わたしはまだ余韻を楽しんでいた。つまり、ヒーラー女性との統合を通して宇宙の愛に、つまり原初の意識、波動に合一した経験をだ。しかし、この経験をした後に、もし強引にエゴの方にレバーを移動させられたら、独占欲や嫉妬が前面に出てくるのだろうか。そうして、ヒーラーの首に輪をかけ、綱を取りながら、
「この女は、オレだけの物だ! おまえら、近寄るんじゃないぞ。もし、欲しければ、力づくで獲得しろ! フフフフ。こっそり奪うだって? 笑止千万。オレの目をあざむこうたって、そうはさせないぞ。オレの監視をかいくぐれるとでも思っているのか。この女は、オレのもんだ。オレが苦労して手に入れたもんだ。オレは血のにじむような努力をして、いまの自分のポジションを築いてきた! だから、おまえら全員オレの言うことを聞け!」などと、腹にどすグロいイチモツをかかえ、奇っ怪な笑みとともに叫ぶのだろうか? そして、誰も名乗りをあげないと知るや否や、誰も欲しがらない無価値の所有物だと見なし、熱が冷め、まるでおもちゃに飽きた子供が脇に押しやって忘れるように放置するのだろうか。
まあ、なんにしろ、この極めて高周波の女性を縛ることなど不可能だと思うがーー。ともかく、愛とエゴは共存できない波動同志のようだ。そんなことを思って愉快になっていると、察知したのか、ヒーラーが言った。
「愛とエゴは共存しえます」
「え?」
「エゴを愛で包み込むことで、エゴが愛らしく表現されます」
「はい?」
「子供たちのエゴは可愛らしいでしょう?」
「ええ、まあ。そう思えば、そうです」
「かれらは愛そのものですので、エゴは、ーー」
この後なにを言ったかなぜか聞き取れなかった。
たしかに子供らのエゴは、たとえば「えー、じぶんばっかり~」などと頬をふくらませても、本当なひとつなのになア、どうしておなじじゃないの? というメッセージとして感じられる。得た物を守ろうとか、自分と他人を分離させようとする気持ちはないようだ。たしかにエゴも愛にはちがない。自分だけに限定されているものの。
「その、中央のゼロはなんですか?」
わたしは、当初からの疑問をぶつけた。
表情を変えずにヒーラーは答えた。
「ここは、『すべて』を表しています」
「わかりません」
「いまみなさんが焦点を合わされているこの次元には、反対概念というものがありません。ですから、ゼロのすぐ左右のどちらにもプラスしかないのです。宇宙は存在しているからです。存在していない、なにもないというのも、存在しているからこそ存在していることなのです。おわかりですか?」
「ああ。まあ、なんとか」
なにもないことも存在していて、存在していない境地からは存在していないということが認識できない。という想像すらできないということだろう。<There is nothing>は従って、なにもないと訳しては正確でない。<なにもないことがある>と観るべきだろう。
「みなさんが自分の世界だと認知されている顕在意識のみの次元においてさえも、いまここにいる霊的な世界と同じ法則で働いているのですが、みなさんは理性が理解しやすいように狭く限定したり、2つに分けたりすることによって物理的に変化をもたらそうと努力されます。しかしもっとスムーズにおこなおうと望まれるなら、まず高次元の領域において変化をされ、それを物理次元に顕在化される方が賢明です」
と、ヒーラーが言った。
どうやらわたしは答えを急ぎすぎるきらいがありようだ。わたしの場合、自分の発言に責任をもちすぎると言い替えることもできるかもしれない。心の奥底から、熟成した気体がおのずとわきあがってくるように新しい認識を感じるのをゆっくり待つのが楽しめていない。即座に、自分の理解しやすいように既存の観念にむりやりあてはめてしまいそうになる。
ずっと、もうひとつ何か重要なことがわからないから、この経験について書き進めるのをためらっていたのだが、その重要なこととは、分からないまま、こうして知ったことをそのまま記述してしまうということではないだろうか。このことが分からなかったから筆が止まっていたのだ。今、自分の分からなかったことが分かった。
ヒーラーにかわって科学者が詳しく説明した。
したがって、これから書くことは、わたしにはうまく解説できないことだ。聞いたことをそのまま記しておくものだ。
科学者の長い髪の束が揺れた。
「左側すなわち∞の方向にほんの少しだけ振れた時、すなわち自分の中心に戻る方向ですね、その値を仮に1/10の10億乗としましょう。非常にちいさな数値で、限りなく1/∞に近いですね。一方、右側、エゴの方向に振れた時には、1/10の1/10億乗となって、限りなく∞に近い。したがって、近視眼的に見た場合、こちらの方向に行くのが得だ、答えだ、と錯覚してしまうのです」
ああなるほど、それで、足の引っ張り、出し抜き、ウソ、ズル、罠、駆け引き・・・とありとあらゆる手練手管が発明されたのか。とわたしは思った。
「ところがそのまま進行すると、∞の方向の値が1の時、線対称に1/∞の方向に1を取ると1/1となって、同値になります。その値を過ぎては反比例的に急激に減少していき、やがて1/∞に近づきます」
こうして記号を使って説明されると正確だけど理解しにくく感じるが、実はたいしたことは言っていない。一見、エゴの方が得なように思えて、その実、愛の方が実り多い、という当たり前のことを表しているだけだ。近視眼的な錯覚を数学的に説明しているのにすぎない。
「みなさん、1次関数の┼を思い浮かべてください。これですね」
どうやってしたのか、科学者は空間にホログラムのように┼を描いた。
「x軸とy軸の交差点を0と置き、横の直線の右をプラス方向、左をマイナス方向と仮定しますね。それから縦の直線の上をプラス方向、下をマイナス方向と仮定します。みなさんの数学ではそう表現することを知っています。そして、このプラスとプラスで囲まれたこの領域、みなさんが第一象限と呼んでいるところですが、たましいの次元では、L字のここしか存在しません。第2から第4象限はいわば理性の造り出した架空の領域なのです」
これを聞いたわたしは頭を割られるような衝撃があった。疑いもなく『ある』と思っていたものが、ないと表現された時。わたしたちは、まるで空想上のことを本当に存在しているように思い込まされていたのかもしれない。しかし架空の概念であっても、わたしたちには創造力があるので、存在させることが可能なのだ。3次元物理分離世界の特有な思考法だろうがーー。
「さきほど私たちが便宜上、左右に開いて描いて見せた図も、実はL字で表現するのが適確なのです。ゼロ地点の上に延びているこの直線こそ、愛の∞(無限大)を表しているのです。ハートの中心の中心、そのまた中心に凝縮していけばいくほど、∞に上昇していくのです。つまり、創造神の諸元の波動に近づくのを許し、認めていくということです。無限大の愛を知る、つまり比喩的に表現すれば、ハートの器に取り込むことになるのです。それを認める、あるいは取り込むための制限を押し拡げていくと言ってもよいかもしれません」
この制限は観念や信念のことだろう。けれども、それもまるで外してしまえば現世で生きるには不適格になる場合が多いので、あえて取り付けている節はある。火事場の馬鹿力を常時発揮できないようになっているのと同じことだ。
「そして、自分が愛そのものだということを忘れ、エゴを肥大させていけばいくほど、無限大の愛を知っていた自分から、忘却している自分へと成長していくのです。わかりますか?」
つまりまとめると、ゼロ地点であればあるほど、わたしたちはそこから上に向かって伸びていき、ゼロ地点から離れれば離れるほど愛を忘れ、エゴを増大せるということか。
「愛という状態は、信念でも観念でもありません。みなさんのご使用になられている言葉では、認識といった方が正確かもしれません。ただ知る、ただそうだと知っているということです。信念は、諸元の波動を落として、それらしく振る舞うための道具なのです。愛であることは全く難しいことではありません。ただ、ぽかんとしている時、思考や信念を停止させている時、いつでも愛の状態なのです」
まさにわたしは、ぽかんとしながら聞いているしかなかった。
そしてこの後、ヒーラーと科学者が代わるがわる話をしていった。一体全体、この講義はどれだけ引き延ばされ続けられるのか・・・。
「この女は、オレだけの物だ! おまえら、近寄るんじゃないぞ。もし、欲しければ、力づくで獲得しろ! フフフフ。こっそり奪うだって? 笑止千万。オレの目をあざむこうたって、そうはさせないぞ。オレの監視をかいくぐれるとでも思っているのか。この女は、オレのもんだ。オレが苦労して手に入れたもんだ。オレは血のにじむような努力をして、いまの自分のポジションを築いてきた! だから、おまえら全員オレの言うことを聞け!」などと、腹にどすグロいイチモツをかかえ、奇っ怪な笑みとともに叫ぶのだろうか? そして、誰も名乗りをあげないと知るや否や、誰も欲しがらない無価値の所有物だと見なし、熱が冷め、まるでおもちゃに飽きた子供が脇に押しやって忘れるように放置するのだろうか。
まあ、なんにしろ、この極めて高周波の女性を縛ることなど不可能だと思うがーー。ともかく、愛とエゴは共存できない波動同志のようだ。そんなことを思って愉快になっていると、察知したのか、ヒーラーが言った。
「愛とエゴは共存しえます」
「え?」
「エゴを愛で包み込むことで、エゴが愛らしく表現されます」
「はい?」
「子供たちのエゴは可愛らしいでしょう?」
「ええ、まあ。そう思えば、そうです」
「かれらは愛そのものですので、エゴは、ーー」
この後なにを言ったかなぜか聞き取れなかった。
たしかに子供らのエゴは、たとえば「えー、じぶんばっかり~」などと頬をふくらませても、本当なひとつなのになア、どうしておなじじゃないの? というメッセージとして感じられる。得た物を守ろうとか、自分と他人を分離させようとする気持ちはないようだ。たしかにエゴも愛にはちがない。自分だけに限定されているものの。
「その、中央のゼロはなんですか?」
わたしは、当初からの疑問をぶつけた。
表情を変えずにヒーラーは答えた。
「ここは、『すべて』を表しています」
「わかりません」
「いまみなさんが焦点を合わされているこの次元には、反対概念というものがありません。ですから、ゼロのすぐ左右のどちらにもプラスしかないのです。宇宙は存在しているからです。存在していない、なにもないというのも、存在しているからこそ存在していることなのです。おわかりですか?」
「ああ。まあ、なんとか」
なにもないことも存在していて、存在していない境地からは存在していないということが認識できない。という想像すらできないということだろう。<There is nothing>は従って、なにもないと訳しては正確でない。<なにもないことがある>と観るべきだろう。
「みなさんが自分の世界だと認知されている顕在意識のみの次元においてさえも、いまここにいる霊的な世界と同じ法則で働いているのですが、みなさんは理性が理解しやすいように狭く限定したり、2つに分けたりすることによって物理的に変化をもたらそうと努力されます。しかしもっとスムーズにおこなおうと望まれるなら、まず高次元の領域において変化をされ、それを物理次元に顕在化される方が賢明です」
と、ヒーラーが言った。
どうやらわたしは答えを急ぎすぎるきらいがありようだ。わたしの場合、自分の発言に責任をもちすぎると言い替えることもできるかもしれない。心の奥底から、熟成した気体がおのずとわきあがってくるように新しい認識を感じるのをゆっくり待つのが楽しめていない。即座に、自分の理解しやすいように既存の観念にむりやりあてはめてしまいそうになる。
ずっと、もうひとつ何か重要なことがわからないから、この経験について書き進めるのをためらっていたのだが、その重要なこととは、分からないまま、こうして知ったことをそのまま記述してしまうということではないだろうか。このことが分からなかったから筆が止まっていたのだ。今、自分の分からなかったことが分かった。
ヒーラーにかわって科学者が詳しく説明した。
したがって、これから書くことは、わたしにはうまく解説できないことだ。聞いたことをそのまま記しておくものだ。
科学者の長い髪の束が揺れた。
「左側すなわち∞の方向にほんの少しだけ振れた時、すなわち自分の中心に戻る方向ですね、その値を仮に1/10の10億乗としましょう。非常にちいさな数値で、限りなく1/∞に近いですね。一方、右側、エゴの方向に振れた時には、1/10の1/10億乗となって、限りなく∞に近い。したがって、近視眼的に見た場合、こちらの方向に行くのが得だ、答えだ、と錯覚してしまうのです」
ああなるほど、それで、足の引っ張り、出し抜き、ウソ、ズル、罠、駆け引き・・・とありとあらゆる手練手管が発明されたのか。とわたしは思った。
「ところがそのまま進行すると、∞の方向の値が1の時、線対称に1/∞の方向に1を取ると1/1となって、同値になります。その値を過ぎては反比例的に急激に減少していき、やがて1/∞に近づきます」
こうして記号を使って説明されると正確だけど理解しにくく感じるが、実はたいしたことは言っていない。一見、エゴの方が得なように思えて、その実、愛の方が実り多い、という当たり前のことを表しているだけだ。近視眼的な錯覚を数学的に説明しているのにすぎない。
「みなさん、1次関数の┼を思い浮かべてください。これですね」
どうやってしたのか、科学者は空間にホログラムのように┼を描いた。
「x軸とy軸の交差点を0と置き、横の直線の右をプラス方向、左をマイナス方向と仮定しますね。それから縦の直線の上をプラス方向、下をマイナス方向と仮定します。みなさんの数学ではそう表現することを知っています。そして、このプラスとプラスで囲まれたこの領域、みなさんが第一象限と呼んでいるところですが、たましいの次元では、L字のここしか存在しません。第2から第4象限はいわば理性の造り出した架空の領域なのです」
これを聞いたわたしは頭を割られるような衝撃があった。疑いもなく『ある』と思っていたものが、ないと表現された時。わたしたちは、まるで空想上のことを本当に存在しているように思い込まされていたのかもしれない。しかし架空の概念であっても、わたしたちには創造力があるので、存在させることが可能なのだ。3次元物理分離世界の特有な思考法だろうがーー。
「さきほど私たちが便宜上、左右に開いて描いて見せた図も、実はL字で表現するのが適確なのです。ゼロ地点の上に延びているこの直線こそ、愛の∞(無限大)を表しているのです。ハートの中心の中心、そのまた中心に凝縮していけばいくほど、∞に上昇していくのです。つまり、創造神の諸元の波動に近づくのを許し、認めていくということです。無限大の愛を知る、つまり比喩的に表現すれば、ハートの器に取り込むことになるのです。それを認める、あるいは取り込むための制限を押し拡げていくと言ってもよいかもしれません」
この制限は観念や信念のことだろう。けれども、それもまるで外してしまえば現世で生きるには不適格になる場合が多いので、あえて取り付けている節はある。火事場の馬鹿力を常時発揮できないようになっているのと同じことだ。
「そして、自分が愛そのものだということを忘れ、エゴを肥大させていけばいくほど、無限大の愛を知っていた自分から、忘却している自分へと成長していくのです。わかりますか?」
つまりまとめると、ゼロ地点であればあるほど、わたしたちはそこから上に向かって伸びていき、ゼロ地点から離れれば離れるほど愛を忘れ、エゴを増大せるということか。
「愛という状態は、信念でも観念でもありません。みなさんのご使用になられている言葉では、認識といった方が正確かもしれません。ただ知る、ただそうだと知っているということです。信念は、諸元の波動を落として、それらしく振る舞うための道具なのです。愛であることは全く難しいことではありません。ただ、ぽかんとしている時、思考や信念を停止させている時、いつでも愛の状態なのです」
まさにわたしは、ぽかんとしながら聞いているしかなかった。
そしてこの後、ヒーラーと科学者が代わるがわる話をしていった。一体全体、この講義はどれだけ引き延ばされ続けられるのか・・・。
