バッハのゴールドベルグ変奏曲は、何回聴いても、飽きないですね。
BGMにしながらこれを書いてます。
このごろ、私が思っているのは、宇宙の法則を超えるということです。
人間は、人間の常識をちょっと超えるだけでも大成功します。
たとえば、昨夜、中学生の勉強をみていたのですが、チョコレート。
これは、大昔、ラテンアメリカでは飲み物でした。薬として飲まれていました。
それをスペイン人が自国にもちかえり、ある日、誰かがその飲み物に砂糖を入れました。
大革命です。これがチョコレートの常識を超えた最初です。
次に、これを固まりにしました。19世紀になってからのことだそです。
苦い飲み薬だったものが、甘くておいしい固形物のお菓子になったのです。
こんなふうに、常識を超えることはたくさんあります。
それを宇宙の法則にもやるのだ、と思っています。法則自体は変わらないかもしれないが、創造神と同じ創造性のある私たちは、法則を超える創造性を発揮することができると思う。
たとえば、因果律。
それから、いわゆる恒常性の維持、ファイナルアンサー、揺り戻し、あるいは壁、と言われていること。
これが在り、そしてどう働くかを知っているのだから、それを超えて遊ぶ、戯れることができると思う。法則に翻弄されるのではなく、こちらから活用する。
因果律に関しては、起きた出来事に意味がないと観察すること。そして、高次元のパワフルな意味をつけること。これが、私の進化、上昇であり、次に生じる結果や状況を好ましいものにしてくし、過去の結果への解釈をかえる。つまり、いまの上昇した自分を創るために、というよりその機会でしかなかったと心から思うこと。
こんなプロセスが、創造性の発揮、宇宙の法則を超えていくということではないかと思います。
宇宙の法則すらよく理解して使いこなし、さらには超えていく、それを使って遊ぶという想像は実に楽しいと思いませんか?
恒常性の維持については、まず、なにが障害だと見えているか、それをよく見つめる。そして元をたどれば、己の恐れに行き着くことを知る。その恐れは、恐れるに足りることか、またまた見つめる。足らないと思えば、笑える。その向こうにある、もっと楽しいこと、エキサイトな状況を想像して、それしか想像せず、そこに居る自分が3次元世界でもそうなるようにアイディアを出して行くのが楽しい。そうなるまでやる。うまくいかなければ、そうでない方法が答えだと知らせているのだと知っていると、ニコニコ笑いながら次のアイディアを思いつく。自分の望む最高の状態になるように手を打っていく。結局は、手練手管を使うのではなく、己の認識の向上が鍵になっているように思います。
具体的なことは書きませんが、なんか、そういうことなんじゃないかと思っています。
それから、他人の観方に対するアイディアが12月1日、2日と深まっていきました。これはまず、自分自身をどうみるかということから始まるのですが、自分とその人の関係、つまり第3の相手を創り出していくのは、私であるということです。キーは、自分が意識を合わせた相手の次元の意識はそのエネルギーを増幅させるということです。人を育てるとは、どういうことか、この観点からするとよく理解でします。
このことについてはまた、次の機会にでも書きたいと思います。
ところで、さっき、オーディオの部屋に行った時、バッハのゴールドベルグのCDがちらっと目に留まり、パソコンに録音してあるiTuneで聴こうとしていたところでした。でも、これを書くのに35分もかかってしまいました。
何回聴いても好いし、聴いていないときに、さらにこの演奏の深さや素晴らしさに気がつきますね。
BGMにしながらこれを書いてます。
このごろ、私が思っているのは、宇宙の法則を超えるということです。
人間は、人間の常識をちょっと超えるだけでも大成功します。
たとえば、昨夜、中学生の勉強をみていたのですが、チョコレート。
これは、大昔、ラテンアメリカでは飲み物でした。薬として飲まれていました。
それをスペイン人が自国にもちかえり、ある日、誰かがその飲み物に砂糖を入れました。
大革命です。これがチョコレートの常識を超えた最初です。
次に、これを固まりにしました。19世紀になってからのことだそです。
苦い飲み薬だったものが、甘くておいしい固形物のお菓子になったのです。
こんなふうに、常識を超えることはたくさんあります。
それを宇宙の法則にもやるのだ、と思っています。法則自体は変わらないかもしれないが、創造神と同じ創造性のある私たちは、法則を超える創造性を発揮することができると思う。
たとえば、因果律。
それから、いわゆる恒常性の維持、ファイナルアンサー、揺り戻し、あるいは壁、と言われていること。
これが在り、そしてどう働くかを知っているのだから、それを超えて遊ぶ、戯れることができると思う。法則に翻弄されるのではなく、こちらから活用する。
因果律に関しては、起きた出来事に意味がないと観察すること。そして、高次元のパワフルな意味をつけること。これが、私の進化、上昇であり、次に生じる結果や状況を好ましいものにしてくし、過去の結果への解釈をかえる。つまり、いまの上昇した自分を創るために、というよりその機会でしかなかったと心から思うこと。
こんなプロセスが、創造性の発揮、宇宙の法則を超えていくということではないかと思います。
宇宙の法則すらよく理解して使いこなし、さらには超えていく、それを使って遊ぶという想像は実に楽しいと思いませんか?
恒常性の維持については、まず、なにが障害だと見えているか、それをよく見つめる。そして元をたどれば、己の恐れに行き着くことを知る。その恐れは、恐れるに足りることか、またまた見つめる。足らないと思えば、笑える。その向こうにある、もっと楽しいこと、エキサイトな状況を想像して、それしか想像せず、そこに居る自分が3次元世界でもそうなるようにアイディアを出して行くのが楽しい。そうなるまでやる。うまくいかなければ、そうでない方法が答えだと知らせているのだと知っていると、ニコニコ笑いながら次のアイディアを思いつく。自分の望む最高の状態になるように手を打っていく。結局は、手練手管を使うのではなく、己の認識の向上が鍵になっているように思います。
具体的なことは書きませんが、なんか、そういうことなんじゃないかと思っています。
それから、他人の観方に対するアイディアが12月1日、2日と深まっていきました。これはまず、自分自身をどうみるかということから始まるのですが、自分とその人の関係、つまり第3の相手を創り出していくのは、私であるということです。キーは、自分が意識を合わせた相手の次元の意識はそのエネルギーを増幅させるということです。人を育てるとは、どういうことか、この観点からするとよく理解でします。
このことについてはまた、次の機会にでも書きたいと思います。
ところで、さっき、オーディオの部屋に行った時、バッハのゴールドベルグのCDがちらっと目に留まり、パソコンに録音してあるiTuneで聴こうとしていたところでした。でも、これを書くのに35分もかかってしまいました。
何回聴いても好いし、聴いていないときに、さらにこの演奏の深さや素晴らしさに気がつきますね。
