石原慎太郎と言えば、いまでは東京都知事が長いので政治家として認知されていらっしゃる方が多いのではないかと思います。
『太陽の季節』でもって彼は当時の最年少で芥川賞を受賞し、開高健や大江健三郎と共に戦後世代の代表的な作家としてもてはやされ、時代の寵児だった人です。作品は映画化されテレビ化され、裕次郎の兄でもあったことから、また、三十の半ばには、国政に打って出て、じっと端座する『書く文学』から、おおいに発言し、物議をかもし、法の設定や行政の決定に携わる『司る文学』に転身されたのですが、いつの時代にも人々の口端にのぼり、常になんらかの人気を保たれている人です。
森田健作さんによって具現化された『諸君、もっと怒れ!』などは、常識外れな思想だったかもしれません。ベストセラーにもなった『スパルタ教育論』では、子供を抱いてはいけない、などと説いて、うちの母などをすっかりその気にさせました。それで、幼い僕は母に抱きしめれれることなく、彼女の甘えや依存心を別の形で存分になすりつけられることになって、完全にスポイルされていたのであります。
その彼は若い頃『情操的嫌悪感』なることを言い出した。岡潔などは著書の中で、それにちくりと針を刺すような発言をされていたりしますが、僕もその気分がよく解る時期がありました。ちょっと真理を垣間見た時期、常識として人々が考え、口に出し、また行動していることが、物凄くゆがんだ、自分を否定する、盲目的な、出鱈目なことに見えて仕方がありませんでした。あなたは、そんな薄汚れた、曲がった、曇った、ちっぽけで非力で卑しくどうしようもない存在などではない。もっと崇高で、気高く、品格があり、喜びに満ちあふれ、この上無く優雅な生き物なのだ、と言いたいがために、自分のすばらしさをすっかり忘れたようなことを言ったりやったりしているのを目の当たりにすると、嫌悪感がわいてきていたのです。そして、彼もしくは彼女が、どんな在り方、状態をしているかを察知するのに嫌悪感を使っていたのでした。これが恐らく石原慎太郎の言う『情操的嫌悪感』ではないかと思います。
しかし、この思想を知ったからやっていたのではなく、やっている最中に、古本屋で見つけた彼の古い著作に書いてあるのを見つけたのでした。
たとえば『苦労は善いこと』と説教したり、その認識に基づいて行動していたりする誰かの姿を見ると、ぐっと腹に一物もつような不快な気分がわき起こるのです。胸がムカついてくるのです。そしたら、一回殺したろうか? みたいな引導を渡したくなる、生き直しさせたい衝動に駆られるのでした。僕自身がその状態から抜けたいものだから、その波動に焦点を当てて見ていたのかもしれません、どころか、まったくその通りなのです。でも、あるとき気づきました。その周波数帯を見ていたいなら、存分に見ていればよいが、そのやり方ではそこから抜けられない、と。
まったく自分が抜けたいものだから、他人を変えよう、善くしようなどと思っていたのでした。実にお節介千万、しかも相手もこちらを善くしよう、変えようとして、そんな説教をしているのですから、もうお笑いにしかなりません。ところが僕は、もう、その手には乗らないぞ、嘘はもうまっぴらだ、と彼らの根性のえげつなさを暴き、つぶさに描き、ぶつけていました。毒を大毒で制するようなやり方です。でも、出したものは返ってくるのが宇宙の法則。
それですぐに、怒っているように見せかけ、非難しているように見せかけ、高い信念を混ぜ込むというやり方に変えました。これは、実は次善の方法かもしれませんが、それなりに効果がありました。速度は遅いですが、確かに変わります。僕が変わったからかもしれませんが、秩序を維持するための不調和から、調和の取れた無秩序に変わっていきました。それに、人々は、よほど理性に凝り固まっていないかぎり、僕の本意は伝わり、不快なものどころか、喜びや共感が返ってくることが多くありました。
けれど、もっと速く効果的な方法があったのでした。単純に、実現したいままに出す、ということです。幸福でいるつもりなら、幸福であり、幸福を放つ。それだけです。すべてに満たされているつもりなら、満たされていて、充足を出す。それだけです。知恵者であるつもりなら、知恵であり、知恵を出す。それだけです。いつでも、人は誰でもそうしています。意識的にやれば、あまり低い、ネガティブな周波数に属することはやれなくなる、そういうことです。
そうすると、どうでしょう。僕には笑いが生じてきたのです。人が人生をかけて楽しんでいる作品をみると、笑いがこみあげてくるのです。この作品は、たこ焼きでもラーメンでも同じです。あるいは、悲嘆に暮れた人生でもいいです。別に芸術作人に限りません。その人が極めている姿に、どうしようもなく笑いが出てくるのです。これは『情操的哄笑感』とでも名付けましょうか。感情が喜びとして表現されるのです。僕の察知したすばらしいものが笑いとして表現されるのです。高みにでも低みにでも、その人が極めている姿。そこがふっと見えて、可笑しくなってくるのです。あまりにも真剣な顔。あまりに典型に嵌まった性格。それらが愛おしくて笑うのです。
太宰治なんて、生き方そのものが笑えます。書いていることが笑えます。彼が書いている姿が笑えます。彼が、書き切ったと思っている姿が笑えます。書き切ったと思って笑っている姿が笑えます。書き切ったと思って笑っている姿を、誰かが笑っているのだろうと指摘していることに怒ったふりをしていることに笑えます。きっと、そうして笑っている私を彼は笑っていることでしょう。
たいていは不謹慎だと非難されることでしょう。石原さんは、誰かに「キミは不慎太郎だな」と言われたといって喜んでいましたが、怒ったり情操的嫌悪感を顕にするより、笑ったり情操的哄笑感を顕著にする方が、もっと反感を買うかもしれません。そのくらい皆、この世界が幻想で、あえてつくりだしていることを忘れているのでしょう。そのことを知っているのは、幼児と大馬鹿野郎なのかもしれません。
そういえば、ガネーシャって象はいつも笑っていた。
もし、笑えない状況即ち、あえてではなく低い周波数そのものでぶるぶる震えて怒り嘲り非難がましく食ってかかる人と接触する機会があったなら、(それは彼にとって逃げ口上でもあるのでしょうし)私の方も、伝えることは誠実に伝えて、スッと去ります。言い込めようとか、是非を糺そうとも思いません。相手の正しさと責任を認めているからです。もちろん、彼には私がシッポを巻いてとんずらこいたように映ることでしょう。それは正しいです。
幼児期を引き伸ばすのではなく、一時期思いっきり忘れて、もう一回子供になる。世間をよく知った上で子供に還る。大きな子供になる。これが人間のアガリなのかもわかりません。
そのプロセスは、一回の人生でもなぞられるし、すべての生を通してもなぞられる。知ってて忘れて思い出す。これの、よりおおきなバージョンをえんえんと繰り返しているのかもしれません。まるで、うずまき記号のように
『太陽の季節』でもって彼は当時の最年少で芥川賞を受賞し、開高健や大江健三郎と共に戦後世代の代表的な作家としてもてはやされ、時代の寵児だった人です。作品は映画化されテレビ化され、裕次郎の兄でもあったことから、また、三十の半ばには、国政に打って出て、じっと端座する『書く文学』から、おおいに発言し、物議をかもし、法の設定や行政の決定に携わる『司る文学』に転身されたのですが、いつの時代にも人々の口端にのぼり、常になんらかの人気を保たれている人です。
森田健作さんによって具現化された『諸君、もっと怒れ!』などは、常識外れな思想だったかもしれません。ベストセラーにもなった『スパルタ教育論』では、子供を抱いてはいけない、などと説いて、うちの母などをすっかりその気にさせました。それで、幼い僕は母に抱きしめれれることなく、彼女の甘えや依存心を別の形で存分になすりつけられることになって、完全にスポイルされていたのであります。
その彼は若い頃『情操的嫌悪感』なることを言い出した。岡潔などは著書の中で、それにちくりと針を刺すような発言をされていたりしますが、僕もその気分がよく解る時期がありました。ちょっと真理を垣間見た時期、常識として人々が考え、口に出し、また行動していることが、物凄くゆがんだ、自分を否定する、盲目的な、出鱈目なことに見えて仕方がありませんでした。あなたは、そんな薄汚れた、曲がった、曇った、ちっぽけで非力で卑しくどうしようもない存在などではない。もっと崇高で、気高く、品格があり、喜びに満ちあふれ、この上無く優雅な生き物なのだ、と言いたいがために、自分のすばらしさをすっかり忘れたようなことを言ったりやったりしているのを目の当たりにすると、嫌悪感がわいてきていたのです。そして、彼もしくは彼女が、どんな在り方、状態をしているかを察知するのに嫌悪感を使っていたのでした。これが恐らく石原慎太郎の言う『情操的嫌悪感』ではないかと思います。
しかし、この思想を知ったからやっていたのではなく、やっている最中に、古本屋で見つけた彼の古い著作に書いてあるのを見つけたのでした。
たとえば『苦労は善いこと』と説教したり、その認識に基づいて行動していたりする誰かの姿を見ると、ぐっと腹に一物もつような不快な気分がわき起こるのです。胸がムカついてくるのです。そしたら、一回殺したろうか? みたいな引導を渡したくなる、生き直しさせたい衝動に駆られるのでした。僕自身がその状態から抜けたいものだから、その波動に焦点を当てて見ていたのかもしれません、どころか、まったくその通りなのです。でも、あるとき気づきました。その周波数帯を見ていたいなら、存分に見ていればよいが、そのやり方ではそこから抜けられない、と。
まったく自分が抜けたいものだから、他人を変えよう、善くしようなどと思っていたのでした。実にお節介千万、しかも相手もこちらを善くしよう、変えようとして、そんな説教をしているのですから、もうお笑いにしかなりません。ところが僕は、もう、その手には乗らないぞ、嘘はもうまっぴらだ、と彼らの根性のえげつなさを暴き、つぶさに描き、ぶつけていました。毒を大毒で制するようなやり方です。でも、出したものは返ってくるのが宇宙の法則。
それですぐに、怒っているように見せかけ、非難しているように見せかけ、高い信念を混ぜ込むというやり方に変えました。これは、実は次善の方法かもしれませんが、それなりに効果がありました。速度は遅いですが、確かに変わります。僕が変わったからかもしれませんが、秩序を維持するための不調和から、調和の取れた無秩序に変わっていきました。それに、人々は、よほど理性に凝り固まっていないかぎり、僕の本意は伝わり、不快なものどころか、喜びや共感が返ってくることが多くありました。
けれど、もっと速く効果的な方法があったのでした。単純に、実現したいままに出す、ということです。幸福でいるつもりなら、幸福であり、幸福を放つ。それだけです。すべてに満たされているつもりなら、満たされていて、充足を出す。それだけです。知恵者であるつもりなら、知恵であり、知恵を出す。それだけです。いつでも、人は誰でもそうしています。意識的にやれば、あまり低い、ネガティブな周波数に属することはやれなくなる、そういうことです。
そうすると、どうでしょう。僕には笑いが生じてきたのです。人が人生をかけて楽しんでいる作品をみると、笑いがこみあげてくるのです。この作品は、たこ焼きでもラーメンでも同じです。あるいは、悲嘆に暮れた人生でもいいです。別に芸術作人に限りません。その人が極めている姿に、どうしようもなく笑いが出てくるのです。これは『情操的哄笑感』とでも名付けましょうか。感情が喜びとして表現されるのです。僕の察知したすばらしいものが笑いとして表現されるのです。高みにでも低みにでも、その人が極めている姿。そこがふっと見えて、可笑しくなってくるのです。あまりにも真剣な顔。あまりに典型に嵌まった性格。それらが愛おしくて笑うのです。
太宰治なんて、生き方そのものが笑えます。書いていることが笑えます。彼が書いている姿が笑えます。彼が、書き切ったと思っている姿が笑えます。書き切ったと思って笑っている姿が笑えます。書き切ったと思って笑っている姿を、誰かが笑っているのだろうと指摘していることに怒ったふりをしていることに笑えます。きっと、そうして笑っている私を彼は笑っていることでしょう。
たいていは不謹慎だと非難されることでしょう。石原さんは、誰かに「キミは不慎太郎だな」と言われたといって喜んでいましたが、怒ったり情操的嫌悪感を顕にするより、笑ったり情操的哄笑感を顕著にする方が、もっと反感を買うかもしれません。そのくらい皆、この世界が幻想で、あえてつくりだしていることを忘れているのでしょう。そのことを知っているのは、幼児と大馬鹿野郎なのかもしれません。
そういえば、ガネーシャって象はいつも笑っていた。
もし、笑えない状況即ち、あえてではなく低い周波数そのものでぶるぶる震えて怒り嘲り非難がましく食ってかかる人と接触する機会があったなら、(それは彼にとって逃げ口上でもあるのでしょうし)私の方も、伝えることは誠実に伝えて、スッと去ります。言い込めようとか、是非を糺そうとも思いません。相手の正しさと責任を認めているからです。もちろん、彼には私がシッポを巻いてとんずらこいたように映ることでしょう。それは正しいです。
幼児期を引き伸ばすのではなく、一時期思いっきり忘れて、もう一回子供になる。世間をよく知った上で子供に還る。大きな子供になる。これが人間のアガリなのかもわかりません。
そのプロセスは、一回の人生でもなぞられるし、すべての生を通してもなぞられる。知ってて忘れて思い出す。これの、よりおおきなバージョンをえんえんと繰り返しているのかもしれません。まるで、うずまき記号のように
