みうらじゅんといとうせいこうが『見仏記』という本とDVDを出していたが、彼らがやっているから面白いのもあろうが、世の中、どうもスピリチュアルな雰囲気を取り戻そうという動きがあるのだろう、寺や仏像を見て回るという企画がヒットするとは。みうらじゅんと言えば、『DS』が好みであった。が、それはともかく、ポトスライムである。え? まだそっちにはいくな、みうらじゅんの話が聞きたい。なるほど、それでは、私はあの自己偏愛を是とするみうらじゅんの曲の中では『じゅんちゃんがうまれたのは~』と無邪気に歌う、中学生のころにレコーディングしたという自己自讃唱歌が好きです。
それでは、あらためまして。
あ、そういえば、みうらじゅんと言えば、じゅん文学の西村賢太はキャラがかぶっているというか、同じくらい開き直っておられるかもしれません。
You Tube『みうらじゅんに訊け!お金篇~第九回~』これはお勧めです。
さて、ポトスライムの中にも神社仏閣の名前が羅列される。『春日大社』『東大寺』『興福寺』と節操なく参拝して回る。五重塔、阿修羅像、国宝館、阿吽像、ぼけ封じの茄子のお守り、と古式ゆかしい、荘厳な雰囲気を醸し出す単語が並んでいたりする。
興福寺の一言観音にむかって、友人と祈るシーン。
ーー「そやで、べつのお願いにしようよ」
そういうヨシカの誘いにも、恵奈は頑なに首を振り、小学校にいけますように、と繰り返した。順番が回ってきて、他の人々が次々に願い事を口にしているのに、ナガセには何も言うことがなかった。棒立ちになっていると、ヨシカがコートの肘を引っ張って、あんたも、とせかした。わたしは何か今ちょっと思いつかんし、ええわ、と言うと、何言ってんの、世界一周やろ、とヨシカは呆れたように言った。ナガセは、ああ、まあね、と同意しながら、手を合わせて、せかいいっしゅうが、と頭の中で言いかけ、やめた。代わりに、ヨシカとりつ子と恵奈ちゃんとおかんの願いが叶いますように、と願って、そろそろと行列を離れた。自分でも、どうして世界一周クルージングができますように、ひいては、そのための費用が貯まりますように、などとは願わなかったのだろうと思うが、理由はよくわからなかった。それ以外の願いを思いつけないことについても、自分のお世辞にも恵まれているとは言えない生活を鑑みると不可解だった。もっと自分は望んでいいはずなのだけれど。それこそ望むだけなのだとしたら。ーーー

ここも、すーっと読み飛ばすと、意識の希薄な若い女性が願うことすら思いつけない惨めな有り様をさらしただけのように見える。けれども私はそうは読まない。

祈りの最高の状態を上から並べると、
①なにも思わない、無の状態。『存在』そのものとして向き合う。
②神様を愛しますと宣言する。自分自身に戻って行くことで。
③見守ってもらっていることや全ての出来事に感謝の意を示す。
④他人の願いが叶うことが願い。
⑤無病息災、家内安全を願う。
⑥あしたも良い日でありまうようにと願う。
⑦私利私欲を要求する。
これは、私のつけたランクですから、文句を言わないように。ともかく、上位ランクの祈りであればあるだけ、うまくいっているし、もっとうまくいくし、うまくいくことすら望んでいないという状態であると思います。このランキングに照らすと、ナガセは、ランク四位と一位の境地を表現していると言える。そのくせ、人並みに悩んだりごねたり、迷ったり、パワハラに遭ったりするのは、おかしいじゃないかということになると思うんですが、それは背景と考えることにします。普通の人のような衣を着させて実は、ハイレベルの認識を盛り込んでいる。滋味として知らぬ間に栄養になる描写を織り込んでいると私は読むことにしました。
欲がうずいていなければいないだけ、いまに満足しているということだし、満足していればいるだけ、欲が叶うという原理に任せていればいいのだけれど、それでは、なにも成さないような気がするし、情熱もないし、ゾンビみたいでおもしろくなさそうに思えるのですが、実は逆に、リア充どころかスピ充で、現実に夢想したいことが創出するということになるのではないかと思います。
別に肉を食ってはいけないとか、酒を飲んではいけないとか、性欲を感じてはいけないとか、そんなことをする必要はないし、むしろそのような戒律は進化を妨げます。食べたくなくなるまでは食い、飲みたくなくなるまでは飲み、やりたくなくなるまではやった方が健康で健全です。よりハイレベルな意識を含めてやればいいのですし、政治家とか教師とか坊主とか、なにかと善だけであろうとする人たち程いびつで人格のぎこちない人はいないでしょう。彼らには、もっと高度な不良になってもらいたいと思っています。それはさておき、ある境地を超えると、不思議とそれらはなくても構わないと自然に移行しますから、無理は禁物です。
ともかく、津村記久子は、祈りにたいする高度な洞察をさりげなく、いかにもぼーっとした女性を主人公に演じさせながら見事に描いていると思います。ただ、彼女が描き切れていないのは、(3つめのアンダーラインのところに思いは込めてあると思いますが)欲をなくす前に、思いっきり、精いっぱい、最高なことを望むということだ。最高の幸福、最高の交歓、最高の栄誉、最高の富。そして、そんなものは、望む前に与えられていることを知ることだ。望みを忘れる前におもいっきり望んでおく。これを欠いては始まらないように思います。
そして最後に、どんなに自分が神に宇宙に愛されているか、知れば知るほどもっと大きな、高度な支援が得られることを、彼女に代わって私が、ーーこっそり教えちゃおうかな。