ポストライムの舟と読み間違えたので買った。
読む内に、これは植物の性質と自分を重ねた様な話しだと思ってよく見ると、ポトスのことだった。わたしは観葉植物にうとい。水だけで生命力たくましく育ち葉も根も増える、食べられないこともないが毒がある、という舟に揺られているのが就職氷河期と称された時代のプアな若者たち。これが、小説を貫く縦糸の一本なのだろう。それはともかく、3つばかりシーンをあげて、そこに何を観るか、書き記すことにする。

(主人公ナガセは、夜間、自転車で帰る途中、ブレーキをかけるが利かない。あやうく自動車に跳ねられそうになる。電柱にぶつかって止まった)
ーーなにこれ。なんなんこれ。
妙に息が荒くなっていた。
家まで自転車を押して行き、ガレージで前輪の様子を見ると、ブレーキをかけた時にタイヤの内側に摩擦させることによってその動きを制御する、パッドのような部品がなくなっていることがわかった。おおかた、ヨシカの店にいる間に、誰かがいたずらで盗ったのだろう。
ナガセはいらいらしているというのでもなく、部品を奪った人間に対して怒っているというのでもなく、落ち着かない心持ちで、次々に噴き出してくる額の汗をぬぐった。
(中略)
ーー「わかった。貯めよう」
口をついて出たのはそんな言葉だった。怖かったー、でもなく、盗った奴死ね、でもないことを自分が言っているのは、意外なことでもなかった。
(中略)
ーー次々と計画が頭をもたげてくるのは気持ちが良かった。ひさしぶりに、生きているという気分になった。

このシーンが目に留まりました。ここに作者の達観を観たからであります。
わたしの住む団地の駐輪場に置いてある自転車へのいたずら、あるいは犯罪行為はやまない。押しピンをタイヤに刺す、サドル、ハンドルを取り去る、空気注入口を抜き取るなどなど、脅そうが諭そうが、住民共同で整理整頓しようが治まらない。無差別に、あるいは特定の者を狙って。もう、これは自転車が開発された時から世界中で続く負の連鎖と見なすしか手が無い。怒り、不信感、恨み、悲しみ、羞恥心、殺意、嘲笑、罪悪感・・・。さまざまな負の感情がやった者にもやられた者にも渦巻いていることだろう。結局わたしの取った最善の策は、駐輪場に置かない。であった。監視カメラをつけるのは、ただその犯罪を他所に押しやるだけだ。
乗ろうとした自転車がない。壊れていて使えない。この時の、持ち主の落胆、怒り、悲しみ、殺意。そして、それを想像する時の犯行者の愉快さ、同情、背徳心。おそらくは、これらの感情に支配された策が『禁止』と『罰』の発明なのだろう。禁止は、さらに犯行を生み、犯行はますます禁止を生む。この渦が巻いているのが、自転車なのだ。自転車の値段は下がり続け、パンク修理セットもワイヤーキーもたくさん百円ショップで売られている。犯罪が前提みたいな品ぞろえやな、と感心する。防犯産業がなりたつには、負の連鎖が欠かせない。
ともかく、自転車への犯罪行為に対して、ネガティブな感情をもたないでいるのは、とても高度な心構えであろうと思う。鈍感だからではない。宮本輝の『幻の光』では、他人の自転車を解体する男が最期には列車に跳ねられて死ぬのだから、なみなみならぬ怨嗟がわきあがるのが普通であろう。それを将来の構想、希望を喚起することで、負の感情をわき起こさせない。浸入させ、心を支配させない賢明さ。いかにも、心を占めていたのは日々の労働や働くことへの疑問と、世界一周への迷いを引きずっているかのように見せかけ、実に、怨恨と復讐に傾く自分を抑制している様を描いているのである。と、私は読んだ。

長嶋有の『猛スピードで母は』には、こんなふうに書いてある。
「前なんか、自転車のサドルだけ盗られたんだよ、変だよね」といって笑った。
「サドルだけ盗られて、どうしたの?」初対面なのに、気安く尋ねる言葉が出てきたので自分でも少し驚いた。
「隣に停めてあった自転車のサドルを盗んで、取り付けて帰った」と洋子さんは簡単にいった。
(中略)
世の中のみんなが洋子さんのようにしていったら。みんなはサドルのない状態をリレーしていくのだ。考えると怖いような面白いような気持ちになった。怖いのは、人のものを盗んでいるからだ。私はサドルを盗まれても、我慢して立ち漕ぎするか、あるいは押して帰るような気がする。目の前にいる洋子さんという人はためらわない。私はリレーに加われない。

『自転車泥棒』なんていう、胸の痛くなる映画もありました。

ちなみにわたしのところの自転車は、目の届く所にシートをかけて置いた。それ以来、壊す者は現れない。犯罪者は、暗い所が好きなようだ。

2つめは次回に。
作家たちは、日常茶飯事である自転車へのいたずらに対してさまざまな心の解決法を提示していますが、みなさんはどうですか? 泣き寝入りしますか、戦いますか、それとも馬鹿にして無視しますか? それ以外ですか。こんなところにこそ、創造性というものが発揮されると面白いのかもしれません。