スタート以前、スタートしてから、本コース、などと分けると、必ず「じゃあ、お前はどうなんだ?」と聞くやつが出てくる。
ちがうね。
別に誰かを裁いたり、タイプ分けしたり、優劣をつけようとして書いたんじゃない。しかも、私がそうしたからといって、誰かの給料の取り分が増減するでもない。
たいていの作者は、もし三段階目にいると自覚していても、1個か2個落として謙遜して見せるだろう。もし本当にそこにいるなら、そいつの観察も分析もくだらない。捨てちまえ。三段階目にいない者の観察眼などたかが知れている。チャネリングして書いているって言うんだったら、まあ、半分くらいは認めてやろう。私は、これが私の意見です。身をもってこうしています。こうです。こう在ります。そういう責任そのものの宣言でなければ、まるで信用しない。どんなにくだらなくても、しょーもなくても、これが私です。今の私です。魂魄、渾然一体です。そういうもんでなきゃ、本気で読もうって気がしない。今日は、どこそこでランチを食いました、であっても、そこにそいつが観えたなら、おおいに楽しいし追体験すらするだろう。それが、あの、大学にいる文系の教官たちの、誰かの観察や考察や意見を切って貼ってつなげただけの、そのくせ、すぐに答えを出さないのが科学的探求だなんてうそぶく図々しい文章なんて、へ、以下だと思っている。あいつらは、いったいどこにいやがるんだ。特別なところから構えて、へらへらしてるだけじゃねえか。そうして「じゃあ、お前はどうなんだ?」程度の質問をして得意になっている。どうなのか分からないのは、お前の方じゃないのか。あんな連中のマネをしていかにも科学ぶって、要するに科学の傘をきて、イイコちゃんでいたいんだろう? みんなに好かれたいんだ。おつむのいいふりすんの、もう見飽きた。
書くことで、自分を見つめ直しているんだ。
自分がスタートを切ったと思っていたのが、実は、まだスタートラインを引き伸ばしていただけだった、と気づいたから書いたんだ。もっともっと楽しんで走れるコースが目の前に見えているのに、まだ自分は白線の上にいる。走れば走るだけ、白線の幅が広くなっていくかのようだ。
だから、よかった。
人生にはもっと先がある。遥か彼方まで続いている。よかった。もっと楽しめる余地がたくさん残っているじゃないか。遠いゴールがあって、そこまで行かなきゃならないって思うと辛くなる。どこまで行ったって定まったゴールなんてない。
白線の上を楽しんで走ればそれでいいんだ。工夫して、知恵を出して、回りの景色に目を配って、空気の感触、空の色、汗、筋肉の疲労、皮膚のこすれる音、そんなことひとつひとつに愛おしさを感じながら走ればいいんだって、気づいた時、コースに出たんだ。いや、コースを外れたのかもしれない。自由になったんだ。そうなったとたん、自分は過去の未来永劫、ずっと本コースにいたことになったんだ。わかるか、この感じ?
どっかに行くんじゃない。ここに居さえすればいいんだ。ここだ、ここだ、ここだ。ハートの中心だ。ここに居さえすれば、どこにだって行ける。宇宙の彼方にまで。一瞬でだ。素敵ってのはきっと、ここにある。
