∞←------------0-------------→1/∞


「これは、愛のエネルギーとエゴの関係を現したものです」ヒーラーが言った。「∞の方向は愛がたくさんある、つまりエゴがない状態、1/∞の方向は愛が乏しい、エゴが肥大した状態です。エゴが肥大しているとは、自分が、すなわち愛がちいさいということです。非常に限定された自己像を信じているのです」
おおきなクーラーほどの大きさのパネルに表示された図を指しながら、ヒーラーは伝えてきた。その神秘的な表情から発せられた精妙で繊細な光の粒は、優しいそよ風のようにただよってきてわたしの全身に浸透し弾けた。
非常に心地よい恍惚をおぼえながらもしかし、彼女の説明にちょっと違和感を覚えた。レンジの間にゼロがあるということにだ。左が無限大、右が無限小。無限小の成れの果ては、ゼロではないのか。しかし、そうすると無限大のとどの詰まりはどうなる? ・・・理解できない。
そしてまた、中央にゼロを置いていれば、たとえば、無限大方向に1の時、無限小方向には1/1で1となり、どっちに向かっても初めの一歩は1ということになるではないか。いや、それどころか、無限大方向に0.1の時、無限小方向は1/0.1となって、10。愛が無限小すなわちエゴにまみれた方向の方が数値が大きくなるのだ。1を超えると素直に減っていき、限りなくちいさくなっていくのだろうが、これはどういうことなのだ? しかも∞方面、1/∞方面のどちらにふっても+(プラス)なのだ。その前に、どうして中央がゼロなのだ? わたしは熱心に理性を働かせたが、まったく解らなかった。(ここに物質的ボディを置いてきて脳そのものがなくても、理性という波動は存在しているし、それを使う癖まではなくならないようだ。いや、あとから思考したことが重ね合わされているのか・・・)

ヒーラーは説明を続けた。
「∞の方向に移行していると、エゴはどこかの地点で幻想をさらけだし、それにとってかわるように個性が顕になってまいります。エゴがなくなると自分がなくなるのでは、という恐れも消えます。個性とは、みなさまひとりひとりが有しておられる原初の波動でございます。偉大なる創造神と同じ周波数でありながら、固有の色彩をもっているものです」
だんだんヒーラーの声が明晰に翻訳できるようになってきた。とても丁寧な言い回しを採用しているようだ。
「0はあなたです。あなたのハートの中心です。みなさんの住まわれている地域で、センターを中心と、心の真ん中と表してきたのは、偶然ではございません。本当のあなたは心の真ん中にいらっしゃるのです。中心の中心に戻れば戻るだけ、∞に近づいて行きます。一方、あなたが愛を忘れエゴを肥大化させればさせるだけ、あなたは不安の幻想を現実だと信じこみ、本当の自分から離れたような錯覚に陥っていきます。このことを『実験』します」
とヒーラーは言った。
実験だって? とわたしは思った。こんなことをどうやって実験するというのか。思っていると、数人の男女と思われるスタッフとおぼしき宇宙人が入ってきた。ここは、長い通路の一角だ。あっちに入り口があり、向こうの方には長い床が続いているが暗くて行き止まりが見えない。側面は横に一列が透明で、この宇宙船の本体らしき筐体の一部がのぞいている。そこには小さな窓が横に並んでいて明るく光っている。この風景は初めから見えていたことだ。しかもなぜか、宇宙船の創り方さえ、なぜかわたしは知っているのである。それは人間が社会を創る時と同じ・・・。
「はい、では男女対(つい)になって下さい」
ヒーラーが指示した。
参加者は男性は女性の宇宙人と女性は男性の宇宙人とペアになった。余ったわたしは、このヒーラーと組むことになった。どきっとしないでもなかった。そうなればいいな、と思っていたからだ。けれど、これが幸運なことだったとは、この後に起きたことを思えばなんとも言い難い。
「服を脱いでください」
ヒーラーが言った。みな顔を見合わせながらニヤニヤしたり恥ずかしそうにしながらも言われた通りに裸になった。たしかに愛の『実験』をするのに裸でなくてなんでやるのか、と思わないでもなかった。
「それでは、まず、1/∞の方にふっていきます」とヒーラーは言った。「これは、わたしたちだけが行ないます。みなさんには、∞方向だけを経験してもらいます」
ヒーラーは、わたしの背中に器具を貼り付けた。それは高周波治療器のパットのようだった。コードがついていてその先端には、先程の奇妙なレンジのついたコントローラーがあった。それをヒーラーが握っていた。ヒーラーは低い台に寝そべり、わたしに手招きした。覆いかぶされと言うのだ。なんと、ここでまな板ショーでもやらかすのか? 
ともあれわたしは、衆人環視の中、言われた通りに仰向けの彼女の上にうつ伏せに重なった。彼女の身長は185センチくらいあり、わたしとはかなり差があった。わたしはヒーラーの顔をまじまじと見た。やや横広の輪郭にちいさくとがったあご、細くて切れ長の目、その瞳は深く深くまるで深海にでも潜っていったような気分にさせられた。それから皮膚は、ーー。そんなことより、この女性は初対面のわたしの全てを受け入れ相容れる状態にあるのが分かった。
「いま、この方の愛の度数は、このあたりです」とヒーラーが言った。それは、さっきの大きなパネルにも表示された。だいたいゼロと∞のまんなかあたりだったと思う。「これを1/∞の方に動かしていきます」
言って、ヒーラーは手中のコントローラーのレバーを下げた。その瞬間、なにを思ったのかわたしは、ヒーラーから跳ね飛ぶように離れた。まるで強力な粘着テープを強引に剥がするように。服をつかんで五メートルほど遠ざかったところで下腹部を隠しながら縮こまるような中腰になってこう叫んだのだ。
「おい、女、おれをそそのかそうたって、そうはいかないぞ。あっちへ行け! こんどこんなことをおれにさせようとしたら、ただじゃすまないぞ。いいか、おぼえておけ。必ず叩き潰す!」
まるで、アクション映画の悪役のセリフである。つき出した腕の先で人さし指が小刻みに揺れ、しかも全身をガタガタ震えさせ、さらには両足を交差させてくねくねしたような不格好この上ない動きをしていたのだ。ひどい嫌悪感が頭のとっぺんから足の先までじかじか痺れるようにあった。ぎゅーっと胸がちいさく萎(しぼ)んだような感覚に襲われた。頬から眼窩にかけての表面に痛みをともなった痒みがあった。参加者は全員、唖然としていた。スタッフとおもわれる宇宙人たちは微笑むでもなく、苦い顔をするでもなくその様子を見ていた。ヒーラーがコントローラーに手をかけた。

目盛りをゼロよりすこし∞のところに戻された時の恥ずかしさときたらなかった。なにを一体ほざいたのか。この醜態をいままでの倍の者がつぶさに観ていたのだ。わたしは照れ隠しに頭をかくしかなかった。
ヒーラーは裸で立っていた。まるで精巧な造形物。透き通るほど高密度の肌。青白い炎のような妖艶な光が体の周囲に漂っていた。わたしはその姿にズキンときた。再び呼ばれ、さっきと同じポーズを取った。全員がしていた。まるで集団性行為のような光景でもあった。
「今度は、∞の方向にふっていきます」
ヒーラーが言った。
彼女のコントロールで、すべてのひとの愛の量を調節できるようだった。ぐーっとレバーを∞の方向にふった。するとどうだ。まるで眠りに入る時の無意識のような一瞬が訪れたかと思うと、わたしの顔は、ヒーラーの首の辺りに溶け込んでいた。青くて透明な南国の海を思わせる液体につかったような、そんな気分だ。ヒーラーが目盛りをさらに∞の方に動かした。それとともに、強烈な恍惚感がわたしの全体に蔓延し、まるで、ほどよく熱された厚い鉄板の上に乗せた氷のブロックが高さを減らして行くように頭も胸も腹も下半身の脚も、すべてヒーラーの中に溶け込んでいった。
そこで観た光景は・・・。
いや、もうこれは、ニルヴァーナ。色即是空、空即是色。許容できないほどの恍惚感、至福、快感、・・・。忘我、無我、空、原、・・・。どんな言葉でも表し切れない境地だった。
どこまでもどこまでも延長された今がある。締め切りもなければ、納期もない。なんの制限もない悠久の時とはこの感覚なのか・・・。この感覚に触れると、自分がいかに時間に追い立てられ、時間で自分を区切って来たかが浮き彫りになる。
そしてもうひとつ。分からないものはないもないという安心感。ひとつひとつの電子の意識、中性子の意識、原子核の意識、そしてそれらのまとまった原子の意識、それらが構成している分子の意識、元素の意識、そしてそれらがどれだけか集まったひと塊の石の意識、さまざまな石の集まった山の意識、たくさんの山の集まった大地の意識、海と山の集まった星の意識、星の集まった太陽系の意識、銀河の意識、それらをすべて知っている宇宙の意識、すべての次元の意識、ひとつひとつの無機物の意識、ATGC各塩基の意識、その組み合わせを指示するコドンの意識、アミノ酸の意識、たんぱく質の意識、ミトコンドリアの意識、ゴルジ体の意識、細胞膜の意識、DNAの意識、一個の細胞の意識、胃や腸などの器官の意識、人間の体そのものの意識、私という意識、私たちという意識・・・。そのすべての意識をいっぺんに知っている。まさに、知っているのである。すべてが分かっている、分からないことも分かっている。すべては、いまここでわたしが感じている。すべてとつながっているどころか、すべてがわたしなのだ。ああ、この恍惚感は、なんと表現したら伝わるのだろうか。伝えたい・・。要するにエクスタシーという言葉でしか表せない、不安という、愛でできていながら似ても似つかない状態すら寛大に包み込んで赦している、あたりまえと言えばあたりまえだが、そんな大きさにわたしの全てを理解されている、そんな満たされたわたし。
すべては自分の中にあり、どれかを選んで感じているだけだ。創造神がいかに愛であることか。好きなものを感じられるように宇宙を創っていたのだ。自由だ。わたしたちは、好きなものを感じることを選べる。どんなことでも。周りの状況がいかに最悪に思えても、裁判、非難、嫉妬、激怒、怨嗟、無視、無理解・・・、どんなエネルギーに取り囲まれていても、至福でいることは可能なのだ。そして否定的なエネルギーでさえ、愛おしい。自分自身なのだから。
それぞれが、好きな在り方を選択して味わうことができる。わたしは宇宙の中心にいる。いや、ありとあらゆる意識が宇宙の中心なのだ。宇宙にあるもの全てが自己中心なのだ。自己を中心に回っている。ありとあらゆるところにわたしは存在している・・・。
そんな光景を観じていたとき、ヒーラーの声がきこえた。いったいどれだけ時間が経ったのだろう。永遠のようでもあり刹那であるようにも感じた。
「それでは、元にもどします」
目盛りを∞と0の間くらいにやったのだろう。わたしは、まるで水の中から浮き出た氷のように分離した。わたしは立ち上がり服を着た。他の参加者も、けだるい動きで服を着ていた。まだ、恍惚感が体中をまとっている。きっとそれで参加者全員の動きがのろいのだ。

余談であるが、この『実験』を経たあと顕在意識下にもどった時、私はパンツをはいているのが無性にもどかしく、また不自然に感じるようになった。それで、昼間に誰もいない部屋では、下半身裸になって生活した。とてもよかったが、つまり、罪悪感や羞恥心のない、心配やつまらぬ疑いのわいてこない、実に堂々とした状態で過ごすことができるのだけれども、季節がら寒くなったのでとりやめにした。

ヒーラーはいつのまにか宇宙服をつけていて自然体で立っていた。そして例の優しい雰囲気で、この人の言うことなら嘘でも素直に受け入れてしまいそうな温かさで伝えてきた。
「みなさんが元の世界に戻られ、これと同じことを経験される時、多くの場合、肉体ごと溶け込むことはないでしょう。しかし他のボディは、今と同様に溶け合っているということを思い出してください。高い波動同志が融和したのです。もし周波数が同じなら、どんな波動同志でも融合しますが、そのとき魂がどんな快感をおぼえているかをよく観察してください。高ければ高いだけ、今ほど体験された快楽にちかづきます」
さらにこんなことも言った。
「エゴをうまく使うことを学ぶことが愛を多く受け入れ、また多く出す、創り出すことになります。愛すなわち光と闇の双方を含んだ原初の波動を受け入れるのを自分に許せば、ーー人間という種は、宇宙で稀に見るほどこれを恐れるのですが、ーーエゴを上手に使うことができるようになります。愛を受け入れようとする時ほど、自分の抱いている恐れが明確になることはありません。その恐れをよく観察してください。本当に恐れるに足ることなのか」
わかるようでわからぬことをヒーラーは言った。光とともに闇を受け入れることが、どうして愛なのか? いや、それこそが愛なのかもしれない。
「その0(ゼロ)って何ですか?」
パネルを指さしながらわたしはたずねた。