなものかなあ、と思って想像してみると、どうも球体をしています。魔女の使うあのクリスタルの玉を思い浮かべるとわかりやすいです。

それが胸の中にあるのです。

そしてそれが、あらゆる『音』を放射しています。

球体の中には、曼荼羅があります。いろんな色を使ったシンメトリックな構造をもった立体の幾何学模様があるのです。CPUの美しいデザインを超えた、複雑でかつシンプルな構造をしていて、私の意志ひとつでいかようにも書き換えられます。たとえば私が、

「インスピレーションの入ってくる境地です」

と宣言すれば、模様が変化し、それに見合った『音』を出すのです。もちろん聞こえません。ですから、一般的に『波動』と表現した方が適切かもしれません。

受信するには、送信するのですから、理にかなっていますね。

私の出した波動と同じ波動がやってきます。同調したのです。そうやって、私がそれに見合ったパラレルリアリティに移動するのか、ここにその現実を創り出すのか知りませんが、出した波動通りのリアリティを創り出します。

実は皆、すでにいつもいつもそうしています。よし、これから舞台本番だ、気合いを入れて取り組むぞ、とか、よし、これから100メートル走の決勝だ、落ち着いて自分の走りをするぞ、とか決意しますね。そうすると、本当に思っている通りの精神状態になる。その波動を創り出している源なのです。よし、これから不安のどん底に陥ってやるぞと決めれば、あらぬ妄想がどんどん思い浮かんできて、まるで現実がそうであるかのように見えてきますね。

この球体に名前をつけようか、とも考えたのですが、やめました。名前をつけると何者かを限定してしまいそうだからです。

けれども、話しかけ、教え、感謝して育てることができます。育つと、私が育てられます。

そしてどうやら、この球体の動力源は、愛とか感謝とか多幸感にあるようなのです。それらを存分に浴びるほどに活発に動くのです。つまり、出したものは返ってくるのですから、たくさん出せば、さらによく機能するということです。

つまり、笑い話のようになりますが、愛だけ出しておけば、こいつはフル回転しっぱなしということです。

まあ、愛といってもいろんな周波数のものがあるでしょうから、そこは自分で創造していくことになるのですから、意志とか意図は常に意識することになるのでしょう。「意志とか意図は常に意識することになるのでしょう」なんて、分かりにくいですね。

参考までに、ミステリーサークルのデザインは本当は立体で、まさにこの球体をどうにか機能させるアイディアなのだそうです。

内なる神の正体が、『音』を創り出す装置だったとは、驚きです。ただ、波動を創り出すだけなのですよ。それが万物を創成したなんて。

物に見えるものもぜんぶ、ただの『音』つまり、動いている波だというのですから、気が狂いそうです。

とにもかくにも、この胸にあった球体といま友情を結び、築き始めたばかりです。これからどうなるのやら、・・・いや、それはこいつにやらせればなんでも創ってくれるのですから、簡単ですね。

それではみなさん、今日はこれくらいで。


追伸 対の霊といわれる存在は、自分のハートにある球体と同じものなのですが、極性が逆なのだそうです。磁石のS極とN極になぞらえるのが最もわかりやすいかと思います。正直な、引力と斥力を同時に帯びているので、非常に特別な関係のように思えるのですが、どんな存在(霊)とも目的に応じて最善なのですから、特別に特別ということはありません。ということだそうです。ただ、学びの速度と高度さがちがうようには思います。もちろん、それを選んでいるからです。